ポストコロナ時代は人間を基盤に据えた政治を 江田五月さん、後輩たちに託した思い

By 尾中 香尚里

江田五月さん=2017年4月20日撮影、参院議員会館

 元参院議長江田五月さんが7月28日、80歳で死去した。55年体制下にあった1977年、ミニ政党の社会市民連合から政治家人生をスタートさせて40年。江田さんは非自民の細川政権の発足、その後の民主党の結党から政権交代、そして下野という、野党側からの大きな歴史の中で、絶えず「政権交代が常態化する政治」を求め続けてきた。そして、新たな野党第1党・立憲民主党に集う後輩たちにその夢を託し、旅立った。

 江田さんには筆者も折に触れて何度もインタビューを重ねてきた。最後にまとまってお話を聞いたのは、2020年9月3日に立憲民主党の難波奨二・参院国対委員長と3人で行った座談会だった。安倍晋三首相(当時)の辞意表明(8月28日)からわずか6日後。自民党は総裁選に突入し、後継に菅義偉氏(現首相)が選ばれるのが確実な情勢に。一方、野党は立憲民主党と国民民主党などが合流し、新党(当時は党名が決まっていなかった)を結党しようとしていた。江田さんは安倍政治の総括から菅新政権への懸念、そして何より、今後野党が目指すべきことを熱く語ってくれた。

 難波事務所のご了解をいただき、江田さんの言葉を中心に再構成した。評伝に代えて、江田さんの最後の思いを伝えたい。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

1993年7月の衆院選で、自身の名前にバラを付ける社民連の江田五月代表(当時)=東京都文京区の社民連本部

 ▽安倍首相辞任許した野党の責任

 ―安倍晋三首相が突然の辞任を表明し、7年8カ月という憲政史上最長の政権が終わりを迎えることになりました。なぜ安倍政権がこれほど長く続いたのでしょうか。

 一言で言えば、安倍政治を終わりにさせる力がなかった。それに尽きるでしょう。一番の責任は野党にあります。国民もまた、野党を応援し、育て、政治を活性化させようという気力をなくしてしまった。政治に対する大きな不満は、もはや失望に変わっています。安倍政治は国民を失望させ、無気力な世の中をつくった。長続きした理由は、それしか考えられませんね。

 ―ただ、支持率は高く、選挙に強かったのも事実ですね。

 政治に関心を持たなくても、まあ生きてはいけますからね。(しかし)世界史を見ても、スペイン風邪やペストなど、いろんなことが起きて社会も経済も文化も変革してきたのが分かります。この20~30年は新自由主義で経済が最優先され、「もうけてなんぼ」の世界になってしまっていた。社会は分断され、人々の絆が弱まっていたところを、コロナにズバッと突かれた形でしょうね。

 ―安倍政権の功罪をどうお考えですか。次期(自民党)総裁候補の菅義偉さんは、これまで安倍政権がやってきたことを継続していくと、明確に宣言しています。

 一番大きな罪は、いろんなものを私物化したこと。そして、国民の気力を奪ったことです。公文書改ざん問題で「忖度(そんたく)」という言葉が流行したように、官僚もみな、気概や矜持(きょうじ)を失ってしまいました。

 菅さんは、安倍政権の罪を上塗りするんじゃないでしょうか。彼の出馬会見は見事なまでに「官僚的」でしたね。転勤のあいさつじゃないんだから「新しく着任しました菅でございます。前任者の引き継ぎ頑張ります」なんて、聞いていられやしない。

 せっかく国のトップが変わるんです。「世の中が新しくなるんだ」という、一陣の風のようにさわやかな希望を国民に与えなくちゃならないのに、それが全然感じられなかった。目くらましのようなこの政権交代で、安倍政治をご破算にできるわけがない。野党にはしっかりと、安倍・菅政治を根本から立て直していってほしいですね。

江田五月さん=2016年

 ▽経済も政治も人間のためにある

 ―(旧)立憲民主党は(旧)国民民主党、社会保障を立て直す国民会議、無所属フォーラムと合流し、新党(現立憲民主党)を設立します。新たな野党にどのような期待をお持ちですか。

 ポストコロナは時代の転換期です。単に「コロナが終わって次の時代になった」というだけではなく、社会の基本構造が変化すると思います。これだけ劇的な変化の前後を、同じ勢力が政権を握って動かしていくということは、本来できるはずがないんです。新しい時代には新しい政治が生まれて引っ張っていかないと、新しい社会にはなりません。

 例えば、第2次世界大戦の最中のイギリスの政治は、チャーチル(首相)がずっと引っ張っていました。そして戦争に勝った。勝ったんだから、その後も引き続きチャーチルが政権を握ったかと言えば、そうではない。労働党のクレメント・アトリーが選挙で圧勝し、新しい福祉政治を実現した。

 時代が変わる時にはそのくらい、あるいはもっと本質的な、大きな変化が起きなければいけないんです。野党はそれを託されているんですよ。残念ながら、今までの野党には時代の変化を担うほどの力がなかった。だけど、ちょうど今のような変化の直前に、新しい野党が誕生した。旧・立憲民主党が芽吹いて、出てきた双葉が今、本葉になろうとしているわけです。そしてこれから、1本の大きな木に育つ。そういう自負と覚悟を持っていただきたいです。

 僕は1977年から2016年まで国政に関与していたんですが、この40年を「前20年」と「後20年」とに分けて考えています。「前20年」は1977~97年。この間は政権交代を目指して、それを可能にし得る野党をつくるために四苦八苦しました。

 1993年、まだそういう野党ができていないのに、思いがけず政権の方が転がり込んできた。「8党派政権」と言われた細川内閣ですが、それはうまくいきませんでした。で、98年に民主党ができたところからが「後20年」です。民主党がいろいろな経過を経て2009年に政権にたどり着き、そしてその政権が崩れ、バラバラになった。そこで僕の仕事は終わりました。

 この40年の歴史にどこかで一度区切りをつけて、次の時代に入っていかなければなりません。その区切りは、この数年にあるべきでしょう。次の時代を引っ張っていく主役として、今回の合流新党は生まれるべくして生まれたのだろうと思いますよ。これまでの40年は、与野党で「どちらがより上手に経済を動かせるか」を競っていました。でも、経済って何のためにあるんですか。人間のためでしょう。人間の気力も信頼関係も失わせて、弱者を切り捨ててどうするんですか。

 コロナの問題もそうです。感染しても多くの人は回復しますが、一部に大きな被害が出る。主に高齢者や基礎疾患のある人ですね。そういう人たちを守ろうとする姿勢が、安倍政治にはみられなかった。経済も人間のため、政治も人間のためにあるんですよ。これからは、人間というものを基盤に据えた時代に変わっていくべきなんです。

所信表明演説をする安倍首相の後方に座る江田議長=2007年9月、参院本会議場

 ▽分断から連帯へ、新しい発想を

 ―以前はタカ派・ハト派という言い方がされていましたが、ハト派的な人はもう、自民党の中で大勢になっていない。野党がその役割を担っていくことが大事なんでしょうね。

 過去に総裁選候補者の話を聞いていて、『この人はわれわれと同じような問題意識を持っているな』と感じた人も、いたことはいたんです。その考えが自民党政治の中で主流にはならなくても『そういう考え方が自民党の中にあるなら、自民党でいいじゃないか』というのが今まで(の政治)だったんです。

 自民党はデパートみたいなもので、何でもあるんですよ。タカもハトもね。ハトが好きな人に対しては『ハトありますよ』とやるんです。その構造を変えないといけない。それこそが新しく生まれた野党の大きな責任です。理念をはっきりさせて、しっかりと旗印を掲げること。自民党のような「何でもあります」の旗印じゃなくてね。

 世界的にも似たようなことが言えますね。トランプ(米大統領、当時)は世界を分断させ、対立構造を作ってきた。中国もそれに真正面からぶつかった。横綱対横綱だったら力相撲も面白いけど、あれじゃ周りの国がたまったものじゃない。分断の潮流のなかで日本はどうしているかと言えば、日米関係を第一に、とにかくアメリカについていって、中国は「お隣ですからまあ仲良くしましょうよ」という姿勢です。

 日本国憲法というのは、そんなことを言ってるんじゃないでしょう。憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書かれています。アメリカにも中国にもきちんとものを言う。そして、憲法9条を掲げる日本が、世界を分断させない新しい方向に導いていく。それが日本の役目であり、新しい政党の役目でもあると思います。

 世界を分断と対立でずたずたに切り裂く動きを変えて、もう一度「公正と信義に信頼した」世の中にしていくには何が必要か。これはやはり人間であり、人々のつながりなんですよね。つながりの小さな単位が、それぞれの場所で行動しながら、横に網の目を作って広がっていく。国境を越えた市民のつながりです。かつて「万国の労働者、団結せよ!」なんて言われたものですが、万国の市民が小さな腕組みをたくさん作って、トランプが何と言おうと声を上げるべきなんです。

 必要なのは国際社会の新しい発想、国の新しい発想、そして地方自治を中心とした市民の連帯の新しい発想、それをどう作っていくかですね。

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