【高校野球】初出場で初戦突破、東北学院を支える学生コーチ 渡辺監督「うちは彼らでもっている」

東北学院・学生コーチの直井良偉人(左)と千葉俊輔【写真:高橋昌江】

東北学院・渡辺徹監督「彼らが常に練習を引っ張ってくれた」

第103回全国高校野球選手権に初出場した東北学院(宮城)は大会第2日(11日)の第4試合で愛工大名電(愛知)を5-3で破った。「甲子園で1勝」と練習に励んできた成果を発揮。夏の甲子園出場13度を誇る名門を終始リードし、「自分たちの野球」を貫いた。初出場初勝利を挙げたチームを支えるのは、2人の学生コーチだ。

学校創立135周年で創部50年目。来年4月から男女共学となる、宮城県で唯一の男子校・東北学院が甲子園で躍動した。イチロー氏やソフトバンクの工藤公康監督ら多数のプロ野球選手を輩出してきた名門を撃破。ここぞで畳み掛ける攻撃と、大崩れしないエース・伊東大夢投手(3年)の投球が噛み合い、終始落ち着いた試合運びだった。

その東北学院を支えてきたのが2人の学生コーチだ。春の県大会で2大会連続の3位になり、夏の第3シードを獲得した後のグラウンドで、渡辺徹監督は言った。

「余裕があるわけではないんですけど、『練習でやってきたことを信じてやれば大丈夫だ』という声がベンチの中で出るような試合ができたんです。一番、大きいのは直井と千葉の存在なんですよね。彼らが常に想定の高いところで練習を引っ張ってくれました。うちは彼らでもっているようなチームなので」

東北学院には15年ほど前から学生コーチ制度がある。多くは2年夏を終え、「自分たちの代」になってから就任する。しかし、直井良偉人(3年)は1年夏が終わって学生コーチになった珍しいタイプだ。直井の同級生には入学時から体格がいい選手が多く、野球の知識が豊富な人材もいた。「自分たちの代はすごく力があるなと感じていた。3年生になった時に甲子園に行けるチームになるんじゃないかと勝手に思っていたんです」という。選手としてではなく、チームマネジメントする立場で貢献しようと決めたのだった。

東北学院の直井良偉人・学生コーチ【写真:高橋昌江】

直井良偉人・学生コーチ「誰かをサポートする仕事が向いているかもしれない」

役割は多岐に渡る。守備練習や試合前にはノックを打つ。試合では三塁コーチを務め、伝令に走っては明るい性格でナインを元気づける。練習ではメニューを各班のチーフと話し合ったり、時間配分を決めて回したりする。

東北学院は午後7時完全下校という決まりがある。6時間授業の日の練習時間は3時間ほど。週2日ある7時間授業の日は2時間もなく、授業がある土曜日も3時間程度だ。東北学院中学の軟式野球部がグラウンドを使う月曜日はオフで、高校軟式野球部が使用する水曜日はトレーニング日。時間が限られているため、練習メニューの選択とそれぞれの時間配分が重要になる。午後7時の下校後は塾に通う選手もいれば、ジムに向かう選手もいる。

3学年の主任を務め、多忙な渡辺監督とも密に連携をとり、選手と監督の橋渡し役も担う。選手の状態を伝えることも仕事の1つだ。また、直井の提案で、現チームから取り入れたこともある。打撃、守備、走塁、トレーニングの各チーフと毎週ミーティングを開き、今後の見通しを立てることだ。大会までに必要なことや今週やるべきことなどを話し合う。

打撃班チーフの及川健成(3年)が「バッティングにもうちょっと時間をちょうだいよ」と言えば、守備班チーフの今野隼翔(3年)が「守備だってほしいよ。打ち勝つ、がテーマだと言っても、最低限の守備はあるでしょ」とかぶせる。「ちょっと待って」と学生コーチが調整する。納得するまでそれぞれの意見を聞いてきた。

これまでは主将や学生コーチが全体に向けた話をしてきたが、各チーフが発言する機会も増やした。「どう直すか、それぞれの課題との向き合い方を分かっているのはチーフなので」と直井。役割や責任がはっきりしたことで、トレーニング班チーフも兼任する古澤環主将(3年)に大きな負担がかからないようにもなった。甲子園というゴールに向かい、チームをマネジメントする。多大な苦労はあったが、直井は「誰かをサポートする仕事が向いているかもしれない」と気づき、将来は芸能人のマネジャーになりたい、と考えるようになった。

東北学院の千葉俊輔・学生コーチ【写真:高橋昌江】

直井「甲子園に行けないと思ったことは一度もありません」

直井たちが入学した直後、東北学院は春の県大会で初めて3位になり、東北大会に初出場。花巻東(岩手)に勝利するなどして8強入りした。その夏、第3シードから甲子園に挑んだが、初戦で柴田に2-6で敗戦。ボールボーイとしてベンチ横にいた直井は「ベンチの雰囲気や監督さんの表情とかも覚えています」という。昨夏の独自大会は記録員としてベンチ入り。4回戦でまたもや柴田に4-5で敗れた。2年連続で柴田の校歌を耳にしながら、渡辺監督に言われた言葉がある。「この悔しさを忘れるなよ」――。

このタイミングで学生コーチに志願したのが千葉俊輔(3年)だ。捕手だった千葉は1年生の終わり頃、ブルペンに入ると投手へボールを返球できなくなった。「イップスというか。キャッチボールは大丈夫なんですけど、ブルペンに入るとピッチャーの手前にワンバンやツーバンするボールを投げてしまう。グラブに返したい思いはあるんですけど、行かないんです」。一時はよくなったが、1学年上も学生コーチが2人いたため、「良偉人が1人では大変だろうな」と学生コーチになることを決めた。

日頃から直井が何をしているのか、見ているつもりだった。だが、2チームに分かれて練習試合がある時の荷物分けなど、見えないところでの細やかな配慮や働きぶりに驚かされた。渡辺監督と密に連絡を取る姿も「『この日はどうしますか?』など、監督さんとのコミュニケーションがすごい」という。直井の姿勢から学びながら、ともにチームを作り、試合では記録員としてチームの勝利をスコアに記してきた。

渡辺監督の助言を受けながら、2人の学生コーチと古澤主将や走塁班チーフを兼任する大洞雄平副主将(3年)、各班のチーフを中心に練習を積み上げてきた東北学院。春の県大会後、直井は「甲子園に行けないと思ったことは一度もありません」と言った。親戚や知人から「甲子園に行けるの?」と聞かれるたびに「行きます」と言い切ってきたという。どこが強い、どこの選手がいいといった周囲の声は気にせず、先入観を持たず、仲間と自分を信じてきた。

今年の宮城大会は優勝候補や実力校が敗れ、ダークホースが勝ち上がっていったが、「周りは見ず、自分たちの野球をしよう」と声を掛けてきた。全6試合中、5試合を逆転勝ち。仙台三との決勝戦も先制されたが、中盤に畳み掛け、最終回に突き放して12-5で勝った。「みんなと、俊輔と甲子園に行ける。今までの辛かったことがすべて吹き飛びました」。ゲームセットの瞬間、直井は「俊輔!」と記録員の千葉の名前を呼んでハグした。

千葉俊輔・学生コーチ「この選択をしたことに後悔はありません」

千葉はマウンド付近で歓喜の輪を作る仲間のもとに走っていく直井を見送り、渡辺監督、幡手新一郎部長と握手した。「監督さんはその時から泣いていたので、学生コーチをやってきてよかったなと思いました」と安堵。「この選択をしたことに後悔はありません。良偉人がいて、監督や先生がいて、このメンバーで、このグラウンドでやれたから優勝できたと思います」と胸を張った。

昨秋は県大会準々決勝で古川学園にサヨナラ負け。それも、3-1の9回に適時打と失策で一気に3点を失っての敗戦だった。「選抜に行ける力を思っていると思っていた」と直井。ショックはあったが、オフシーズンでチーム力を高めてきた。春の県大会では準決勝で仙台育英に4-5のサヨナラ負けを喫したが、夏を見据えた選手起用だったため、その敗戦を夏への糧とした。直井は言う。

「甲子園に行けない、と思ったことはありませんが、不安になったことは確かにありました。それでも、夏に甲子園に行けるという未来は見えていたので信じてやってきました。誰かが打てなかったり、誰かがミスをしたりしてもカバーできる力がこのチームにはある。だから、チームとして成り立っていると思うんです」

宮城県で唯一の男子校。来年から共学になるため、スタンドには春も夏もサッカー部から借りた手作りの「男子校魂」の横断幕を張り、「男子校最後の年に甲子園」を強く意識して悲願を達成した。宮城を初制覇した直後、渡辺監督は「生意気に思われるかもしれませんし、力は大したことはないかもしれないですが、存分に甲子園をホームグラウンドのように味わって、満喫して、その上で宮城県の代表として恥ずかしくない戦いをできればと思います」と言った。

その言葉通りの戦いぶりを見せ、「甲子園で1勝」の目標をクリアした。学校が大きく変わるタイミングで甲子園にインパクトを与えた東北学院。そこには直井と千葉、2人の学生コーチの信じる力と奮闘があった。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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