侍ジャパン稲葉監督は「野村ID門下の優等生」 ヤクルト時代の先輩が明かす素顔

侍ジャパン・稲葉篤紀監督【写真:Getty Images】

「バントで送るべきところはバントさせるオーソドックスな戦術」

稲葉篤紀監督率いる東京五輪野球日本代表「侍ジャパン」は7日、横浜スタジアムで行われた米国戦に2-0で勝ち、悲願の金メダルを獲得した。現役時代にヤクルトで稲葉監督と10年間チームメートとして過ごし、ともに故・野村克也氏の薫陶を受けた野球評論家・飯田哲也氏は「稲葉監督は野村門下の優等生」と語る。

勝利の瞬間、指揮官は感極まって涙を流し、ナインの手で胴上げされ5度宙を舞った。記念撮影では、選手にのみ授与される金メダルを菊池涼介内野手(広島)から首にかけてもらい、相好を崩した。

「戦術はオーソドックスでセオリー通り。侍ジャパンのメンバーは各球団の主力ばかりですが、それでもバントで送るべきところはバントをさせる姿勢を貫きました。びっくりするような奇策は用いず、非常に真面目な稲葉監督らしい采配だったと思います」と飯田氏。決勝戦も1点リードの8回、先頭の山田哲人内野手(ヤクルト)が右前打で出塁すると、続く坂本勇人内野手(巨人)は初球をきっちり送りバント。1死二塁とし、決定的な2点目につなげた。

「決して弱音は吐かず、闘志を内に秘めていた」

2009年WBSCプレミア12で優勝した時の、気心の知れたメンバーを土台にチームを編成した。「選手の特長を把握し、信頼して采配を振るっていたと思う。選手もそれによく応えていました」とうなずく。

「稲葉監督は現役時代から、感情を表情には出さないタイプ。決して弱音は吐かず、闘志を内に秘めていた。人柄は誠実で、稲葉のことを悪く言う声は聞いたことがありません」と当時を振り返る。

千葉・拓大紅陵高から1987年にヤクルト入りした飯田氏に対し、稲葉監督は法大を経て1995年に入団。飯田氏の方が4歳上で、ともに2004年まで在籍した。1990年から98年まで監督として指揮を執った野村氏からは「ID野球」を存分に注入された。

特に稲葉監督は、野村氏自身がヤクルト監督在任中、当時明大野球部に所属していた長男・克則氏(現楽天育成捕手コーチ)の応援で東京六大学リーグ戦を訪れた際、法大にいた稲葉監督の打撃に目を付け、この年のドラフト3位で指名したのは今や有名なエピソードだ。「常に一生懸命な稲葉監督は野村さん好みで“優等生”でした」と飯田氏は言う。

選手として出場した2008年の北京五輪ではメダルなしに終わったが、13年後に監督としてリベンジを果たした。日本野球界の悲願をかなえた稲葉監督は、どこに次のステージを求めるのだろうか。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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