米国の首都ワシントンへの通勤客らを運ぶメリーランド州運輸局所管の近郊鉄道「MARC」のポケット時刻表を開くと、ひと目見ただけでは意味を判別できない英文字が点在している。欄外にある説明を読むと利用者が少ない駅向けに、世界最大の経済大国の首都圏を走る鉄道とは思えないような“秘策”を採り入れていることが分かった。人出がある時期だけ運営する臨時駅ではない通常の駅なのに、一日中列車が止まらない日もあるのだ。(共同通信=大塚圭一郎)
【フラッグストップ】利用者が乗り降りを希望した場合に停車する駅。駅で列車に停車してもらう際に、旗(フラッグ)を振って止まってもらうように知らせていたことに由来する。停車を要望(リクエスト)するため、「リクエストストップ」とも呼ばれる。
フラッグストップには、駅がない場所でも指定された区間ならば、利用者が合図をすれば列車に停車してもらえる仕組みもある。この仕組みは米国西部アラスカ州のアラスカ鉄道で、利用者が限られる雑木林が続いている区間で残っている。ハイキングやキャンプを楽しむ旅行者や沿線の居住者、狩猟者らがこの仕組みを活用して乗降している。
▽「f」の意味
MARCは主に米国東部メリーランド州と首都ワシントンの間で走っており、3路線の運行距離は計約301キロ。いずれも全米鉄道旅客公社(アムトラック)やワシントンの地下鉄「ワシントンメトロ」のレッドラインなどが乗り入れるワシントンの玄関口、ユニオン駅を発着する。
前回の「鉄道なにコレ」第21回「米首都圏鉄道のポケット時刻表に驚かされること」(https://www.47news.jp/news/6568730.html)でご紹介した通り、3路線の中でメリーランド州最大の推計人口59万3490人(2019年7月時点、米国商務省調べ)の都市、ボルティモアなどと結ぶペン線は運転本数が比較的多く、毎日運行している。
これに対し、ボルティモアの別の駅へ向かうカムデン線、ウェストバージニア州にあるマーティンズブルグなどと結ぶブランズウィック線は平日の通勤利用が多い朝と夕方のピーク時間帯しか運転しておらず、土曜と祝日は運休している。
うちブランズウィック線の時刻表を開くと、一部の駅に「f」の文字が記されている。これは「フラッグストップ」の頭文字で、駅に待っている人がおらず、乗客の中に降りる人もいなければ通過する。
▽日本メーカーの客車も活躍
私はフラッグストップの運用を調べるため、ユニオン駅を平日の午後4時25分に出発するブランズウィック線に乗り込んだ。駅構内にある券売機を使うことも可能だが、スマートフォンのアプリ「チャームパス」でジャーマンタウン駅(メリーランド州)までの片道6ドル(約660円)の切符を購入した。画面に表示された切符を、乗り込む際や発車後の検札時に車掌に見せる。
MARCの列車はいずれも先頭の機関車が客車を引くか、反対方向に走る場合は先頭の客車に乗り込んだ運転士が操作し、後部の機関車が押して走る。ブランズウィック線は電化しておらず、この日は米モーティブパワーが製造したディーゼル機関車がけん引していた。
客車はいずれもステンレス製で、銀色の車体に青色とオレンジ色の帯が入っている。私が乗ったのは日本車両製造が造った旧型車両で、デッキ部分に「NIPPON SHARYO」と記したメーカー名の銘板があった。
MARCは主に通勤客が利用している路線だけに、座席数が多い2階建ての客車が中心だ。川崎重工業が製造した車両があるほか、最新型の2階建て客車はボンバルディア・トランスポテーションが造った。同社はカナダのボンバルディアの傘下だったが、今年1月にフランスの鉄道車両大手アルストムが買収した。
▽1駅で33分かかる列車も
ユニオン駅を出発した列車は、地上区間に出たワシントンメトロのレッドラインと並走しながら最初のシルバースプリング駅に着いた。レッドラインはユニオン駅から6番目の駅で、14分で到着したMARCのほうが2分早い。
しかし、反対方向の午前7時45分にブランズウィック駅(メリーランド州)を出発するMARCの列車は、シルバースプリング駅からユニオン駅までの1駅だけで33分かかる。ユニオン駅を共用しているアムトラックなどの列車が多く発着し、ダイヤが過密なためだ。
続いてケンジントン駅に定刻の午後4時44分に滑り込んだ。緑色の木造駅舎は、西部開拓時代に建てられた古風な小屋のようだ。ケンジントン駅で停車中に、車掌が車内放送で「次のギャレットパーク駅はフラッグストップなので、降りる人は車掌に伝えてほしい。乗る人が誰もいなければ通過する」と案内した。
▽果たして乗降客は…
発車後、車内放送で「ギャレットパーク駅の最終案内だ。降りる人は車掌に申し出るように」と再び呼び掛けられた。下車を希望する客は誰もおらず、複線になった線路に沿って向かい合った対面式ホームを通過した。
この日はギャレットパーク駅から乗り込む希望者がいなかったが、フラッグストップから列車に乗るにはどうするのか。フラッグ(旗)という名前を冠していても駅に旗が置いてあるわけではなく、旗を振る必要はない。ただ、到着するホームにあらかじめ立ち、列車が近づいて来たら大きく手を振って運転士に知らせる必要がある。
ギャレットパーク駅は、人口がわずか873人(2019年時点)のギャレットパーク村にある。近くにはウェイブリー公園があり、駅があるのも気付かないほどこぢんまりとしている。住宅はどれも広く、大きな庭を備えている。そのはずで、世帯年収の中央値は18万7778ドル(約2073万円)に上る。
▽自動車大国の宿命
列車はアムトラックのワシントンとシカゴを結ぶ寝台車も備えた長距離列車「キャピトルリミテッド」も停車するロックビル駅に着いた。すると、今度は「次のワシントングローブ駅はフラッグストップだ」という車内放送が流れた。ワシントングローブ駅は林の中にあり、列車は人けがないホームを通り過ぎた。
駅があるワシントングローブ村も人口694人(19年時点)、世帯年収の中央値は11万3967ドルと生活に余裕がある住民が多い地域だ。私が3駅先のジャーマンタウン駅で降りると、緑豊かな駅前でウサギが草花を食べていた。
新車販売台数が中国に次いで世界で2番目に多い自動車大国の米国は、公共交通機関が比較的発達している大都市圏でもマイカー移動が中心だ。「1人1台」持っている家庭も少なくない。
MARCのブランズウィック線は、ユニオン駅から1時間以内の区間でも新型コロナ流行後はそれぞれの方向に1日3~4本しか走っておらず、休日は運休する。日常の足としては機能しないため利用者が低迷し、ギャレットパーク駅やワシントングローブ駅は使い勝手の悪いフラッグストップになっているという悪循環に陥っている。新型コロナワクチンの接種拡大に伴う経済活動の正常化を背景に、MARCは21年8月30日以降に通常ダイヤに戻す。フラッグストップの停車頻度が上がるかどうかが注目されよう。
▽「L」の文字に落とし穴
また、一部の列車の特定駅には「d」の英文字が記されている。これは「下車させる」という意味を持つ「DISCHARGE」の頭文字で、下車する利用者だけを取り扱い、列車への乗車はできないという意味だ。列車の終点に近い駅に記されており、その駅から乗車する需要が少ないことによる施策だ。
厄介者なのが3線全てにあり、一部列車の発車時刻の隣にある「L」という文字だ。書かれた時刻より最大で5分早く出発する場合があるという意味だ。「L」は「LEAVE」(=出発)に由来するようだが、誤って「LATE」(=遅れ)の列車があると誤解して乗り遅れかねない落とし穴がある。
「鉄道なにコレ!?」の第20回「ポケット時刻表が相次ぎ廃止、なぜ?」(https://www.47news.jp/47reporters/6420757.html)でご紹介したように、日本ではポケット時刻表の配布を取りやめる鉄道が相次いでいる。そんな中でMARCが配布を続けているのは良心的に映る一方、スマートフォンでの時刻検索で表示される画面では説明し尽くせない細かい運行ルールがあることも分かる。
時刻表を眺めると、その鉄道やお国柄が透けて見えるのは興味深い。
※「鉄道なにコレ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まり、ほぼ月に1回お届けしています。ぜひご愛読ください!