平和への願い カトリック修道士 小崎登明

By 聖母の騎士社

核兵器の廃絶なくして、平和は来ない

 

 太平洋戦争の末期、長崎市の浦上に、バクダンが炸裂した。その瞬間、強力な爆風で、人も、建物も、吹き飛ばされた。ものすごい高熱の温度で、人間は真っ黒コゲになって死んだ。

 死なない人でも、ひどいヤケドを受けた。ヤケドに、ウジ虫がわき、生きながら腐れて、死んだ。生き残った者も、ヤケドの皮膚はつり上がり、顔や、手足、腹の皮がゆがむ、みにくいケイロドになった。

 全身に、何も傷を受けていないからと安心していると、その人たちが数日後、虚脱感が起こり、髪の毛が抜け、歯ぐきから血が出て、血便と高熱で死んだ。

 何というバクダンか?

 これまで無かった、新型爆弾だ。しかも、たった一発のバクダンだ。

 飛行機から投下し、空中で爆発した。『ピカッ!』と光って、『ドカン』と音がした。だから『ピカドン』と呼んだ。

 長崎に『ピカドン』が投下された直後、無傷だった私は、ふらふらと爆心地へ向かって歩いていた。町は全壊。山の草木も荒廃した。世の終わりか、とさえ思われた。放射能のことは全く知らず、十八日間、廃墟の丘で生活した。 

 私たちは『ピカドン』で死んだ人たちを、「ガスを吸って死んだ」と言い、「七十年は草木も生えない」と噂した。

 そのバクダンは、『原子爆弾』と分かった。

 たった一発で、こんなに多くの人が死んで、よいものか。怪我して、よいものか。かろうじて助かった者は必死になって、逃げた。助けを求める負傷者の、手を振り払って、逃げた。

 後になって、申し訳ないと、罪の意識にさいなまれた。……

 原子爆弾は、恐ろしい。強烈な爆風と、高温の熱線と、骨の髄まで侵す放射能が、出たことが分かった。核爆弾、放射能の恐ろしさ、あの惨事は、歳老いても忘れない。

 放射能の影響は、後々まで、生活に、生涯に、恐怖と、不安を与えた。しかも被爆者は、冷たい目で見られ、就職も、結婚も断られ、差別に苦しんだ。……

 被爆者は、叫ぶ。自分を傷つけた、愛する人を殺した、原爆を許すまじ。人間を返せと、叫ぶ。人類の滅亡、許してなるものか。核兵器の廃絶なくして、平和は来ない。

 

児童・生徒・学生たちに

 

 私は母を失い、家を失い、すべてを失って、原爆の丘をさまよい歩いたときに、気がついたことは、人間の弱さであり、恐ろしさであった。つまり私は、人間を裸にした根底に潜む、人間のエゴというべきか、『助けなかった』『困難から逃げた』『仇なる人間を許さなかった』、その底の部分を、十七歳の、まだ汚れていない心身で強烈に感じ取ったのである。

 それは、今の君たちのクラスにも、有るのではないか、と人間の原点に迫っているわけだ。自分だけが幸福になろうとする独自性かも知れない。他人を絶対に許さない、排除しようとする憎しみかも知れない。

 私が伝えたいのは、私自身が体験し、理解した、人間の弱さであり、恐ろしさなのだ。

 一人の人間が、愛の豊かな頂点に達し、またその同じ人間が、憎悪のどん底に落ちていく。その手のヒラを返すような変貌こそ、民族間の争いがあり、国と国との戦争があり、見えないテロの行為が現れてくるのではないか。……

 私はカトリック修道士として、児童・生徒たちに、自らの被爆体験を語り、平和の尊さを告げる。またコルベ神父の身代わりの愛を話し、自分のエゴ、我が儘を抑えることを教える。コルベの愛は、『無償の愛』である。本物の愛である。それを分かって貰いたいのが、私の願いである。

 正しいと思ったことを貫く『勇気』と、悪に負けない『勇気』。それにコルベ神父は、仲間が死んで行くのを見て自分もその中に入り、痛みを共有しようと自ら進んで、身代わりを申し出た。

 「人間の痛みを分かり、その痛みを共有する心が平和の原点です。隣りの人、クラスの人、家族など、身近な人の気持ちが分かる人間になってほしい」

 『愛』の素晴らしさの理解と、『いのち』の大切さこそが、現代人の唯一の課題であろう。

 講話の後、男子中学生から手が挙がり、こんな質問が出た。

 「どうやったら、コルベ神父のような、強い人になれますか」

 私は答えた。「人間は、いつまでも弱い。私も、コルベ神父のように人を助けることが出来るか。迷いがある。しかし希望をもって、コルベ神父の姿を見上げて、生きていくことが大切ではないか」……

〔小崎登明『平和の語り部』(自費出版二〇〇二年)より〕

 聖母の騎士 2021年8月号より掲載

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