【山崎慎太郎コラム】胴上げにファンが乱入!警備なんかやってなかったんちゃいますか(笑)

藤井寺で胴上げ。ファンが入り乱れて…

【無心の内角攻戦(7)】1989年10月12日の西武とのダブルヘッダーは、主砲のブライアントが第1試合で3打席連続本塁打、第2試合も第1打席で敬遠され、続く第2打席で49号を放って4打数連発。西武に点は取られても追いついてひっくり返して6―5と逆転勝利し、第2試合も14―4で大勝でした。直接対決に3連勝できた。みんな勝つことしか考えていないから去年のことが頭をよぎる…なんてことはなかったですね。この時点で近鉄にマジック2が点灯し、移動日の翌13日にオリックスが敗れ、近鉄はマジック1で14日、地元・藤井寺でのダイエー戦を迎えました。

僕は翌15日の最終戦の西武戦に先発予定だったからベンチを外れ、ネット裏のスコアラー室で見ていました。前年の「10・19」みたいに発熱はなかったです(笑い)。勝ったら優勝。5―2でリードし、僕らはベンチで飛び出しのスタンバイ。9回は鈴木貴久さん、大石第二朗さんのファインプレーがあって最後は先発した阿波野秀幸さんが三振で決めた。

歓喜の胴上げに入っていったんですけど、ファンが乱入して帽子取られたり何やらでぐちゃぐちゃでね。胴上げも途中で終わる形になって、いろんな人がおるし、僕は背中を痛めちゃうし…。警備なんかやってなかったんちゃいますか(笑い)。簡単に柵なんか乗り越えれますもん。

近鉄と2位・オリックスはわずか1厘差、3位・西武とは0・5ゲーム差という大混戦でした。前年に悔しい思いをしたメンバーが多く残っていたし、投手も基本は同じ。若い選手を乗せたら手をつけられないぞ、というのを自分らが実証した。コケる時はひたすらコケるけど、1回乗せるとこれほど恐ろしいものはないというのが、まさにあのころの近鉄でした。怖いもの知らずでイケイケどんどんしかない。

僕は前年と比べて9勝10敗と成績が少し下がってしまったけど、がむしゃらだった前年よりきれいな投球、スマートに投げようというふうになっていました。それがうまくいくこともあればそうでないこともある。でも前年の経験があるのでどんなプレッシャーの中でも投げれるという自信もついていました。

15日の最終戦の西武戦の先発予定なのに、胴上げの混乱で背中を痛めた。あと1勝で2桁勝利に届くんだけど、権藤博投手コーチに「慎太郎、明日どうする?」と言われて「いけません」て…。背中の筋を痛め、登板回避ですよ(笑い)。

祝勝会は藤井寺の室内練習場。乾杯する前に一気に始まってビールはすぐになくなるし(笑い)。2年分ですからね。一、二軍、裏方全員で騒ぎましたね。毛穴からビールが吸収されるから飲んでないのに酔った状態で終わって、各メンバーに分かれてテレビ局に行って特番出演でしたね。

その1週間後、次は巨人と日本シリーズ。あり得ないような展開になってしまいました。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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