コロナ禍2年目の「8.9」 活動制限に歯がゆさも

午前11時2分、墓前で祈りをささげ、原爆で亡くなった祖父と叔母に思いをはせる築地さん=長崎市石神町

 昨年に続き新型コロナウイルス禍で迎えた長崎原爆の日。被爆者らは自宅や平和祈念式典会場の外など思い思いの場所で犠牲者を追悼した。国内外で平和活動に取り組む若者は「継承」への思いを新たにした。
 「さぞ熱かったろう」。長崎市桶屋町の被爆者でカトリック信者の築地重信さん(86)は同市石神町の墓地で墓石に水をかけた。
 被爆当時10歳。浦上天主堂近くの自宅で「育ての母」だった叔母、祖父が爆死した。9日は毎年、叔母らが眠る墓地で祈りをささげる。築地さんは「もの静かで優しい叔母だった」などと2人に思いをはせた。
 長崎原爆遺族会顧問の下平作江さん(86)は市内の自宅で式典の様子をテレビで見守り、黙とうをささげた。体調が優れず、コロナ禍でもあり、出席を断念した。
 今年3月に入院。退院した今も平日はショートステイ(短期入所)施設で過ごす。被爆体験講話は今年1回もできず、歯がゆさが募るが、「事実を的確に伝えることが私たちの責務」と前を向いた。
 同市松山町の平和公園。感染防止のため式典会場の参列者は招待客に限られたが、会場の外では被爆者や遺族が平和祈念像に手を合わせる姿が見られた。
 同市緑が丘町の宮本エイ子さん(75)は母の胎内で被爆。原爆投下の翌日に防空壕(ごう)の中で生を受けた。「じっとしておられず」会場の外で原爆投下時刻を迎えた。黙とうをし「母はどんなに苦しかっただろう」とタオルで目頭を押さえた。
 核兵器廃絶に向けた平和活動に取り組むナガサキ・ユース代表団の中村楓さん(20)=長崎大3年=は式典に参列。被爆者代表の「平和への誓い」を聞き、「受け継いでいかないといけない」と思いを強くした。
 世界的な感染拡大を受け、米ニューヨークでの核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開催は不透明となり、渡米計画は3度延期に。悔しさは募るが、会員制交流サイト(SNS)による発信力は大幅に上がったと実感する。
 「若い人たちに当事者意識を持ってもらうため、被爆者一人一人に当たり前の生活があったことを伝えていきたい」と話した。

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