「HONDAという文化」へのシンパシー【駅ぶら04】新宿線72

※2021年3月撮影

トップ画像は、新宿線狭山市駅から新狭山駅に向かう前面展望、上り各駅停車西武新宿行電車とすれ違いました。前面展望で上り電車とすれ違うの久しぶりでは?

前面展望は狭山市駅をスタート。新宿線は狭山市駅をはさんで90度右にカーブします。

※2021年3月撮影

ようやくカーブの終わりが見えてきました。

※2021年3月撮影

沿線は住宅と農地が適度に混ざり合っています。かなり望遠レンズなので住宅が密集している様に見えてしまいがちです。

※2021年3月撮影

大きな赤白の送電線鉄塔が目立ちますが、両側の鉄塔は地味にグレーなんです。上空が飛行機の練習コースになっているのでしょうか?

※2021年3月撮影

航空写真で見ると右側には広い農地に茶畑が点在していますが、前面展望では分からないですね。トップ画像は、この直後の写真です。

※2021年3月撮影

この踏切辺りから周囲は急速に住宅が増えます。

※2021年3月撮影

橋上駅舎が見えて、新狭山駅ですね。

※2021年3月撮影

相対式ホーム2面2線。狭山市駅からは2.7kmでした。写真右奥にHONDAのロゴが見えます。本田技研工業埼玉製作所(旧・狭山工場)です。

※2021年3月撮影

余談です。HONDAの本社が東京青山一丁目に出来た1985年(昭和60年)、勤め先の事務所が青山一丁目にありました。近所だったのでショールームにはよく遊びに行きましたね。筆者は長年月刊誌CG(カーグラフィック)の読者でした。編集長だった故・小林彰太郎さんのファンだったのです。「HONDAという文化」にもシンパシーを感じていました。

3代目アコード“エアロデッキ”に乗っていました。2リットル直4DOHCのエンジンのふけ上がりが最高でした、4輪ダブルウィッシュボーンの足回りもしなやか。唯一ボディ剛性が低いのが欠点でしたね。当時仕事で頻繁に名古屋・東京往復をしてました。新幹線に乗れない夜間はアコードで往復、深夜の誰も走っていない中央高速道路を独りで歌いながら(眠気覚まし)走っていました。30年前の話です。

線路が真っ直ぐだなぁ、と見とれていたら下り1番ホームに到着。

※2021年3月撮影

ここから【駅ぶら】カットです。上りホームにいます。本川越駅方面を見ています。

※2021年3月撮影

下りホームの駅名標。

※2021年3月撮影

1964年(昭和39年)川越狭山工業団地が作られたことで新狭山駅も開業しました。狭山市駅などと違ってそれまではほとんど農地しかない様なエリアだった様です。狭山工業団地には先述の本田技研の他、ロッテ、住友電装などが立地しています。開業当初新狭山駅は1面1線でしたが、1966年(昭和41年)2面2線に拡張され橋上駅舎が作られました。

では【駅ぶら】は、次回に続きます。

(写真・文章/住田至朗)

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

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