【高校野球】西東京V東海大菅生・若林弘泰監督が明かす 敵将との“素敵な”ライバル関係

東海大菅生・若林弘泰監督【写真:荒川祐史】

55歳の東海大菅生・若林弘泰監督と31歳の国学院久我山・尾崎直輝監督は連絡を取り合う仲

試合が終了すると、ホッと胸を撫で下ろした。2日、東京ドームで開催された全国高校野球選手権西東京大会決勝。選抜8強の東海大菅生は、国学院久我山に8-3で勝利し、4年ぶり4度目の甲子園切符を手にした。55歳の若林弘泰監督は敵将の31歳、国学院久我山・尾崎直輝監督と健闘を称え合い、コロナ禍で十分な活動ができない中、支え合いながら、この夏を迎えていたエピソードを明かした。

「決勝というのは何度やっても慣れるものではないですね」

2017年に夏の甲子園に出場も、指揮官の頭から苦い記憶は消えない。2014~16年、3年連続で決勝で敗れた。特に15年は、当時1年生だった清宮幸太郎内野手(日本ハム)を擁する早実に5-0の8回に8点を奪われ、逆転負け。「何点あってもわからない」と、怖さは常にあった。

この日も、一筋縄ではいかなかった。相手は2年前の準決勝で敗戦している国学院久我山。若き監督率いる伝統校に力があることはわかっている。初回にエース・本田峻也投手(3年)が3本の安打を浴び、2点を失った。序盤は劣勢だったが、1-3で2点を追う3回に3番・堀町沖永外野手(3年)が左中間へランニング2ラン。試合を振り出しに戻すと、4回1死一、三塁で1番・千田光一郎外野手(3年)が勝ち越しの3ランを左翼席に放ち、試合を優位に進めた。

「2年前は優勝できるかなと思って挑んだんですけど、負けてしまった。そんなことを考えながら、我に返ったら、今季負けると国学院久我山は2大会連続出場になる。尾崎くんにはそれはまだ早いかな」と冗談まじりに心境を明かした。国学院久我山が準決勝を勝利し、決勝進出を決めた後のこと。そのあと、準決勝を戦う若林監督は先に決勝進出を決めた「生意気だな」と言ったことも明かしている。そんな“ジョーク”が言えるのも、2人の間に流れた特別な時間があったからだ。

甲子園出場時に毎試合メールで「頑張れよ」、コロナ期間中も頻繁に練習試合に誘った

「(国学院久我山は)本当にいい野球をする。これからも甲子園に行くチームだと思う。そう簡単に甲子園に行かせては困るな、と。だから、壁になりたいなと思っています」と面目を保ったが、西東京でしのぎを削る同じ野球人の後輩として、若き指揮官をずっと気にかけていた。

東海大菅生が19年の準決勝で敗れた後、若林監督は初めて決勝の舞台を戦う当時29歳の若き指揮官に「頑張れ。決勝に行っただけではダメだぞ」と、メールでエールを送った。創価を3-1で下し、国学院久我山が28年ぶり夏の甲子園を決めたときも「おめでとう。(甲子園に)行くだけではダメだぞ」と、再びメッセージ。その度に、尾崎監督から返事の電話を受けていたという。

若林監督は明かす。

「毎回、律儀に電話してきてくれてね。(2019年夏は甲子園で)『ベスト4を超えます』と言ってきたから、『馬鹿野郎』って言い返したよ(笑)」。東海大菅生が2017年に進出した“4強超え”宣言を一笑した。

その後も、交流は続いた。新型コロナウイルスの影響で県外との練習ができない中、グラウンドが他の部活と共用の国学院久我山を何度も練習試合に誘った。そんな若林監督のことを「うちが勝ったときは背中を押してくれて、困ったときは手を差し伸べてくれる存在。本当にライバルだと思っている」と、尾崎監督も慕っていた。

試合後、「尾崎くんは仲良くて、よく寄ってくるんですよ。寄って来なくていいんだけどね」と最後まで冗談は尽きないのも認めている証であり、ベテラン監督の愛情でもある。「一戦必勝で頂点を目指したい」。この夏、ともに苦しんだ西東京のライバルたちの思いを胸に甲子園で活躍することを誓った。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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