プロ参加後、五輪の日韓戦で勝てない日本… 東京五輪準決勝で13年越しの白星なるか

五輪での日韓戦を振り返る【写真:Getty Images】

プロ選手参加の五輪は2000年シドニーから、日本は韓国に2連敗

東京五輪の野球競技は4日、日本と韓国の間で準決勝が行われる。あらゆる種目で注目を集める日韓戦は、野球も例外ではなく“因縁の”という枕詞をつけて呼ばれることも多い。この重苦しさはどこから生まれたのか。五輪での過去を紐解いた。

五輪野球にプロ選手が参加できるようになったのは2000年のシドニー大会から。因縁の発端と言えるのがこの大会だろう。日本は予選リーグと、決勝トーナメントで2度韓国と戦い、勝つことはできなかった。

予選リーグでは延長10回の末、6-7で敗戦。先発した松坂大輔投手(西武)が初回に4失点すると苦しい展開を強いられた。3-5で迎えた7回に田口壮外野手(オリックス)の右前適時打で同点とするも、10回に2点を失い力尽きた。

その後両国は決勝トーナメントに進出、準決勝で日本はキューバ、韓国はアメリカに敗れ、3位決定戦で再び激突した。韓国はこの翌年にオリックス入りする左腕ク・デソン(具台晟)投手を先発に立て、日本は打ちあぐんだ、9回まで散発の5安打、11三振。最終回に田中幸雄内野手(日本ハム)の適時打で1点を返すのがやっとで、1-3の完敗を喫した。登録24選手のうち、プロは8人だけという混成軍で戦った日本代表に対し、韓国代表にアマチュアは1人だけ。両国のスタンスの違いが結果に繋がったという見方もできた。

リベンジかかった2008年北京でも2連敗、13年越しの再戦は?

2004年のアテネ五輪は日本が銅メダルを獲得する一方、韓国が前年に札幌ドームで行われた予選で敗退。本大会出場はかなわなかった。次に両国が相まみえたのは、2008年の北京大会だ。

予選リーグでは、このころから韓国代表の主戦にのし上がった左腕キム・グァンヒョン(当時SK、現カージナルス)を打ちあぐんだ。日本は6回に新井貴浩内野手(阪神)の2ランで先制するものの、7回に和田毅投手(ソフトバンク)がイ・デホ内野手(韓国ロッテ)に同点2ランを浴び、3-5で敗れた。

そして両国は決勝トーナメントへ勝ち上がり、準決勝で再び対戦する。先発は日本が杉内俊哉投手(ソフトバンク)、韓国は再びのキム・グァンヒョンを立ててきた。日本は1回に先制、3回に青木宣親外野手(ヤクルト)の適時打で加点。韓国は4回に1点を返し、日本がリードを保って試合は進んだ。韓国は7回に代打、イ・ジンヨン外野手(SK)の適時打で同点とし、迎えた8回。日本は岩瀬仁紀投手(中日)をマウンドへ送った。

韓国は先頭のイ・ヨンギュ外野手(キア)が左前打。1死後打席には「4番・一塁」で先発していたイ・スンヨプ内野手(巨人)が立った。ここまで絶不調で、この試合でも第1打席から三振、併殺打、三振。岩瀬は簡単に追い込むと、カウント1-2から勝負に。内角低めの直球をイ・スンヨプは捉え、打球は右翼を守る稲葉篤紀外野手(日本ハム)のはるか上を超えていった。勝ち越し、そして決勝の2ランとなった。

9回、日本の最後の打者となった阿部慎之助捕手(巨人)が右翼へフライを打ち上げると、捕球したイ・ヨンギュはボールを抱きかかえながらグラウンドにひざまずいた。韓国のこの試合にかける意気込みが現れた名場面だった。

両国の明暗は、この後さらに分かれた。決勝進出を果たした韓国は、キューバを下し金メダル。3位決定戦に向かった日本はアメリカに敗れ、メダルを首にかけることなく北京を後にした。東京大会で指揮を執る稲葉篤紀監督が「五輪の借りは五輪で返す」と繰り返す裏には、きっとあの日、決勝弾を見送った記憶があるはず。プロ軍団の韓国を五輪で初めて倒し、決勝に進むことができるだろうか。(Full-Count編集部)

© 株式会社Creative2