【読書亡羊】まるで中国要人の主張を読んでいるみたい 富坂聰『「反中」亡国論』 その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末、もとい、今回は連休書評!

「中国から見る世界観」を知る

7月30日に都内で行われたシンポジウムで、中国の孔鉉佑駐日大使はこう述べたという。

「ジェノサイド(集団殺害)という世紀のウソが広まっている」

「(ウイグルや香港について)米国や西側の一部の人々は民主主義や人権の名目でこれらの問題を政治的に操作し、本当は中国の発展を封じ込めることを狙っている」

本誌読者からすれば噴飯物の主張だろう。だが、「中国から見える世界観はどういうもので、どういう論理で反論してくるか」「日本や欧米など、自由主義国からの指摘を、どう逆手に取って攻撃してくるか」を知っておく必要はある。こうした孔大使の主張も、それを知るためのひとつの材料にはなる。

今回取り上げる富坂聰『「反中」亡国論――日本が中国抜きでは生きていけない真の理由』(ビジネス社)も、まさに「中国側の言い分」を知るのに最適の書と言える。

富坂氏と言えば『文藝春秋』8月号の阿古智子との対談「〈徹底討論〉習近平と『ウイグル大虐殺』」が話題となった。中国の人権派と近く、研究者としても長く中国社会を見てきた阿古氏の中国批判に対し、中国当局者の意見そのものとも見まごう反論を繰り出していた。

その富坂氏の手になる『「反中」亡国論』となれば読まないわけにはいかない、と読んだのだが、そこには驚きの読書体験があった。

「欧米の尻馬に乗る」日本を批判

先の『文藝春秋』でも話題になったウイグル政策について、富坂氏は本書でこう述べている。

新疆ウイグル自治区内で「強制労働」または「ジェノサイド」と呼べるような実態があるのか否か。それを精査して読者に提供する能力が私にはない。

ところがそのあとに、こう続く。

一方、私以外の人間に、この真相を書く能力があるのか、と言われれば、これも間違いなく「ない」と答えざるを得ないだろう。

それがなぜなのか、真意を測りかねるが、要するに現在の日本におけるウイグル言説は西側先進国の言い分を垂れ流しているだけであり、各国の研究機関、報道局も〈何一つ明確な証拠を示せてはいない〉ことが核にあるようだ。

続けて富坂氏は、在外ウイグル人は単に切々と自身の不遇を訴えるだけでなく「政治的意図がある」のであり、実際にウイグルには独立を目論む「テロリスト」も存在している。ウイグルだけでなく、台湾や香港の背後には、欧米などの外局勢力の影響が見え隠れしている。

ましてや証拠もないうちから欧米の尻馬に乗るだけの日本の保守言論人の「口先だけの勇ましさ」は、日中の関係を悪化させ、むしろ日本国民を経済的にも苦境に陥れかねないのだ、と説く。

中国や親中派の言い分であるというならば納得だが、以前から中国分析を続けてきた拓殖大学教授であり、一時は櫻井よしこ氏が理事長を務めるシンクタンク「国家基本問題研究所」にも籍を置いていた富坂氏の主張となると、驚かれる向きもあるかもしれない。しかし本書は全編にわたり、ほぼこうした様相なのである。

それでも確かに中国に厳しい保守系論者・識者の視点からは得られない新鮮な切り口や重要な情報も得られるため、読む価値は大いにある。

いや、ぜひ読んだ方がいい。

かなり逆説的な言い方になるが、本書は「中国側から見ると、この世界はどう見えているのか」「中国が『戦狼外交』と呼ばれる姿勢を、他国から批判されてもまだなお続ける理由はどこにあるのか」といった、「中国側のOSで世界を再定義する」ためにはうってつけの一冊だからだ。

筆者は「中国」だと思って読むべし

しかも日本人である富坂氏が書いているからこそ、「中国が日本に対してどういう点を突いてくるか」がより分かりやすくなってもいる。次の一文などはまさにそうだろう。

ウイグルの問題で日本が中国の内政に口を出せば、中国から何らかの強いリアクトがあることを覚悟しなければならない。(日本にとって最大の貿易相手国である)中国と日本が深刻な対立に陥れば、日本経済へのダメージは計り知れない。

そしてのちに日本国内に失業者があふれ、国民一人ひとりの収入が、いま以上に大きく目減りするという影響が明らかになったとき、「それでもウイグル族のために戦ってよかった」と日本人が本当に思えるのであれば、それでもよいのだが……。

駐日中国大使の弁であるとしても違和感はなさそうだが、間違いなく富坂氏の主張である。

つまり、日本人であり、どちらかと言えば保守なのではと考えられている富坂氏の主張だと思うから「中国の代弁者!」などと違和感や反発を覚えてしまうが、「中国が言いたいのはこういうことなのだ」「日本に対してこういう視線を向けている」と主体を中国に置き換えて読めばストレスはないのである。

数年前には中国国内の拷問施設を批判

それにしても、という声も聞こえてきそうだ。富坂氏は保守系雑誌にも執筆していた中国事情通であり、さほど激烈な「反中派」ではなかったとしても、客観的・第三者的な、バランスの取れたジャーナリストとしての視点から記事を書いていたのではなかっただろうか。

試しに、ここ5、6年以内に富坂氏が出版した著作を数冊、確認してみたが、「労務所」と呼ばれる施設で行われていた「殴る蹴る」「電気ショック」といった非道な拷問を紹介するものもあった(『中国 無秩序の末路』角川新書)。

『「反中」亡国論』でこの件は引用されていないが、こうした拷問を2013年段階で行っていた中国が、独立派すら含むウイグル族に対して人権弾圧を行っていない、と考える方が難しそうである。あるいは中国の人権意識が変わったというなら、その旨も指摘してほしいところだ。

他には「中国崩壊論」「アメリカが中国を今度こそやっつける」といった安易な風潮が日本の取る道を誤らせる、と言った、ある意味今回の『「反中」亡国論』に通じる主張(『中国がいつまでたっても崩壊しない7つの理由』ビジネス社)もあり、これには同感ではあるのだが、それにしてもここ数年のうちにどうしてこうも中国傾斜がきつくなったのかという疑問は残る。

「これ以上、中国に口を出すと戦争に」は誰の意見か

今回の『「反中」亡国論』が、「筆者自身の思想・考えは別として、中国側から見ると世界や日本はこう見えている、という視点を提供する」と銘打っているのであればいいわけだが、そうではない。

もちろん、中国同様に欧米各国の意見や報道も疑い、「日本」が主体の視点を持つべきである、というのであれば大賛成なのだが、本書は明らかに「中国視点」に大きく傾いている。

それゆえに「他国の人権に口を出し、内政干渉まで行う。それによって戦争を引き起こさないよう、日本は注意すべきだ」という趣旨のあとがきの指摘――つまりある意味で最も筆者の本音がつづられる部分での言及――さえも、「これ以上口を出すと戦争になるぞ」と中国に脅されているような気になる。

それをわかって読む分には得るところが大きいのでぜひおすすめしたいのだが、そうした逆説的な読書をするのには、読む方も小欄のように相当性格が悪いか、あるいは異論を聞かされても読み続けられるくらいの忍耐強さが必要かもしれない。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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