“映え”の元祖は江戸時代にあり…俳優・片桐仁が名画で巡る“映えの変遷”

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。6月19日(土)の放送では、「府中市美術館」で“映える”作品の変遷を辿りました。

◆江戸の大絵師・歌川広重の"映える画作り”

東京・府中市にある「府中市美術館」は、2000年に開館。江戸後期から現代に至るまで2,200点を超えるコレクションを所蔵しています。今回、片桐はそこで開催されていた展覧会「映えるNIPPON 江戸~昭和 名所を描く」へ。

「映えるって響きいいですよね。最近では『ばえる』という言い方も流行っていますが、日本では昔から『映える』景色が喜ばれていた。今回は日本中の映える景色をたっぷりと楽しませていただこうと思います」と期待を寄せます。

この展覧会では、江戸時代以降の芸術家たちが美しい景色を目にしたとき、いかに構図や画風を試行錯誤してきたのか、"映える画作り”の変遷を紐解いています。

同館の学芸員・大澤真理子さんの案内のもと、片桐がまず向かったのは"映える画作り”の礎を築いたとも言える江戸の大絵師・歌川広重の名所江戸百景「隅田川水神の森真崎」(1856年)。

手前に大きく桜の枝、その背後に隅田川、その向こうに筑波山が描かれていますが、「筑波山はこんなに大きくないですよね」と片桐。まさしくその通りで、実際の縮尺はかなり違い、これは"映える”ための画面操作だったと言えます。

歌川広重といえば、東海道五十三次をはじめ、日本の名所を数多く描いています。この名所江戸百景は、手前にあるものを極端に大きく描く斬新な構図が大きな特徴で、片桐も「独特ですよね。極端に映えるようにというか、インパクトですよね」と感嘆。それこそ広重の"映える画作り”で、これは江戸の絵師だけでなく、西洋の画家にも大きな影響を与えました。

一方、名所江戸百景「両国橋大川ばた」(1856年)は、「隅田川水神の森真崎」とはまた違った構図に。

こちらは高いところから見下ろすように描かれており、「手前にドンではなく、"Z”の構図というか、完全に分断していますよね」と片桐が語るように、画面を分断するかのように対象物を置き、よりインパクトを与える構図となっています。この「画面の大胆な分断」が2つ目の広重の"映える画作り”のポイントです。

◆明治、大正、昭和の広重の名作が揃い踏み

続いては、広重の影響を受けた後の時代の画家たちがどんな映える風景を描いたのかを見ていくことに。まずは"明治の広重”と呼ばれた小林清親です。1873(明治6)年に渋沢栄一によって創設された日本最古の銀行・第一国立銀行を描いた「海運橋(第一銀行雪中)」(1876年頃)を見た片桐は、「広重が幕末だから、20年ぐらいしか違わないのに、かなり印象が違いますね」と率直な印象を述べます。

それもそのはず、小林は西洋画を学び、明治初期の東京の風景を切り取りました。「この立体感は完全に西洋の描き方」、「スナップ(写真)のような感じ」とその写実性を認め、「江戸時代とはまた違う作品にみんな驚いたでしょうね。この時代の面白さ、エネルギーを感じますね」と片桐は感動していましたが、こうした西洋の写実的な画風を取り入れたことが小林清親の"映える画作り”のポイントです。

一方、「千ほんくい両国橋」(1880年)は、広重と同じく「両国橋」をモチーフにしています。

橋自体は架け変わり、広重とは反対側から描いていますが、大きな違いは視線。「これは視線がめちゃくちゃ低い」と片桐も話すように、高いところから描いた広重とは対照的。広重の影響を受け、手前のものを大きく描きながらも、目線の高さを変えたことで、近代的な空気を醸し出しています。

次に、「いいですね~、これは絵ですか?」と片桐が興味深く見ていたのは、吉田初三郎による「神奈川県鳥瞰図」(1932年)。これはその名の通り、鳥の目線から見た作品です。

1884(明治17)年に生まれた吉田はもともと洋画を学んでいたものの、師の勧めにより商業美術に転向。30歳頃から鳥瞰図を描き始め、大正から昭和にかけての観光ブームに乗って人気を博します。そして、名所を描いた作品を数多く残した第一人者としての自負を込め"大正の広重”と名乗っていました。

そんな吉田の「神奈川県鳥瞰図」は縦80cm、横4mを超える大きな作品で、今回の展覧会の目玉作品の1つ。

見どころは満載で、上のほうには「下関」や「門司」など九州にまで及ぶかのような文字があり、こうしたデフォルメ感覚も他の作家とは異なる初三郎式鳥瞰図の特徴だとか。

さらに、"昭和の広重”と言われた川瀬巴水の作品も鑑賞。大正から昭和にかけて活躍した川瀬は、明治期に衰退した浮世絵版画の復興を目指した「新版画」を代表する絵師の1人。代表作「西伊豆 木負」(1937年)では日本の象徴でもある「富士」と「桜」を描き、その桜の枝の垂れ方は広重を彷彿とさせます。

広重は誇張した表現と大胆な構図が特徴的でしたが、これも手前に桜の枝がかかっているものの、写真で撮影したようなリアルな表現で、片桐は「この富士山の位置といい、船の位置といい完璧ですね」と称賛。よくある風景ではあるものの、写実的かつ、川瀬ならではの構成力が爽やかな印象を与え、昭和という時代にあった映える作品となっています。

◆映える風景画からは画家の顔が見えてくる

そして、最後に紹介するのは和田英作。彼は近代洋画の父・黒田清輝に学び、後年には東京美術学校の校長も務め、黒田の後継者とも呼ばれましたが、富士に魅せられ、刻々と変わり続ける富士山を描き続けました。

山梨県側から描いた王道的な「富士」(1918年頃)もあれば、「三保富士」(1953年)は静岡県側、三保の松原から見た富士山も描いており、手前に松を配して向こうに富士を望む構図は、まさに広重の流れを汲む映える風景を描くためのもの。

山梨県側から描いた王道的な「富士」(1918年頃)もあれば、「三保富士」(1953年)は静岡県側、三保の松原から見た富士山も描いており、手前に松を配して向こうに富士を望む構図は、まさに広重の流れを汲む映える風景を描くためのもの。

◆「片桐仁のもう1枚」は、小杉未醒の「日光」

ストーリーに入らなかったものから、どうしても紹介したい作品をチョイスする「片桐仁のもう1枚」。今回、片桐が選んだのは、日光東照宮の陽明門を描いた小杉未醒の「日光」(明治期)です。

片桐は昨秋に陽明門を訪れたそうで、「明治時代の絵なんですけど、今も全く変わらない。それがすごい」とビックリ。そして、最後はミュージアムショップへ。広重の手拭いに興味を示しつつも、府中市美術館のゆるキャラ、頭にパレットが乗っている「ぱれたん」と紫色をした「むら田」のポストカードに心奪われる片桐でした。

※開館状況は、府中市美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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