強豪には見えて、日本には見えなかったもの メダルへの勝負を分けたサッカーの常識

サッカー男子3位決定戦 メキシコに敗れ、悔しがる久保建(左下)と堂安(右奥)=埼玉スタジアム

 その気になれば、自転車で行ける距離の会場で行われた東京五輪。祝祭の雰囲気を感じることもできずに大会は終わってしまった。一つだけ良かったと思えることは、酷暑の悪環境で大きな事故が起きなかったことだ。

 サッカーに関していえば、なでしこジャパンは期待外れだった。一方で男子は緊迫感のある戦いを演じてくれて、最大となる6試合を戦った。この真剣勝負を日本の人たちに生で見せられなかったのが残念だ。スタジアムで将来のある子どもたちが、あの張り詰めた空気を選手たちと共有したら、きっと大きな刺激を受けたに違いない。

 8月6日、メキシコとの再戦となった3位決定戦は、1次リーグで対戦した時とはまったく逆の展開になってしまった。7月25日の試合では日本が早い時間帯に得点して主導権を握った。この試合では、逆にメキシコが前半13分、22分と立て続けに得点した。日本は精神的に追い詰められた状態で、試合を進めなければならなかった。

 ともに準決勝では延長戦も含め120分を戦っている。しかも、サッカーに適さない気候での6試合目だ。体力は限界に達していたはずだ。だから、いつも以上に先制点が大事だった。体力的にきついのは両チームともに変わらない。しかし、自分たちが主体になって走るのと、相手に走らされるのでは疲労度が変わってくる。

 先制点を許すきっかけとなったPKを与えたのは、ここまで獅子奮迅の活躍を見せてきた遠藤航だった。ドリブル突破するアレクシス・ベガを倒してしまったが、本来のコンディションならば反応が遅れるミスはなかっただろう。明らかに体の切れが悪かった。遠藤に限らず、日本チーム全体の動きが鈍かった。そこまで5試合の疲労の蓄積は、想像以上だったのだろう。さらにセットプレーから2失点。後半33分に三笘薫が個人技から1点を返したが、試合全体を通して見ると日本が勝てる要素は限りなく少なかった。

 今回の日本は「史上最強のチーム」と言われていた。1992年バルセロナ五輪で23歳以下(今回は24歳以下)の年齢制限ができて以来、間違いなく最強の日本代表だった。それでもメダルに届かなかった。この4位という成績が、世界の中での日本の現在地なのだろう。

 今回の参加16チームで4強に残ったのは、ベストとはいわないまでもそれに近いチーム編成をして、タイトルを狙いにきたところだけだ。その中で日本だけがメダルを手にできなかった。優勝したブラジルやスペイン、メキシコとの違いはなんなのか。それは日本にだけ見えなかった、サッカーの要素があるのではないだろうか。

 人は知識を持っていればこその見えるポイントがある。逆に、知識のない者にはそれは目に映っていても見えていない。それに気づかされたのは、もう20年も前のことだ。

 2001年3月24日、日本はフランスとパリ郊外のサンドニで対戦した。雨にぬれたスタジアム。結果は0―5の完敗。手も足も出なかった。まあ、それもしょうがない。ジネディーヌ・ジダンを中心とする当時のフランスはW杯と欧州選手権のタイトルを持つ最強のチームだった。そしてティエリ・アンリをはじめフランス代表のメンバーの多くは、クレールフォンテーヌにあるサッカー養成所の出身だった。

 この時に日本人が初めて知った事柄があった。今では日本でも定着した、体の向きだ。クレールフォンテーヌの養成所では、育成年代の子どもにボールを受ける際はもちろん、さまざまな局面での体の向きを教え込んでいるのだ。「考えなくても自然に最適な体の向きをつくる」。それまで知識がなかった日本は、初めてここで体の向きを意識するようになった。

 言葉で言われれば「そんな単純なこと」と思うかもしれない。おそらく今回メダルを取った強豪チームの選手たちは、日本の選手が気づかないサッカーの常識が見えているのかもしれない。それはトラップする場面でのボールの置きどころなど、言われれば「ああ、そうだ」となるようなことだ。日本と強豪の間に生まれる差。基本的技術には大きな違いはないのかもしれない。それでも勝敗が分かれてしまうのは、本当に細かいことの積み重ねで生じる差なのではないだろうか。

 田中碧は3位決定戦の後に、独特の表現で興味深いコメントを発している。

 「個人個人で見れば別にやられるシーンというのはない。でも、2対2、3対3になるときに相手はパワーアップする。でも、自分たちは変わらない。コンビネーションという一言で終わるのか、文化なのかそれは分からないが、やっぱりサッカーを知らなすぎるというか。僕らは。彼らはサッカーを知っているけど、僕らは1対1をし続けている。そこが大きな差なのかな」

 本当に悔しい敗戦だ。それでも、また一つ新たなサッカーの要素が見え始めたのかもしれない。それを日本のサッカーの知識として積み重ねることでしか、進歩は生まれない。

 最後に、中2日という超過密日程はあり得ない。このままでは五輪に良い内容のサッカーを求めるのは無理がある。決勝を戦ったブラジルとスペインの試合にも、美しさはまったく感じられなかった。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材は2018年ロシア大会で7大会目。

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