KONDO RACING 近藤真彦監督インタビュー「モータースポーツは抜けられない魅力がある」

 2021年、全日本スーパーフォーミュラ選手権第3戦オートポリスから現場復帰を果たしたKONDO RACINGの近藤真彦監督。2020年の週刊誌報道の後は謹慎として自宅から指揮を執っていたが、サーキット復帰にモータースポーツ関係者、そしてファンにとっては待望の復帰となった。そんな近藤監督に、2020年のスーパーGT GT300クラスのチャンピオン獲得、そして今後のチーム、モータースポーツ活動について聞いた。

■自宅でサインガードを作っていた最終戦

──まずお伺いしたいのですが、2020年にGT300クラスでチャンピオンを獲得されてから、喜びのコメントをお聞きできていませんでした。またスーパーGTやスーパーフォーミュラ等、KONDO RACINGとしての今後について伺えればと思います。まずは昨年の最終戦富士はどんな状況でご覧になっていたのでしょうか。近藤真彦監督(以下MK):昨年の最終戦は、家で喜んでいました。最終戦はともかく、昨年僕は本来サーキットに行けないことはなかったんですね。“謹慎”と言っても自分から申し出たことなんです。そこで敢えてサーキットに行ったところで、スタッフやドライバーなど、いろんな人に迷惑をかけてしまうかもしれなかった。混乱してしまいますからね。それもあったので、家でほぼリモートワークのような形でやっていました。もちろん、レースウイーク以外はファクトリーに顔は出していましたよ。それは準備の段階ですが、僕から何もスタッフに連絡がなかったわけでもなかったんです。

 あと、他のチームの皆さん、星野(一義)さんしかり、(鈴木)亜久里さん、舘(信秀)さんしかり、『お前何やってるんだ。いつまでサーキット来ないつもりなんだ』とお叱りを受けたくらいでした(苦笑)。『もう少しお待ちください』と言ってね。ある意味、我慢はしました。2020年はとりあえず最終戦までレースに行くのは止めようという気持ちでいたので。でも、行かなかったダメージはそれほどないです。現場にいて、直接人の意見を聞いてレースをするのが監督の仕事で、リモートになると多少タイムラグがあったり、表情が見えなかったりという苦労はありましたけど。

 昨年の最終戦のレース中は、無線機が欲しかったですね(笑)。ドライバーに直接指示を言いたかった。レース終盤、J-P(ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)にも『こらえろ! もうチャンピオンなんだからこらえろ!』って言いたかった(笑)。でも現場にいる何名かには無線機も用意できていて、僕が電話を入れて指示をしたら、エンジニアにすぐに伝わるようにはしました。タイミングモニターとJ SPORTSのテレビ中継を観ながら、自分の机の上に電話をいっぱい置いて……という体制でした。サインガードと同じような環境を作っていましたね。

 そういう仕事の仕方をしていましたが、一方でGT500の24号車(リアライズコーポレーション ADVAN GT-R)はキツいレースがずっと続いていました。そのキツさというのは、あまり自分で言うことではないかもしれないけれど、現実的にニッサンGT-Rが厳しい年で、ヨコハマタイヤも厳しい年になっていた。その“厳しい”ふたつを僕は抱えながら仕事をしていたので、現場に行かずにドライバー、エンジニア、チームのモチベーションを保たせるのはかなり大変でした。

2020年GT300シリーズチャンピオンを獲得した藤波清斗/ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ組(リアライズ 日産自動車大学校 GT-R)
2021スーパーGT第1戦岡山 リアライズコーポレーション ADVAN GT-R(高星明誠/佐々木大樹)
LEON PYRAMID AMGとリアライズ日産自動車大学校 GT-R

──チーム創設から20年間以上戦ってきて、スーパーGTでは悲願の初チャンピオンとなりました。MK:ニッサンGT-Rについては、GT500では昨年だけでなく、ここ2〜3年は全体的に割と苦戦していますよね。一方で、KONDO RACINGとしてはニュルブルクリンク24時間も戦い、ニッサンGT-RニスモGT3の強さというのを感じています。ニュルでは精一杯の成績を出せたと思いますし、あれ以上の成績を来年、再来年に出せと言われてもそう出せるものじゃない(決勝9位フィニッシュ)。それを1年目でやり遂げたのはチームを褒めてほしいし、ドライバーも褒めてほしいし、もちろんヨコハマタイヤも褒めて欲しい。ニュルは3年計画で行って、少しずつステップアップしていく予定だったけれど、コロナ禍で行けなくなってしまいました。でもその次の年に、日本でスーパーGT GT300クラスのチャンピオンを獲れた。

 ということは、ニュルで良い成績を収め、GT300でチャンピオンを獲ったということは、GT3ではKONDO RACINGとしてGT-Rで一生懸命やった結果が出ているんです。残念ながらGT500クラスについては、精一杯努力しているけど、相当まだキツいところがある。でも、少しずつ良くなっていますよね。ヨコハマを履くWedsSport ADVAN GR Supraを見ても分かるけど、横浜ゴムも良くなっている。テストもガッツリやってきました。

 あとは横浜ゴムはモータースポーツ部だけでなく、本体の市販車タイヤをやっている人や、営業さんもすごくモータースポーツのことを気にしてくれているので、もう一度見直そうと思ってくれている。僕もモータースポーツ部だけでなく、横浜ゴムの上層部の皆さんとも話をしています。彼らはモータースポーツだけじゃないけれど、『モータースポーツに力を貸してください』という交渉も何度もしているので、良い意味でモータースポーツに力が来ていると思います。

──2020年、GT300でチャンピオンを獲ったときの話に戻りますが、近藤監督から終わった後、現地に連絡をされたのですか? それともかかってくる方だったのですか?MK:両方ですね。その時は自分のデスクに向かって仕事をしていたので、現場にいたような感覚でした。最後のチェッカーの1秒まで、現場に向かっていたような感じかな。もちろん一緒に戦っていたけど、すぐに現場に飛んでいって、ふたりのドライバーを『よくやったな!』と抱きしめることはできなかったですけどね。でも、今年のレースも観ていて思うけど、最強のGT300チームができあがったな、と思っています。

 J-Pは言うに及ばずなんだけど、一昨年の平峰(一貴)もそうだし、(藤波)清斗もそうなんだけど、JLOCから引っ張ってきちゃったんですよね。それは則竹さん(JLOC則竹功雄監督)に本当に申し訳ないと思っているんだけど(苦笑)。もちろん、すごくハッピーに送り出してくれているんですけどね。あのチームはファミリーで、平峰や藤波を可愛がってくれていたのですが、KONDO RACINGからワークスのような体制で乗れると送り出してくれるので、本当に感謝しています。いつも『良いドライバーだな! どのチームだ』と思って見ると、またランボルギーニだったかっていう(笑)。

 サッシャ(フェネストラズ)もそうなんですけど、みんな欲しいと思っているドライバーなんですよね。僕の場合は、当たり前なんだけど下調べをしたり、過去の成績を調べたりしてる。あとは例えば、お給料の話もありますよね? でもそういうのにあまり時間は使わない。サッシャは、2018年にマカオグランプリで3位に入ったんですよね。その後、彼が日本に来るという話を聞いて、すぐに連絡した。マカオで3位に入るということは、GT300に乗せたら絶対にトップクラスにすぐいくと思っていたから。お金の問題は『あとでいいから』って。

近藤真彦監督も成長に期待を寄せる藤波清斗
2021年スーパーフォーミュラ第3戦から、スーパーGTに第4戦から現場復帰を果たし指揮を執るKONDO RACING近藤真彦監督

■強いチームづくりに必要なこと

──今季、村田卓児エンジニアをチームに招きましたが、それも動きが早かったですね。MK:それも一緒。早いでしょ(笑)? 阿部(和也エンジニア)だってそう。

──村田エンジニアは『近藤監督から一本釣りされた』と言っていましたが、どんな声をかけられたのですか?MK:『一緒にやろうよ』と言いましたね。『ウチに来て、次のことは考えなくていいから、ウチでずっとやろう』と声をかけました。彼も当然悩むわけですよね。大企業がうしろにいたわけですから(元TRD所属)。それでさらに、『(SFに加えて)GT500もやっちゃえば』と。良いタイミングで来てくれたと思っています。この世界、スピードが大事ですから。いろいろな交渉ごとももちろんあるけど、本人がその気になってくれないと。お金なんかの交渉はその後。とにかく欲しい人、欲しいモノは声をすぐかけること。あとからうしろでスタッフが『社長、お金の方は……』と言うんですけどね(笑)。『なんとかなる!』って。そこは星野さんみたいだけど。

──そうしてスピード感をもって声をかけられるということは、情報収集を欠かさないということですね。MK:もちろんそれは僕も努力をしていますけど、ウチには阿立(信昭工場長)だったり、各チームを渡り歩いているメカニックがいるので、なんとなく他のトップチームの情報が入ってくるんです。そこで『心が揺れているみたいですよ』なんて聞いたら、『そうか、もっと揺らせ』とね(笑)。プロのスポーツチームで、野球でもサッカーでもオフになったら当然あることですからね。F1だってそうだし。このスーパーGT、スーパーフォーミュラというレースで勝負する第一歩です。

 結局今までやってきて、このふたつのカテゴリーは『エンジニアやドライバーをイチから育てているカテゴリー』じゃないんですよね。下から育ってきた人をウチに招いて成績を出さないといけない。何年か前までは、ウチは若い子をスーパーフォーミュラをやりながら育ててきたんですよね。GTでもそうで、ウチで育ててニスモがエースドライバーに仕立てるような流れがあった。でも、これだけのスポンサービジネスをしていると、“育てている場合じゃない”という意見も多くなってきたんです。

 スーパーフォーミュラなんかでは、1台は速いドライバーで、もう1台は若手という頃もありましたけど、そうすると『2台とも速いドライバーにしましょう』とスポンサーフィーの交渉をしてくださる方もいるんです。そうすると、スポンサーフィーが上がりました、そのお金を会社でストックします……では強くならない。お金は『人に、道具に使います』ということをしないと強くならないですよね。この仕事はすごく魅力的で楽しいですよ。

──スーパーフォーミュラの話も出たのですが、今季は開幕から少し苦戦気味ですね。MK:これはね、もう僕の出番がないですよね。というのも、すべての道具と人を揃えたんです。それでもみんな悩んでいる。これがスーパーフォーミュラの怖いところ。山本(尚貴)もそうでしょう? だから何かひとつ分かれば、いつ優勝争いをしてもおかしくないと思います。もちろん最後まで諦めませんが、半分くらい気持ちは来年の開幕戦に向かっているかもしれないですね。

──サッシャ・フェネストラズ選手が戻ってこられないのも痛手では。MK:痛いですね。サッシャはスーパーフォーミュラのドライバーとして非常に可愛がってきていますし、GT300の1年目から面倒をみて、両親も良く知っていますし、彼の家族愛も理解しています。また彼のドライバーとしてのストーリーも理解していますが、本来なら、彼にとって2021年は最も大事な年になるはずだったんです。スーパーフォーミュラとGT500で、やっと落ち着いて勝負をかけられる年だったのに、1年を棒に振ってしまった。これは彼にとって非常に辛いことだったと思います。

──やはり彼は家族と会いたいという希望で出国してしまったということでしょうか。MK:それもあると思いますが、フォーミュラEのリザーブドライバーとしても行ったと聞いています。それまでずっと家族と離れて暮らしていても、『日本の暮らしはハッピーだ』とぜんぜん大丈夫だったのに、たまたま出国したら戻れなくなってしまった。もちろん彼ほどの才能があるならば、取り戻せるとは思います。でも、彼が乗ろうとしていたシートに、誰かが乗るわけですよね。ウチで言えば中山(雄一)で、彼は苦戦しているけれど、GT500のトムスでは速いドライバーがどんどん乗ってしまうので、サッシャは心配で観ていられないでしょうね(苦笑)。ウチは終盤の何レースか乗れればと思っています。村田エンジニアも初めて組むことになるので、先ほども言ったとおり、2022年の開幕に向けてガッツリ組んでやっていくしかないですね。

──KONDO RACINGからは平峰一貴選手がGT500にステップアップしていきましたが、藤波清斗選手も同じルートをたどっていくという思いがあるのでしょうか。MK:その思いはあります。でも、平峰についても『少し上げるのは早かったかな?』という気持ちも少しあるんです。GT500ドライバーとしては未完成のまま上げてしまったというか。でも星野さんのチームなので完成させてもらえるという気持ちもありますし、精神的にも鍛えられますから。いざ走ってみたらアグレッシブだし、上げて良かったと思いますね。

 藤波に関して言えば、まだ未完成でステップアップさせてしまった平峰のところには届いていないかな。でもJ-Pの横にいて、一緒にドライブして彼の走りを見て相当勉強になっていると思うので、いつか藤波も上がっていくんじゃないかと思っています。GT500のオーディションがあっても、受かるくらいの実力はついてくると思っています。

2020年はKONDO Racingからスーパーフォーミュラに参戦していたサッシャ・フェネストラズ。今季はまだ実戦は経験できていない。
2020年シーズンからスーパーフォーミュラでKONDO RACINGに加入した阿部和也エンジニア

■ニュルブルクリンク24時間への再挑戦は。そして近藤監督が目指すもの

──ニュルブルクリンク24時間についてお伺いさせてください。3カ年計画の挑戦は1年目で残念ながらコロナ禍のためにストップしていますが、2022年以降、2〜3年目があるという認識でよろしいでしょうか。MK:あると思っていてください。国境の行き来が自由になったらすぐ行きます。ニュルブルクリンクは2019年に初めて行きましたけど、ル・マンとは違う楽しさがあるのと、(豊田)章男さんとまったく同じ意見で、あそこは『人も育つ、作れる、鍛えられる』んですよね。モータースポーツの原点ですよ。

 だって本当、あの路面はないですよ(笑)。あれでタイヤを開発しろって言うんですから。日本のこんなキレイなコースで、ニュルのタイヤは開発できないです。

──ニュルで得た知見、スーパーGTで得た知見を入れればすごいタイヤができあがりますね。MK:そう! 横浜ゴムはすごくニュルに力を入れているから。でも、タイヤメーカーで言うと、いろいろな噂を聞くけど、ヨコハマだけじゃないですよ。みんなニュルに行きたがっている。それも最高峰(SP9=GT3)で。でもウチはヨコハマなので無理ですからって言っています(笑)。

 横浜ゴムと一緒にニュルに行って、良いタイヤで戦って、強いタイヤを持ち帰ってきて日本で活躍できれば最高ですよね。早くコロナ収まれ! ってことです。

──今回スーパーGTの現場に復帰されましたが、スーパーGT、さらに言えばモータースポーツの魅力について、近藤監督からファンの皆さんに伝えたいことはあるでしょうか。MK:いちばんの魅力は、仕事としてギャンブル的な要素もビジネス的な要素もあり、チーム代表として、会社社長としてはすごくそこは楽しいと思っています。

 ただ外側のお客様の目線の方が気になっていて、そこは今後も変わっていかないといけない。スーパーGTにしても、スーパーフォーミュラにしてもそうだし、それこそF1もそうだし、大きなテーマだと思う。F1もすごく集客で苦しんでいると思うんです。まだF1というブランドで客を集められますが、予選方式を変えたりといろいろやっているじゃないですか。ある意味ゲームを楽しくしようとしている。僕はゲームを変えるのはあまり好きじゃないんですけどね。

 ゲームを楽しくするという意味では、僕はあまり好きじゃなかったんだけど(苦笑)、フォーミュラEは多少ショービジネスに近づけていますよね。これからのレースはああなっていくのかな、と思っています。スタート前やゴール後の雰囲気のショーアップは非常にうまいと思います。そういうのをうまく採り入れていくのは大事だと思いますね。スーパーGTにしてもスーパーフォーミュラにしても、偉いオジさんたちはそのままいてもらって(笑)、モータースポーツだけじゃない、何か違う世界から来た若い人たちに協力してもらえば。

 だって、これだけ面白いスポーツはないですよ。これだけの人たちで楽しんでいるんじゃなく、もっとたくさんの人で楽しみましょうよ! と思いますね。僕は20代の頃からずっとモータースポーツに携わっていますが、いまだに抜けない、抜けられない魅力があるんです。こんなに楽しいことをひとりでも多くの方に知ってもらいたい、という気持ちがありますね。もちろん自分のチームが強いことがいちばん大事ですが、その次はモータースポーツの魅力をいろんな人に伝えていきたいです。

 マイナースポーツに携わっている人たちは、テレビで見ても同じことを言うんですよね(笑)。でも、もうマイナースポーツなんて言っている場合じゃないですよね。

近藤 真彦 Masahiko Kondo
1964年7月19日生まれ/神奈川県出身。1979年に俳優としてデビューし、1980年からはシンガーとして活躍。人気絶頂期の1984年、憧れだったモータースポーツの世界に飛び込み、富士フレッシュマンでデビュー。以降芸能活動とレーシングドライバーというふたつの世界で活躍を続け、全日本GT選手権での優勝、ル・マン24時間挑戦など世界中でレースに挑み続けた。1998年に自チーム『KONDO RACING』を設立した。2021年はスーパーGT GT500クラス、GT300クラス、全日本スーパーフォーミュラ選手権で活躍。2020年はGT300チャンピオンを獲得するなど、名実ともに日本のトップチームとして活躍する。

2019年ニュルブルクリンク24時間 フィニッシュ後、笑顔でチームスタッフたちと初年度の好結果を喜び合う近藤真彦監督
2019年ニュルブルクリンク24時間 KONDO RACINGの45号車ニッサンGT-RニスモGT3
スーパーGT復帰となった第4戦もてぎでは近藤監督の57歳の誕生日も祝われた。

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