終戦後の長崎で父と写る少年 米軍人遺族「消息知りたい」 情報提供求める

終戦後の旧長崎刑務所浦上刑務支所正門前で撮影されたウォーレンさん(左)と少年の写真(ダイアン・ネーグルさん提供)

 原爆投下から76年を迎える今年の夏、終戦後の長崎で撮影された1枚の写真が本紙に寄せられた。そこには、米軍人だったウォーレン・エドワーズさん=2015年に93歳で死去=と少年が穏やかな表情で写っていた。「父が生涯気に掛けていた少年がどのような人生を歩んだのか知りたい」。ウォーレンさんの遺族が少年の消息について情報提供を呼び掛けている。
 少年を捜しているのは長女のダイアン・ネーグルさん(71)=米カリフォルニア州=と、次男のデビッド・エドワーズさん(63)=米ワシントン州=。
 米テキサス州出身で電気技師だったウォーレンさんは1942年、米海軍の建設工兵隊に入隊。不発弾処理や破壊工作が主な任務で、サイパンでは旧日本軍と戦った。終戦後に日本に上陸。45年末まで佐世保に滞在しており、デビッドさんは取材に「物資輸送などで長崎にも来ていたのでは」と語る。
 ウォーレンさんは生前、「原爆で家族を亡くした少年と長崎で知り合い、面倒を見ていた」と家族に話していた。少年と撮った写真を大切に保管していた。
 少年の氏名や出会った場所などは不明。ただ、▽宿舎に簡易ベッドを置いて住まわせた▽自分の衣服を与えた▽帰国する際、カトリック系の児童養護施設に寄付をし、少年を預けた-と話していたという。

左からダイアン・ネーグルさん、デビッド・エドワーズさん

 ウォーレンさんが亡くなった後、ダイアンさんがフェイスブックに記事を投稿。長崎原爆の実像に迫る書籍「ナガサキ」を出版した米国人作家スーザン・サザードさんの存在を知り、今年3月に連絡を取った。スーザンさんの長崎の知り合いを頼って7月、本紙に情報提供の依頼があった。
 長崎平和推進協会写真資料調査部会の松田斉部会長によると、撮影場所は爆心地に近い旧長崎刑務所浦上刑務支所(現在の平和公園)正門前。背景のがれきの状況、防寒着を着た2人の服装から、1945年12月から46年3月までの間に撮影されたとみられる。
 松田部会長は「私的に撮影されたものと考えられるが、米国内の家庭に眠る写真が表に出てくることはめったになく貴重」とする。
 ウォーレンさんは、サイパンで戦死した日本兵が持っていた家族写真を見て「同じように愛する家族がいた」ことに気付き、原爆で破壊された長崎の街を目の当たりにしショックを受けていたという。ダイアンさんは「父にとって悲惨な戦争の中で少年との出会いが数少ない救い、希望となった。ジャック(ウォーレンさんの愛称)という米国人の名前に聞き覚えがある人がいたら、連絡をしてほしい」と話した。
 少年に関する情報提供は長崎新聞報道部(電095.846.9240)へ。

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