東京五輪 射撃 松本 13年越し夢舞台に感動 勇姿見守った両親

 射撃の松本崇志(37)=自衛隊、長崎県島原市出身=が2日、自身の東京五輪最終種目となる男子ライフル3姿勢120発に臨んだ。県立島原工高で初めて銃を持ってから、20年の時を経て立った夢舞台。決勝へは進めなかったが、父の良久さんと母のみきさんは「出るだけでも感動した。そう簡単に出られるもんじゃない。落ち込むよりも前向きにと伝えたい」とオリンピアンとなった息子をねぎらった。
 13年越しの五輪だった。2008年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロ大会は、あと一歩のところで落選した。両親が当時を振り返る。「落ちたときはつらそうで“次があるさ”とも言えなかった。このまま終わってしまうのかなとも思った」。それだけに19年秋、4度目の挑戦で代表入りが内定したときの喜びはひとしおだった。地元の関係者と一緒に涙を流して喜んだ。
 だが、試練はもう一つ待っていた。コロナ禍の影響で五輪が延期となり、代表維持のためには「各種記録会での基準点クリア」という条件がついた。この基準点に届かず、春先から繰り返された再選考会。みきさんはそのたびに墓参りをして祈り続けた。5月に吉報が届くと、2人はまた、手を合わせて泣いた。
 高校のころから「重圧になって負けたらどうしよう」と会場での応援は控えてきた。代わりに息子の小さな記事から写真などはすべて、保管してきた。でも、今回ばかりは違った。早くから飛行機やホテルを予約して「会場で見守ろうと決めていた」。だが、直前で無観客開催が決定。泣く泣くキャンセルした。
 この日の予選はライブ配信がなかったため、2人は速報画面を見守った。最初の10発、20発の点数が低いと「何かあったのかな」と気をもみ、高得点を出すと「上がってきたね」と喜んだ。銃を構える姿は見えなくても、勇敢に戦う息子の姿は目に浮かんでいた。
 「崇志」の「志」は、2人が「何かを目指してほしい」という願いを込めて入れた言葉。「たかゆき」と読むようにしたのは「ありきたりよりも…」という思いが詰まっている。周りに流されず、五輪を目指して歩んできた射撃人生-。幾多の試練を乗り越えた「志」は、東京の地で実を結んだ。

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