日本資本主義の父・渋沢栄一の生涯を描く今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」。渋沢が仕える徳川慶喜は大政奉還後、静岡に居を構え余生を過ごし、地元の人からは今でも親しみを込めて「けいき(慶喜)さん」と呼ばれています。 渋沢と慶喜は厚い信頼で結ばれており、静岡市内には二人のゆかりのスポットがたくさん残っています。今回は、渋沢栄一と徳川慶喜の静岡市ゆかりのスポットをご紹介します。
③教覚寺
慶喜が謹慎していた宝台院にほど近い場所にある教覚寺。鎌倉時代初期の1234年に、現在の静岡市清水区で創建されましたが、江戸時代の1616年、徳川家康公死去に伴い江戸に移った家臣松下常慶の屋敷跡地である現在の場所に移されました。
◆静岡滞在時の渋沢が家族と過ごした寺院
慶喜の要請で静岡藩の財政立て直しに尽力していた渋沢は、前述の浮月楼に「商法会所」を開き、役宅としていました。その後、 謹慎が解かれた慶喜が浮月楼に住むこととなったため、浮月楼で活動していた「商法会所」を「常平倉」と名前を改め、教覚寺に移転し、家族とともに教覚寺の客殿を借りて過ごすこととなりました。渋沢は常平倉の経営の指揮にあたっていましたが、明治政府の要請で東京に移り住むこととなり、教覚寺での生活はわずか2か月ほどでした。
◆渋沢の長女の著書に教覚寺のエピソードが書かれています
滞在期間が約2か月ほどと短かったことなどもあり、現在の教覚寺には当時の史料などは残念ながら残っていません。
ですが、渋沢の長女・穂積歌子が著した『はヽその落葉』という著書には、当時の教覚寺の様子や、当時の住職が歌子の母(渋沢の妻)である千代にお灸を施したことなどが書かれており、滞在期間が短いながらも印象に残っている様子がうかがえます。
◆教覚寺 基本情報
所在地 :静岡市葵区常磐町2-8-12
アクセス:JR「静岡駅」より徒歩13分
拝観時間:8:00~17:00
休日:無休
拝観料金:無料