津軽三味線の第一人者として活躍する吉田兄弟の弟、健一さんに迫るインタビュー第2弾。
第1弾では三味線との出会い、注目を浴びたキッカケ、活躍する為の努力を語って頂きましたが、今回は数多くの作品とのコラボについて(ましろのおと・ジビエートプロジェクト)、そして第一人者としてヒーローを目指す方々へのアドバイスなどを公開。
インタビュー(第1弾)津軽三味線との出会い、兄とのユニット結成秘話、注目を浴びたキッカケや活躍する為の努力
【数多くの作品とのコラボ(アニメましろのおと監修)】
―― 数多くの作品とのコラボという部分では、アニメ『ましろのおと』の監修をされているということですが、最初お話を聞いた時はどう思われました?
©羅川真里茂・講談社/ましろのおと製作委員会
吉田 『ましろのおと』は原作でずっと月刊マガジンで連載されていたんですけれども、実は最初からアニメに向かってやっていたんですよね。やっていたというのは僕らと実際にイベントをすで数多くやっていて。
―― 元々プロジェクトだったのですね。
吉田 そうなんです。 連載決まった時から最初に僕らの名前が出てくるんですよ。原作の中に三味線で有名なのはこういう人だよねみたいな会話が出てくるんですけれども。普段これを読んでる人達って絶対音が分からないじゃないですか。じゃあ音を再現するイベントをやろうといって羅川真里茂(ラガワマリモ)さん、原作の彼女とずっとイベントをやってきて、それでやっとこのアニメの話が決まってというところで。監修と聞くとやっぱりすごい先生とか家元とかそういう方々がやるような名前じゃないですか。そうじゃなくてやっぱり僕らの感覚で今のアニメにあったものを作ろうという。実は僕が監修していてプラス奏者が10人ぐらいいるんですけれども全部僕らより年下なんですよ。10代もいる、高校生もいるんです。
―― そうなんですね。
吉田 実際に『ましろのおと』は高校生の話だから話もあってくるから、ちょっと言葉は古いですけれどもフレッシュな音というのはやっぱりその時しか出せない音があるんですよ。やっぱり今の僕でしか出せない音もあるけれども、僕が昔の音を出せと言われても出せない。じゃあ彼らに出してもらう。やっぱり監修のもとでそういったことを役割分担させて全部で36曲ぐらいだったんですけれども、それをやったのも一昨年で。一昨年の夏にこれを作っていたんですけれども。コロナで延びたというのもあって、その中で『ましろのおと』も兄弟の話なのでどこか自分の活動と少しダブらせながら青春の中で葛藤していくという。でも当時僕らが小さい頃にもしこんなアニメがあったら世間的に大きく変わっていると思うんですよね。だから考えられない話なんですよね。こういうの(作品)が出来上がるということ自体が。
―― ご自身の中で?
吉田 そうなんですよ。三味線のアニメがなんて。
―― でもこの三味線のアニメができるきっかけになったのはある意味、吉田兄弟がいたからこそですね。
吉田 そうだったら嬉しいなと思いますけどね。
―― 絶対そうだと思います。
吉田 羅川真里茂(ラガワマリモ)さん自身も八戸出身なんですよ。やっぱりそういうのもあって、でも元々少女漫画を書いていた方なので『赤ちゃんと僕』とか。
―― 女性作家ですよね。
吉田 少女漫画を書いていた人が月刊マガジンを書くってほぼないんですよ、やっぱり。だから編集者がそうとう口説いてこれを書いてもらったらしいんですけれども、でもやっぱり彼女もすごく勉強家で全国大会にずっと見に来て、僕らもネタを提供してそのやり取りをする中でこの作品がどんどん良い方向になってきているということなんですよね。
―― 『ましろのおと』がアニメで流れていると視聴者の方とか今までまったく三味線の世界に興味がなかった方とかが、この作品を見て自分も三味線をやってみたいとか、学校の中でそういうクラブが立ち上ったりという事が起こりえる可能性がありますね。
吉田 全然あると思います。今大学サークルがすごいんですよ。人数が流派レベルでいます。僕が1番懇意にしているのが早稲田大学なんですけれど、早稲田はもう100人くらいいます。部活動は結構盛んなところはやっていて、今プロになった子達が学生時代に学校で三味線を弾きたくて、その子達が作った部活動が今でも増えてきていて。東京は今、早稲田、明治、慶応が3大三味線サークルです。
―― 結構多いですね。
吉田 めちゃくちゃ多いです。先生を雇ってやってますからね。
―― それは本気のやつですね。
吉田 全国大会にも来ているんですよ。あとはサークル出身のプロ奏者が生まれ始めているんです。3年間、ゼロから始めた子が今プロで活動しているレベルなんですよ。感覚がさっき言った伴奏うんぬんではないんですよ、全然違います。逆にそこから民謡を勉強する子もいるし、他のコラボをやっている子もいるし色んな派生の仕方をしています。
―― すごいですね。アニメプロジェクトをきっかけにその前からそういうのもありますけれどもそれに拍車がかかるような気がするんですよね。
吉田 今回この『ましろのおと』の中でも彼らに演奏してもらっているんですよ。団体戦の所の再現は僕が声をかけて『お願いできる?』と言ってみんなを巻き込んで、自分たちが作曲した曲がちゃんとアニメでかかるという。
―― それは本人たちにとってかなり嬉しいですね。
吉田 ちゃんと名前も出るんです。サークル名がクレジットに。そこを条件にしてアニメの幹事であるDMMさんと交渉したんです。
―― それはすごいいいですね。僕は一応アニメ全クール全作品全部見るようにしているんですけれども、『ましろのおと』も、もちろん拝見させてもらっいます。普通だったらなかなか三味線に触れ合うような機会がないような人でも巻き込めるようなアニメの仕上がりになっていますね。
吉田 僕も結構最初はディープな所に行ったらどうしようかなとすごい思っていたところはあったんですけれども、逆に良い方向にちゃんといったので、絵のタッチとかあると思うんですけれども。だから曲もあんまりディープの方にいかないようにしているんですよ。ちゃんとさっき言った覚えやすいとかキャラクターに合った、そこは全部考えているので。あなたはこの役だよと言って。しかも演奏も当然演奏したものを周りにカメラ10台ぐらい置いて撮ってやっているので再現率が高いんですよね。
―― そうなんですか。僕もすごいなと思いながら聞いていました。
吉田 手元も全部そのまま再現されているんです。だから狂っている場所がないんですよあれ。抑えてる場所全部合っているんです。
―― そこまで再現しているとは、すごいアニメですね!
吉田 そうなんです!10カメありながらレコーディングをしているから奏者はすごく緊張しているんですよね。高校生とか初めての子ばっかりだから。
―― そりゃそうですよね。
吉田 それも僕が昔感じた、高校生の時に先輩方を見てとか CD のレコーディングができたとかやっぱりそういう経験が今もあんまりそういうのがないので、逆に新しい経験としてそういったもの彼らが感じて、サークルの子達はずっと三味線はやらないので、逆にそれが就職した先で和楽器をサポートしてくれるようにしたいという僕の希望なんです。なぜサークルとっていうのはそこなんですよ。ある程度良い会社に勤めていただいてそれを還元してもらうという。やっぱり体験って忘れないと思うんです。
―― 確かに。触れ合った部分での同志的結合みたいな部分で社会に出てもまたある意味和楽器への還元というのを期待しますよね。
吉田 そのためにやっぱり僕も早稲田まで足を運んで行っているので。
―― これを通じてこれからやってみたいという人達が増えていきそうですね。
吉田 話を聞いたら今年もめちゃくちゃ入った人が多いって言ってました。
―― 間口がやっぱり広がりますよね。
吉田 一気に広がりますね。 今回もまだ本で言うと10巻ぐらいまでの話なので、今30巻近く出ているので、やっぱり続ける方向で動いていきますから、また今度レコーディングに参加する子ももっと若い子参加させてあげたりとか、そういうことがどんどんできてくるのかなという風に思います。
【ジビエートプロジェクト、SUGIZOとのコラボ】
―― この『ましろのおと』がどんどん間口を広げる役割になっていければいいなと思いますね。 いよいよここで青木さん(ジビエ―トのプロデューサー)とのつながりのジビエートプロジェクト、 SUGIZOさんとのコラボもありましたけれども。声をかけられてまずどう思いました?
※ここでジビエ―トプロデューサー青木氏が登場
ジビエ―トプロデューサー青木良氏(右)
青木 『ましろのおと』より後の話だよね?
吉田 話を並行してはいたんですけれども、そもそも公開の時期がちょっと違ったのでこの劇伴を作ったよりも後ですね。これの方が後です実際は。主題歌ということ自体、三味線で主題歌って聞いたことがないしそもそも。あとは歌がないじゃないですか。 SUGIZOさんとも話していて『歌がない主題歌のアニメってあるの?』って。そしたら SUGIZOさんが『ルパンがある』って言ったんです。それで確かにみたいな。それぐらい和楽器界にとってもアニメ界にとっても歌がないもの主題歌にするって青木さんも制作委員会とかで話された時に賛否両論は絶対にあったと思うんですけれども。それを青木さんがゴリ押ししていただいて(笑)
青木 世界同時公開なのに日本語が邪魔なんだよって言ったんですよ!
吉田 青木さんが考えているのが日本じゃないですよ。
―― 確かにカンファレンスとかでもそういうのをやられていましたね。
青木 それでというのと1個特筆すべきは出来上がったものが、三味線の限界を超えるんじゃないかぐらいのすごく攻撃的な曲が出来上がったということで、お兄ちゃん(良一郎 さん)ともフレーズの取り合いをここでもやってくれたというのが(笑)
吉田 (笑)最初に青木さんとこの話をいただいて、制作に入ろうといった時にやっぱりまず青木さんが何をイメージしているのかというのが CM とかもそうだと思うんですけれども大事なところで。何回もお食事ご一緒させてもらっているので、しっかりと聞く中で2人でスタジオに入ったんですよ。こんな感じですかねとプレゼンして、そのフレーズをもとに SUGIZO さんと始めたので。これはすごく良かったかなって思っていて。その後 SUGIZO さんからある程度の尺でデモが上がった時にはほぼ80%ぐらい出来上がってた感じだったんですよね。
―― じゃあ最初からスイングも良かったという感じですかね。
吉田 既にフレーズにメッセージがあったというかそういう感じだったと思います。
―― SUGIZO さんとのコラボも気持ちよくできたんですね。
吉田 はい。変拍子、いわゆる偶数で割れないような難しいフレーズとかもかなり盛り込んだ結果、すごく再現性が低くなってしまいました(笑)
―― (笑)難しすぎて?
吉田 難しすぎて(笑)1回やったんですけどもバンドメンバーもすごく難しいから緊張しているんですよ(笑)
青木 聞いてファーストの公開の時に言ったんだよ。『お兄ちゃんの顔と健一の顔が…』
吉田 全然楽しめないです(笑)
青木 ちなみになんで SUGIZOさんかというのも、たまたま重なるのが20周年だということで20周年の題目で作るのに別にお任せしても良かったんだけれども、単純に華としてもう1つぐらい添えた方がコラボレーションといっても逆に伴奏者としてのコラボレーションは多かったから、逆にそうじゃなくて自分たちが主役で立ててもらうようなコラボレーションをしてみなよと言って SUGIZOさんにお願いしたという。
吉田 そうなんですよ。ちなみに SUGIZOさん和が大好きだから和太鼓とかのチームとかとも一緒にやっているし、ものすごく好奇心のある方です。三味線の話もさせていただいて、プロデューサーという立場のお仕事をやっぱりすごくされているからプレゼンしても、もちろんだめとも絶対に言われないし、それで何とか形にしていくという中で、いくつか提案した難しいフレーズも何パターンか欲しいと言ったから全然違うものをいっぱい送ったら結局全部使われてめちゃくちゃ難しくなっていたんですよ(笑)『プレゼンはしましたけれど難しいですよあそこは』と言ったら、『健一君が送ってくれたやつじゃん』って。『全部使うって言ってないじゃん『(笑)』みたいな。結局兄貴が弾けないみたいな(笑)それを見て青木さんが笑っているわけですよ。
青木 俺は全部頭に入っていたから、これは今どういうことが起こっているんだろうと(笑)
吉田 それぐらい難しいんですよ。1番『ガーっと』盛り上がるところ。それが終わって大サビで『ズバーっと』解放されるところがあるんですけれどもすごい難しいんですよね。
※ここで青木氏がその時の動画を流す。
―― すごいですね本当に。
青木 SUGIZOさんもよくやってくれました。自分が弾かないからって(笑)
吉田 そうですよね(笑)
青木 でもSUGIZOさんはアレンジという役で脇役になってくれたからエンディングは作曲ということでどうぞっていう風にやったわけですよ。
吉田 ちょうどお互い SUGIZOさんとも話して、LUNA SEA が30周年迎えたので、当然 LUNA SEA とか高校生時代に聞いていた方だし、あの感覚を持っている人が三味線をアレンジしたらどうなるかなという興味はめちゃくちゃあったんですよね。だから弾いている時に色んな高校生時代の思い出とか色んなものが出てきてしまって、すごい楽しかったし良い経験をさせてもらったなというのが1番ですね。
―― やっぱり色んな大物、天野(喜孝)先生なんかも含めて日本を代表するような皆さんがプロジェクトチームを作ってやっていたのですごいなという風に思いました。 その中で吉田兄弟のお2人もパーンと出られて。
吉田 僕らが1番年下だったのでね。僕らで大丈夫かなと思って。本当は去年の5月でしたっけ上海行くはずだったのは?
青木 そうだね、5月1日に上海で全員が揃うっていうステージがあったんです。でもコロナで飛んてしまって。
吉田 そのあとロス(ロサンゼルス)もありましたよね。
青木 ロスでは俺と天野さんと吉田兄弟が行って演奏するというのが決まってたんですよ。
吉田 実際は本当の舞台とかステージの本番で SUGIZOさんと一緒にやってないんですよ。やれてないんです。本当はその上海でやれたらねという話はあったんですけれども、結局なくなりそれだけが僕は悔いで。どこかでSUGIZOさんとがっつりやれる時が来たらいいなというのは今でも思います。
―― それはある意味ひとつのまた夢で残しておいても。今後の可能性としては。
青木 (ジャイアント)馬場対(アントニオ)猪木みたいなもんですかね(笑)
―― (笑)そうですね、 幻に。でも非常に嬉しいなと思います。
次ページ:コロナ禍での活動、これからヒーローを目指す人にアドバイス
【コロナ禍での活動】
―― そういう部分での。今多くの人々が苦しんで大変かと思いますけれども芸能人の皆さんも本当に大変ななかコロナ渦での活動という部分ですね。
吉田 僕らも少なからず影響があって、コンサート自体が主軸で色々と活動をしてきたので。和楽器って楽器自体は音は振動で伝わるものですから、会場では成立するんですけれども、オンライン配信では成立しないんですよね。
―― 感動の度合いが違いますよね。
吉田 全然違います。1回配信をやったんですよ。これは向かないなって。映像作品として残すのはありだと思うんです。それを配信するというのはありなんですけれども、やっぱり生でやる意味というのが全然感じられなくて自分の中で。やっぱりそうじゃない方法、今でしかできない方法ってなんだろうって自分でも考えたし。より対面でできることというのがこんなに価値があるものだなっていうのをそれは皆さん感じていると思うんですけれども、特に和楽器奏者はみんな感じていると思うんですよね。政府の方針もあってどんどん中止になっていくというところになるんですけれども、やっぱりお客さん1人でもいいからいて欲しいという気持ちがすごく強くなりましたね。やれることのありがたさというか、それは奏者みなさん感じていることなんじゃないかなと思いますね。
―― 本当に色んな所で人が見てくれているから力がより発揮できるみたいなところもきっとあると思うので、早く以前のように人がいっぱい入って楽しめる空間が作りたいですね。
【これからヒーローを目指す人にアドバイス】
―― そして、健一さんは色々なコラボなど活躍されているかと思いますが、これからヒーローを目指す人に何かアドバイスが出来るとしたらどういったことがありますか?
吉田 何でしょうね。自分自身なろうと思ってなったわけではないから。でも少なからず先駆者と呼ばれる位置に自分達はいて。当時いなかったものが本当に0が1になった瞬間だったんですよね。今弾いている若い子達ってだいたい僕らの活動を見て来ている子達で三味線奏者の就職先ではないですけれども、仕事としてこういうものがあるんだというのを僕らは明確にやってきた。やっぱり自分達が光になれるかなれないかだと思うんですよね。ヒーローかどうかということとの違いは。やっぱり人と違うこととか、今ないものをという興味とかをいかにアンテナを張って生活するかというところが世の中にヒントがいっぱいあると思うんですよ。そこら中にあると思うんです。それをキャッチできる自分であるかどうかというところの自分磨きをやり続けるということが、これはどのジャンルでもそうなんじゃないかなって思います。
―― なるほど。 本当に今まで生きてきた中で触っている時間の方がある意味多いんじゃないかなということですよね。
吉田 やっぱり最初ってその人に興味があるかどうかじゃないですか。話した時に大体分かりますよね。興味がある人間になれるように、人から見てこの人と何か一緒にやったらすごく楽しそうとか何かが起きそうというワクワク思えるような人であり続けることというのは、ヒーローであることはもちろんだと思うんですけれども、生活自体を豊かにしていく。特にコロナ禍もそうですけれどもやっぱり興味があることを伸ばすことによって、すごい暗い中でもひとつ光を見いだすことにもなるしその光が意外とすごく大きいものになったりとかやっぱりあるんじゃないかなって。それは今まさに心の中で強く思っているというところはあります。
―― なるほど。ありがとうございます。
【あなたにとってのヒーローとは?】
―― 最後の質問になりますが、吉田健一さんにとってのヒーローとは?
吉田 前の話とかぶるんですけれども光ですかね。光続けて自分が光って照らすことができる、両方できる人が本物のヒーローだと思います。
―― なるほど。ありがとうございます。本日は有難うございました。
吉田 こちらこそ有難うございました。
インタビュー(第1弾)津軽三味線との出会い、兄とのユニット結成秘話、注目を浴びたキッカケや活躍する為の努力
吉田兄弟Yoshida Brothers
吉田 良一郎 / 吉田 健一
2019年、デビュー20周年を迎えた、津軽三味線の第一人者、吉田兄弟。
北海道登別市出身。ともに5歳より三味線を習い始め、1990年より津軽三味線奏者初代佐々木孝に師事。
津軽三味線の全国大会で頭角を現し、1999年アルバム「いぶき」でメジャーデビュー。邦楽界では異例のヒットを記録し、現在まで15枚のアルバム他を発表。2003年の全米デビュー以降、世界各国での演奏活動や、国内外問わず様々なアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。
2015年には「連載完結記念NARUTO-ナルト-展」とコラボした楽曲「PRANA」がリリースされ大きな話題となった。また、良一郎は代表的な和楽器による学校公演を中心とした新・純邦楽ユニット『WASABI』を始動させ、健一は平成27年度文化庁文化交流使としてスペイン・バルセロナに滞在し活動したことをきっかけに、現在もバルセロナ高等音楽院で津軽三味線講義を毎年行っている。
2017年は映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』日本語吹替え版主題歌として「While My Guitar Gently Weeps」で参加。また、2000万回再生を誇るレッドブル・アスリート、ジェイソン・ポールによるパルクール映像のBGM「Cool Spiral」を提供、配信。
2019年は世界10か国でレッスンと世界大会予選を行い、聖地秋葉原の神田明神ホールで世界大会決勝を開催したヲタ芸/サイリウムダンスの世界大会に、” 吉田兄弟×Tom-H@ck CYALUME DANCE WORLD BATTLE テーマソング「雷 –IKAZUCHI-」を提供、配信。『東京2020オリンピック1年前セレモニー ”1Year to Go! ” 』ではオープニングパフォーマンスを努めた。
同年、日本の有名クリエイターが「和」をテーマに世界に向かって創り上げる『GIBIATE(ジビエート)』プロジェクトへの参画が決定。
2020年7月から放送を開始する同プロジェクトのアニメオープニングテーマ曲「GIBIATE」を、LUNA SEAやX JAPANのギタリストとして活躍するSUGIZO氏と共同制作し発表した。
そして本年、デビュー20周年記念アルバム「THE YOSHIDA BROTHERS」を発売。
世界に通用する唯一無二の津軽三味線アーティストとして、日本伝統芸能の枠を超え、幅広い活躍が期待されている。
※吉田兄弟公式サイトより
●公式サイト:
●公式Twitter:https://twitter.com/yoshida_kyodai
●公式Facebook:
●公式YouTubeチャンネル:
●吉田健一さんTwitter:https://twitter.com/kenichi_shami
(インタビュアー:山口義徳)