【コラム】「モロッコ、彼女たちの朝」 男女格差の激しい国で生きる女性たち 逞しく、美しく、心に響く

■モロッコ舞台の映画は多くあれど、モロッコ発の長編劇映画は日本初公開

映画『モロッコ、彼女たちの朝』には、女性が感じている「理不尽な苦しみ」、その苦しみが分かるからこそ手を差しのべたいと思う「人としての愛情」が、とても優しく、とても力強く、描かれています。

物語の舞台はカサブランカの旧市街。ラブストーリー好きの人なら『カサブランカ』を思い浮かべるでしょうし、映画の舞台としてはカサブランカ以外にも──『アラビアのロレンス』や『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』『グラディエーター』など数々の名作映画の舞台となったアイト・ベン・ハッドゥ、『セックス・アンド・ザ・シティ2』のロケ地マラケシュ(物語上の設定はアブダビ)、憧れの旅先としてもモロッコの街は魅力的です。そもそもモロッコにはアイット・ベン・ハドゥの集落やマラケシュ旧市街をはじめ9つの世界遺産があり、そしてサハラ砂漠もある、異国情緒あふれる街並や絶景が広がっている、そんな印象もあると思います。

ただ、日本で公開されたそれらの映画は、モロッコを舞台にした欧米の映画。実は、モロッコ発の長編劇映画が日本で公開するのは、この『モロッコ、彼女たちの朝』が初めてなんです。ちょっと驚きですよね。しかも監督は女性、マリヤム・トゥザニという気鋭の監督です。

異国情緒あふれる街並はあくまでも外から見たモロッコの印象であり、実際にそこに住む人たちにはどんな風景が見えているのか、どんな生活を送っているのか──。2人の女性の出会いと交流を通じて、モロッコの暮らし、特に女性たちの人生を映し出していきます。

■男女格差の激しいモロッコで生きる未婚の母が逞しく、美しく、心に響く

この物語は、トゥザニ監督が実際に出会った女性をモデルに脚本を書いたそうです。監督のコメントにはこうあります。「その若い女性は、妊娠が発覚し、結婚を約束した男性に逃げられ、恐怖や羞恥心から親友や家族にも打ち明けられず、妊娠をひた隠しにしていました。そして、故郷から遠く離れた地で密かに出産し、子どもを養子に出して村に戻ろうと考えたのです。彼女が私の家を訪ねた時、私の両親は一切面識のない彼女を迎え入れました」(※海外プレス資料より引用)。消えることのない記憶として刻まれたその出会いを、トゥザニ監督は映画として伝えたかったのです。

映画の主人公はサミアと言います。臨月のお腹を抱えたサミアがカサブランカの路地をさまようところから映画は始まり、彼女は街でパン屋を営むアブラという女性に救われます。アブラは夫の死後、娘のワルダとの生活を守るために女手ひとつでパン屋を切り盛りしていました。

子供を身ごもった女性とシングルマザーの女性が出会う。人にはいろいろな事情があるでしょうし、いろいろな選択があっていいはずです。けれど、モロッコでは婚外交渉と中絶が違法のため、未婚の母は社会保障を満足に受けることができない。また、夫と死別したり離婚した女性の社会的地位も低いのです。ジェンダーギャップ指数ランキング2021年版によれば、モロッコは156ヵ国中144位(ちなみに日本も低くて120位)です。

モロッコの女性が直面する苦悩を描いているというと、観ていて切なくなるんじゃないか、苦しくなるんじゃないか、と思いますよね。たしかに切ないし苦しいし、どうしたらいいの……って胸が締めつけられるでしょう。それでも、そのなかで現実と向きあいながら自分らしい人生を歩もうとする姿が逞しくて、美しくて、心に響いてくるのです。

■心をほぐして、ほぐした後に強くしてくれる、そんな力のある映画

サミアとアブラと、アブラの娘のワルダ、ほぼ3人のシーンで構成されていますが、彼女たちを映し出す光がまた芸術的で。トゥザニ監督は、カラヴァッジョ、フェルメール、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールなどの絵画に影響を受けたと公言しているように、特に家のなかに差し込む光の表現は絵画のよう。パンの生地を練る、そんな何気ないシーンの彼女たちが艶やかで輝いて見える、絆が深まっていくように見えるのは、トゥザニ監督らしい表現方法と言えます。

そして、情景が美しければ美しいほど彼女たちに立ちはだかる厳しい環境問題がより際立ち、観客は考えます。頼る人がいないなかで妊娠したら? 愛する人が先に旅立ってしまったら? 自分だったらどうするのだろうかと。どこで暮らしていても、喜び、不安、哀しみは誰にでも等しく訪れるものです。だからこそ、サミアの決断、アブラの変化、彼女たちの生き方をどう受け止めるのか──感じることで見えてくるものがある。自分の幸せとは何かを考えるだけでなく、優しくありたい、寄り添える人でありたい。そんなふうに心をほぐして、ほぐした後に強くしてくれる、そんな力のある映画だと思うのです。


新谷里映
映画ライター・コラムニスト。
地元の出版社にて情報誌やサブカルファッション誌の編集を経験後、2005年3月に独立、仕事の拠点を東京へ。現在はフリーランスの映画ライター、コラムニスト、インタビュアーとして、雑誌・ウェブ・テレビ・ラジオなど各メディアで映画を紹介するほか、日本映画の撮影現場に参加するオフィシャルライターとしても活動する。映画&恋愛、映画&旅など映画を絡めたコラム連載も多数。東京国際映画祭(2015~2020年)や映画のトークイベントの司会も担当。解説執筆を担当した書籍「海外名作映画と巡る世界の絶景」が発売中。


■作品情報
モロッコ、彼女たちの朝
2021年8月13日(金)、TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開
配給:ロングライド
©︎ Ali n' Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions

地中海に面する北アフリカ・モロッコのカサブランカを舞台に、メディナ(旧市街)で生きる2人の女性を描いた作品。女手ひとつでパン屋を営むアブラと、未婚の妊婦サミア。孤独を抱えていた2人の心が、伝統的なパン作りによってつながり、やがて互いの人生に光をもたらしてゆく。監督を務めるのは、新星マリヤム・トゥザニ。過去に家族で世話をした未婚の妊婦との思い出をもとに、家父長制の根強いモロッコ社会で女性たちが直面する困難と連帯を、フェルメールやカラヴァッジョなどの西洋画家に影響を受けたという、質感豊かな色彩と光で描いている。

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