被爆体験  継承誓う 平和宣言への引用「天国から喜んでいる」

亡くなった小崎登明さんの手記が引用された長崎平和宣言を聞き、継承への決意を新たにする横山さん(右)と山口院長=平和公園

 「原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい」-。4月に93歳で死去したカトリック修道士、小崎登明さんの手記が引用された長崎平和宣言。小崎さんの被爆体験を受け継ぐ「交流証言者」の横山理子さん(47)=長崎平和推進協会職員=は背筋を伸ばし、継承という託された使命の重さに表情を引き締めた。
 東京出身の横山さんは、非政府組織(NGO)や国際協力機構(JICA)でアフリカなどの人道支援に携わった。昨年春、長崎に移住、小崎さんの交流証言者に手を挙げた。今年1月、小崎さんに膵臓(すいぞう)がんが見つかった後もホスピスで体験を聞き取り、最期をみとった。「小崎さんは人間とは何かと探求し、『神の道具』として体験を伝える人だった」
 引用された手記は「長崎・原子爆弾 18日間の記憶」(1999年刊)。17歳の時、爆心地から2.3キロの三菱兵器住吉トンネル工場で被爆後、爆心地近くの自宅で爆死したとみられる母親を捜し、浦上周辺を歩き続けた体験を記した。
 「このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける」-。9日朝、平和公園で開かれた平和祈念式典。「平和宣言として未来に語り継がれることを天国から喜んでいるはず」と横山さん。ともに耳を傾けた聖母の騎士修道院の山口雅稔院長(50)は「『核兵器廃絶を諦めないで』『おまえも頑張れよ』と言われているよう」と遺影を見詰めた。
 11月、交流証言者デビューを予定する横山さん。小崎さんが残した膨大な被爆資料を読む日々だ。「8月9日の体験だけでなく、人生すべてを知ってこそが継承。聞く人に分かるように伝えたいけど答えは出ていない」。一方、現在の仕事で接する被爆者への思いもあふれ出る。「『最期まで語りたい』と思う被爆者に寄り添いたい」。平和祈念像の上に広がった青空に誓った。

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