終戦76年 遺された戦時の物語〈上〉撃墜王・杉田庄一の碑 杉田の生きざま後世に おいの欣一さんら「伝承する会」

 今年7月、浦川原区小蒲生田に、一人の軍人の生きざまを刻んだ石碑が建立された。軍人とは、同所出身で旧日本海軍航空隊のエースパイロットとして活躍した杉田庄一(1924~1945年)。

 杉田は24(大正13)年、同所生まれ。15歳で県立安塚農林学校を中退し旧日本海軍に志願。航空兵となってラバウル(パプアニューギニア)、ブーゲンビル(同)、グアム、パラオなどで空戦を重ね、個人・共同で110機を撃墜。「撃墜王」の異名を取った。しかし45(昭和20)年4月、鹿児島県の鹿屋基地を離陸直後に戦闘機を撃墜され戦死。20歳だった。遺体は火葬中に空襲で吹き飛ばされ、遺骨すら故郷へ戻ることができなかった。

 石碑を建立した「杉田庄一の実績を伝承する会」は、終戦以降に生まれた人がほとんどの団体。杉田のおい、欣一さん(63)が会長を務め、杉田や欣一さんとはそれまで縁のなかった大潟区の木村初雄さん(72)が事務局を務める。木村さんは県内出身の著名な人物について調べていたところ、杉田に目を留め、独自に文献や人脈を頼って取材を続け、その生涯を冊子に残そうとしている。

碑の前で語る欣一さん(奥)と木村さん。欣一さんが国から取り寄せた資料によると、杉田の市は4カ月後の1945年8月、連合艦隊司令長官名で海軍に布告された

 石碑は戦争で散った一人の若者を通して、後世に事実を残したい、というのが目的だ。欣一さんは「庄一おじさんのことを後世に残すことで、平和を祈るきっかけになれば」、木村さんは「杉田庄一の名で、戦争に関心を寄せる人が増えてくれれば。そのつらさ、恐ろしさを理解してほしい」と話した。

 石碑のある敷地は杉田家の私有地だが、見学目的の立ち入り、駐車は可能。

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