競泳200個人メドレーで思い出す「94年組」の侍 大谷と瀬戸、萩野

萩野(左)と瀬戸

【赤坂英一 赤ペン!!】もし、瀬戸大也と萩野公介がメダルを取っていたら、ひょっとすると、大谷翔平が祝福のコメントを寄せたのではないだろうか。

ふたりの東京五輪最後のレース、水泳男子200メートル個人メドレーを見て、ふとそんな勝手な想像がよぎった。結果は瀬戸が4位、萩野が6位に終わったものの、大谷が彼らにプライベートでねぎらいのメッセージを送っていたとしても不思議はない。

よく知られているように、瀬戸と萩野はともに1994年生まれの同い年。小学生時代から切磋琢磨し合ってきた仲で、2016年リオ五輪ではともに400メートル個人メドレーに出場し、萩野が金、瀬戸が銅を獲得した。

しかし、その後は萩野が原因不明のスランプで長期休養に突入。瀬戸は女性スキャンダルが発覚して大きな批判を浴び、スポンサー企業にも契約を一部打ち切られている。

ともにそうした逆境を潜り抜けて、最後の決勝レースに出場。メダルには手が届かなかったが、ふたりでインタビューに応え「幸せ」「うれしかった」と口をそろえた。友情を確かめあう彼らの姿に感動したという国民は少なくないはずだ。

大谷は、そんな瀬戸、萩野と同い年の「94年組」である。この世代はフィギュアの羽生結弦をはじめ逸材が多く、一昨年のコロナ前まではよく食事会も開いていた。

大谷がメジャーへ移籍した18年は、柔道のベイカー茉秋が大谷、瀬戸とのスリーショットをSNSで公開。当時は瀬戸と萩野も、大谷にまつわるエピソードをマスコミに積極的に紹介している。

瀬戸が由佳夫人にプロポーズして婚約指輪を手渡す際、大也とダイヤを引っかけ、瀬戸の顔写真を指輪に貼ったらいいと大谷がアイデアを提供。瀬戸がその通りにしたら由佳夫人が怒りだした、という笑い話は有名だ。

また、萩野は常に大谷に関する情報をネットでチェック。大谷の活躍を見るたびに、大きな刺激を受けているという。

とくに感心していたのは、私生活も含めて何をするにも野球に結びつけている大谷のライフスタイル。これには花巻東・佐々木監督、日本ハム・栗山監督ら歴代の指導者も「ほかに楽しみはないのか」と半ばあきれていたほど。が、同い年の萩野と瀬戸は、そこまで野球に徹しているのがすごいとリスペクトしているのだ。

というわけで、野球の側から水泳を見ていて、大谷の存在感と影響力を改めて感じた。コロナ禍が早く終息し、94年組のアスリートたちの交流が再開されることを願う。

☆あかさか・えいいち=1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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