核兵器の全面違法化、戦後最大の成果 条約不参加の「被爆国」、空洞化危機

宇吹暁・広島女学院大元教授

 国連で採択された核兵器禁止条約が今年1月に発効、非人道兵器と位置付けられた核の使用や威嚇、保有などが全面的に違法化されてから初めての原爆の日を迎えた。被爆史に詳しい宇吹暁(うぶき・さとる)広島女学院大元教授(日本現代史)は共同通信の電話インタビューで、条約は「戦後最大の出来事」と非核の取り組みの成果を評価。一方、条約不参加の日本国内では被爆者が高齢化、新型コロナウイルス禍を背景にした反核運動組織の解散など、被爆国は「空洞化」の危機にあると指摘した。(共同通信=土屋豪志)

 ―核兵器を全面違法化する条約が発効した。

 広島と国際的なものも含めた「ヒロシマ」の、被爆体験を基礎に生まれたさまざまな戦後の動きを見てきた中で、これまで最大のエポック(画期的出来事)と捉えている。反核運動は宗教的、絶対的平和を追い求める理想主義的な向きが強かったが、国際政治の枠組みの中に一つの現実的な足掛かりができた。これを無視するような核保有国などの動きは、あまり気にする必要はない。同様のことはこれまでもあった。核は違法ということが国連で常識となり、条約前文にヒバクシャという言葉が盛り込まれて国際語として確立した。この認識を、国連主義を取る日本の国内でどれだけ広げていけるか考えていきたい。

「原爆の日」を迎えた平和記念公園。手前は原爆ドーム=6日、広島市(共同通信社ヘリから)

 ―被爆者が苦難を乗り越えようやく勝ち取ることができたと言えそうだ。

 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)などの団体からするとそうだ。原水爆禁止運動や被爆者運動の関係者。ただ、被爆者全体を見れば、被爆者だからこうだという特別な考え方はなく、国民の平均的なものと変わらず多様だ。反核運動が組織している被爆者は少ない。むしろ、被爆者対策(保健・医療・福祉)を通じ全体を把握しているのは国。地方の自治体や政治家にとって予算というのは非常に重要な問題で、被爆者行政には日本全国の保健所が関係している。担当者は被爆者がいなくなるまで置かれ続ける。(被爆者対策の)法律を作るというのはそういうこと。システムとして「被爆国」をつくっていたといえる。

核兵器禁止条約採択に湧く国連本部の議場とカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(手前右)=2017年7月7日、ニューヨーク(共同)

 ―より大きな広がりがあった。

 左も右も国内のあらゆる層が原爆問題に関心を持ち続けてきた。広島の保守層にも原爆への憎しみがある。戦後の政治の性質で表には出てこなかったが、「アメリカはむごいことをした、絶対に忘れるな」というのを一族内で代々受け継いでいくような思い。これが、戦前の有力者らを通じて国政に伝わっていった。広島の被爆者対策の陳情では、保守の協力も得て国が被爆者援護へ目を向ける契機もつくった。被爆40年の1985年ごろには、被爆手記が全国各地で急増した。出版社ではなくて、個人や小グループの自費出版が大半だが自分の体験を残そうとするものすごいパワーを感じた。被爆した人でも会社で働いている間、健康診断は会社が優先されていたが、年を取って退職すると被爆者手帳をもらいだす。ばらばらだった被爆者が被爆者対策の健診で集まり、地域のグループなどがさまざまな形で生まれた。被団協や原水禁運動とはちょっと違った形で。被爆手記の急増は、この結び付きの結果でもある。そういう底力が日本にあった。

被爆から76年の原爆の日を迎え、長崎市の浦上天主堂で開かれた追悼ミサで祈りをささげる人たち=9日早朝

 ―条約の影響で意識が高まるのでは。

 被爆者がいなくなったときに、原爆報道や平和教育も含めて、これまでの運動形態を維持していくのは難しいだろう。慰霊祭など被爆関連行事に付いている予算も地域の被爆者組織が申請している。これまで予算枠は維持されてきているが、被爆2世が引き継いでいけるのかという問題もある。保守政治も変質して形だけとなった。8月6日の広島の平和記念式典をうわべだけの発信に使っている。コロナ禍で多くの団体が動けず、被爆者団体の解散など、反核意識を作ってきた国内の動きが大きな波にさらされている。残っていくのは非常に少ないだろうと危惧している。被爆国が空洞化してゆく。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場の椅子は間隔を空けて並べられていた=9日午前、長崎市の平和公園

 ―研究で収集した被爆手記など膨大な資料をウェブサイト「ヒロシマ遺文」(https://hiroshima-ibun.com/)で公開している。

 「庶民の歴史を世界史にする」という、故藤居平一被団協初代事務局長の言葉を引き継ぎ開設した。現状では目録的なものだが、後の研究の役に立てばと思う。自分が持っている資料、自分しか知り得なかったことをアップしていこうと思っている。文芸誌や短歌の会など広島の被爆に関わった団体は無限に近いほどあるが、できる限り取り上げていきたい。

 ―サイトの資料を読み込んでいくと、たどり着くのは被爆者や関係者の魂のような気がする。

 そうありたいと思っている。今、マルクスの読み直しなど歴史の大きな流れの再検討がはやっているが、人類史を考える際に、被爆の史実というのはずっと取り上げられていく大きなテーマだと思う。歴史や過去を振り返るということは死んだ人をどれだけ強く思うかということ。平家物語は、個人を取り上げて、一人ずつがどういうことをやって、どういうふうに殺されたとか、人の生きざまと死にざまを延々と記している。昔からそういうことがされてきた。原爆問題も語りがずっと残っていけばと考えている。

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 うぶき・さとる 1946年、広島県呉市生まれ。京大卒。広島大原爆放射能医学研究所助教授などを経て、2011年まで広島女学院大教授。

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