【エルムS】このレベルの馬がGⅢに出走するのは〝反則級〟 北の大地でアドマイヤドンが貫禄勝ち

エルムSを前に札幌競馬で追い切りを行うアドマイヤドン

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2003年エルムS】

松田博資調教師にとって、桜花賞とオークスを制したベガは特別な馬でして、常日頃から「あの馬のおかげで現在の自分がある」と口にしてました。

もちろん、その産駒も自らの手で…と思っていたでしょうけど、初年度産駒のアドマイヤベガ、2番仔のアドマイヤボスはオーナーの信頼が厚かった橋田満厩舎に。しかしながら、それに関するコメントは一つも聞いたことがなく、2頭の活躍を心から喜んでいましたね。アドマイヤベガが初めての時計を出すとき、僕は松田博調教師と一緒にいたのですが、話の途中で「ベガの仔が追い切るらしいから、そっちを優先しよう」と。2人揃って坂路モニターの前へと移動した記憶があります。いい思い出ですよね。後のダービー馬の追い切りだったわけですから。

アドマイヤドンは松田博厩舎に入厩した最初のベガの仔で、ベガも担当した山口厩務員が手がけた馬でした。サンデーサイレンス産駒だった上の2頭と違い、この馬の父はウッドマン産駒のティンバーカントリー。ダート色の非常に強い種牡馬で、それが最大の懸念材料でしたが、アドマイヤドンはティンバーカントリーらしくないスラッとした馬。「体型は芝やし、先入観で走る場所を決めたくない」とデビューから3歳秋まで芝のレースを走り続けたのも、それが理由です。GⅠ(朝日杯FS)も勝っていますし、その判断は決して間違ってなかったんですけど、ダートでのパフォーマンスが凄すぎて、現在では芝を走っていた時代を思い出すことが難しい状況になってしまいました。

「結局はティンバーカントリーだな」と言われることをトレーナーは嫌がっていましたし、安藤勝己騎手も「乗っていてダート馬の感じはしないんだけどな」と言っていたのですが、ダートGⅠ6勝の成績を見てしまったら、やっぱり適性はダート(苦笑)。ベガの血はどこに行ってしまったんだろう? という感じで取材していたましたね、当時は。

ダートに路線を変更したアドマイヤドンはGⅠばかりを走り続け、ダートでGⅡ以下のレースに出走したのは2003年エルムSの一度きり。札幌競馬を大切にしていた松田博厩舎(ブエナビスタ、ハープスターも札幌記念に出走させてました)らしい選択ですよね。GⅠでも無双していたくらいの馬が、ローカルのGⅢに出走したのですから、半年ぶりの実戦でも楽々と勝って当然。なのに、前走・フェブラリーSの11着惨敗が懸念材料になったのか、単勝は270円と“一本かぶり”ではなかったんです。

中団から競馬を進め、4コーナーで前の馬を射程圏に入れる無難な競馬。セオリー通りの競馬をして、3馬身くらいは離すかな…という感じで見てましたけど、200メートルを切ってからは独走になってしまった。ホント、あっという間に引き離しちゃいましたね。2着トシザボスにつけた9馬身の差はアドマイヤドンのキャリアの中でも最大の着差(次位は2002年JBCクラシックの7馬身差)であり、1999年ニホンピロジュピタの5馬身を上回るエルムSの最大着差(GⅢ昇格以降)。このレベルの馬がGⅢに出走したら「こうなってしまうよな」という見本のようなレースと言えるでしょう。

もちろん、アドマイヤドンのキャリアの中では目立つ勝利ではありませんが、エルムSというレースの中では最上級の馬が登場した記念すべきレースだったのです。

© 株式会社東京スポーツ新聞社