V候補横浜を撃破した15年前の夏 駄目押し3ランの大阪桐蔭主砲が衝撃を受けた打球

大阪桐蔭で2度甲子園に出場した謝敷正吾さん【写真:編集部】

2006年夏の甲子園、大阪桐蔭は1回戦で選抜覇者の横浜に11-6で勝利

斎藤佑樹投手擁する早稲田実業と、田中将大投手がけん引する駒大苫小牧が決勝戦で死闘を演じた2006年夏の甲子園。この年の1回戦で高校野球ファンの記憶に残る一戦があった。横浜対大阪桐蔭。同年の選抜大会を制し、1998年に続く2度目の春夏連覇を目指した横浜を大阪桐蔭は打撃戦の末に破ったが、試合を決定づける3ランを放った謝敷正吾(しゃしき・しょうご)さんには今も忘れられない相手打者の一打があった。

「下馬評は横浜。圧倒的に横浜が強いと言われて、すごく燃えた」

2006年夏、大阪桐蔭の主力選手として甲子園に出場し、現在は不動産会社「オープンハウス」で働く謝敷さんは15年前を振り返る。

この大会で思い出されるのは、早実・斎藤投手(現日本ハム)と駒大苫小牧・田中投手(現楽天)が投げ合った決勝戦。ただ、大会前の優勝候補筆頭は選抜を制した横浜で、大阪桐蔭との1回戦は「事実上の決勝戦」とも言われていた。

横浜は神奈川大会を圧倒的な強さで勝ち上がり、夏の甲子園切符を手にしていた。7試合で83得点、10本塁打。決勝の東海大相模戦は15-7と大勝した。

その横浜に甲子園で打ち勝ったのが大阪桐蔭だった。3番に座った謝敷さんは、4点リードの8回裏に試合を決める3ラン。下馬評を覆し11-6で快勝した。それでも、謝敷さんには本塁打や勝利の喜びがかすむほど強烈なインパクトを受ける一打があった。

現ロッテの高濱卓也が放った先制の二塁打に「これはやばいなと思った」

「春夏合わせて甲子園に7試合出場して、横浜戦は1回から9回まで鮮明に記憶している。その中でも、あの右中間への当たり。同じ左打者で、あの変化球をあの形で打てるのかと。自分が理想としている打ち方を、1学年下の2年生がやっていたのが衝撃だった」

1回表、横浜の攻撃。1死二塁で高濱卓也内野手(現ロッテ)が打席に入った。カウント1-2からの4球目。大阪桐蔭の左腕エース・石田大樹投手が投じた膝元のカーブに体勢を崩すことなく、バットの芯でとらえた。鋭い打球が二塁を守っていた謝敷さんの頭の上を越え、右中間の真ん中に転がった。先制の適時二塁打。大阪大会で22回を投げて2失点、31奪三振と抜群の安定感を誇っていた左腕の狙い通りの1球だっただけに「大阪大会で経験したことがなかった。ものすごい打者がいると。横浜は強い、これはやばいなと思った」と語る。

実は、大阪桐蔭は対戦前、横浜のデータをほとんど入れていなかったという。タイミングを合わせるために投手の映像を見たくらいで「打者は誰が打つか知らなかった。選抜の時も自分たちは夏の大会に向けて集中していたので、横浜のことを全然知らなかった。試合が進むにつれ、どんどん横浜のすごさが分かってきた」と謝敷さんは明かす。当時の横浜には、高濱以外にも福田永将捕手(現中日)や、下水流昂外野手(現楽天)ら後にプロへ進む選手が顔をそろえていた。

謝敷さんは相手のバントミスや併殺打など幸運が重なっただけで、「本来は点差が離れるような試合ではなかった」と振り返る。あの夏から15年。何よりもはっきりと脳裏に刻まれているのは、優勝候補の撃破でも、自身の本塁打でもない。2回戦で敗れた早実・斎藤投手の投球でもない。頭上をあっという間に通り過ぎていった高濱が放った右中間を破る二塁打だった。(間淳 / Jun Aida)

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