東川隆太郎の「かごしま世間遺産探訪記」ーvol20.郡地区公民館横に並ぶ胸像群(南九州市頴娃町郡)ー

鹿児島弁といっても一様ではない。
地域によって微妙に異なり、時に言い回しの違いで自分のところが正しいぞと言い合いになるのも鹿児島弁あるある。
また地域によって明らかに使わない単語や独特のイントネーションもあって、同じ県内で過ごしながらも発見があって面白いし、その地域の言葉が個性的だとすぐに出身地が分かったりする。

そのように鹿児島弁が個性的な地域のひとつに南九州市頴娃町がある。
頴娃弁や頴娃語と呼ばれ、地元の方々だけの会話を聞いていると、鹿児島弁のヒアリングに多少自信がある自分でも時々分からなくなることも。
さらに頴娃弁は耳に心地良い面もある。
それを証明してくれる音源を世の中に出しているのが、頴娃出身のサカキマンゴー氏。
アフリカの楽器や鹿児島の楽器のゴッタンなどを巧みに使いこなす。
私はその音楽に魅了されているひとりだ。
そのサカキマンゴー氏の音源に頴娃弁が登場する曲があり、それがまた心地良い。
最近その曲に触れ頴娃に行きたくなったことがあったので、今回は頴娃の世間遺産をご紹介したい。

南九州市頴娃町の郡地区公民館がある場所には、江戸時代に頴娃郷を治めるための地頭仮屋があった。
そして公民館周辺は、頴娃郷の郷士たちが居住する麓(=武家屋敷群)がある。
公民館の敷地には地頭仮屋があったことを示す記念碑が建てられ、周辺の町割には郷士が住んでいた面影が感じられるのだ。

頴娃郷地頭仮屋跡:東川隆太郎撮影

そんな場所で私の心を手繰り寄せてくれたのが、庭に並ぶ胸像群である。
公民館に胸像がある光景は見慣れていて、一体や二体であれば記録用に写真を撮るくらいで済んだかもしれないが、そこには四体が整然と並んでいたのだ。

胸を熱くさせてくれる四体の胸像:東川隆太郎撮影

頴娃の方々であれば「あ~誰それ先生」とご存知の人物かもしれないが、初めて接した私には胸像のお顔とその名前が記された銘板だけではどのような人物なのか分からなかった。
それでも四体整然と並んでいる様は、その姿だけで判断するならば、成立の経緯は全く異なるが、アメリカのサウスダコタ州のラシュモア山のあれみたいだと思った。
四人の大統領の顔が岩場に彫られているあれである。

アメリカに並ぶあれを彷彿させる胸像:東川隆太郎撮影

まず一番左に位置するのは田口正門氏の胸像。
昭和48年に叙勲を受けられて建立されている。
田口氏は明治41年に郡に生まれ、昭和19年に京都帝国大学医学部で医学博士となり、昭和21年から地元で医院を開業。
昭和27年から昭和45年までは頴娃町の教育長も務めた。

次は福吉福行氏の胸像で、昭和49年に建立されている。
胸像台座に刻まれた碑文が鹿児島弁でつづられており、その最後に「元気なうち胸像くらい受けてもらわんとみんなの気がすまん」とある。
頴娃の葉タバコ生産に尽力した人物で、昭和54年には頴娃町名誉町民に選出されている。

その隣は山内広助氏で、昭和46年に建立されている。
明治15年に麓で生まれ、戦前に頴娃村長を務め、農業振興に尽力した村長であったという。

最後は海江田綱宜氏で、医師であり地元の教育行政にも関与。
さらに、昭和31年には地域の上水道完成に尽力した人物で、胸像は昭和37年に建立されている。
その隣には上水道竣工の記念碑もあった。

それぞれの人物が活躍された時代は、少しずつ重なりながら地域のインフラ、産業振興、医療や教育と、地域にとって大切な功績が胸像によって表現され、それに対する地域の感謝が伝わってくるようで、これが郡の文化なのだなあと感じた。

それぞれの胸像の表情も個性的であり、それを眺めているだけで頴娃町のことをさらに知りたくなるし、碑文には書ききれない功績も地元の方に頴娃弁でいつか語っていただきたいなあという希望も込めて世間遺産に認定した。

参考文献
頴娃町郷土誌 改訂版 平成2年12月20日発行 編集 頴娃町郷土史編纂委員会

この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。

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