良き指導者、仲間に「感謝」 ハンド女子主将 原希美選手

ノルウェー戦で、ボールを奪い攻め込む原希美選手(右)=2日、国立代々木競技場

 「支えてくれた人たちに感謝したい」。2日のノルウェー戦に敗れ、1次リーグ敗退に終わったハンドボール女子の主将、原希美選手(30)=三重バイレットアイリス、延岡市出身=は、涙を流しながら話した。5試合でチーム2番目の17点を挙げ、献身的な守備でも貢献。宮崎で良き指導者、仲間に恵まれた日本の大黒柱は、夢舞台で確かな輝きを放った。
 小学3年のとき延岡東クラブで競技を始め「純粋に楽しくて」のめり込んだ。同クラブは原選手が入る6年前、「ハンドを普及させたい」と民間企業を辞めて小学校教諭となった和田保典さん(58)=県協会理事長=が設立した。原選手は「和田先生がいなかったら今の私はない」と語る。
 延岡中で指導を受けたのは川野美香子教諭(50)=祝吉中。32歳まで現役でプレーし、県内中学では数えるほどしかいないハンドの専門家は、原選手について「10年に一人の逸材で、向上心も強い。大きく羽ばたいてほしいと思った」。16歳以下日本代表選考会の前には正月返上で個別練習。原選手は当時を振り返り「日本代表になりたいという意識が高まった。熱心に教えてくれた美香子先生との出会いは大きい」と感謝する。
 宮崎学園高でも周囲に恵まれた。年代別代表や高校日本選抜メンバーの先輩がおり、1年時の全国総体8強、国体4強と貴重な経験を積んだ。「練習のレベルが高く、先輩たちに追い付こうと頑張れた」。同校の鈴木晃監督(52)は「大きいだけなく小回りが利き、相手と駆け引きできる選手に」と指導。教わったパスを受ける前の動きなどは現在に生きているという。
 そして、小学生のころから五輪出場を夢にプレーしてきた自分を「いつも応援してくれる。一番の理解者」という両親。高校までは試合後の父・久(ひさ)保(ほ)さん(58)との「反省会」が嫌いだったが、「親元を離れてありがたさが分かった。今もアドバイスは胸に響いている」。帰省時にハンバーグなど好物を作ってくれる母・美喜子さん(58)にも、長年支えてもらった。久保さんは「娘のおかげで自分たちも夢を追い掛け、いい時間を過ごすことができた。結果は残せなかったが、努力してきたことは誇り」とねぎらった。

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