今では考えられない野口二郎の鉄腕大記録

野口二郎さん

【越智正典 ネット裏】延長28回を投げ抜いた野口二郎投手の力投は職業野球時代の大記録である。世界記録でもある。

野口二郎投手は1939年、中京商業(中京大中京)からセネタースに入団。69試合に登板、33勝。翌年も33勝。戦争で野球の前途も心配されていた42年、なんと727回1/3を投げて40勝を挙げている。ピッチャーで4番だった。

宇佐美徹也氏(栃木県佐野高校、パ・リーグ公式記録員、報知新聞社データ本部記録部長、日本野球機構コミッショナー事務局データ本部長)著「プロ野球記録大鑑」(講談社1993年刊)を改めて拝読している。B5、全1090ページには写真が一枚も使われていない。そのスペースに少しでも多くの記録を…と願ってのことだったのだ。全ページに、いや扉にも、切愛の想いがある。

42年5月24日、後楽園球場での大洋(セネタース改め翼と金鯱の合併球団)対名古屋の5回戦は午後2時40分プレーボール。大洋の先発はもちろん野口二郎投手。4対4で延長戦。0行進が続いた。28回、6時27分、球審島秀之助がついに日没引き分けをコールした。344球を投げた野口二郎投手は凄いが、完投311球を投げた名古屋の西沢道夫投手(プロ野球養成第1号選手、64年なかばから中日監督)も凄い。宇佐美さんが書いている。

「野口二郎投手の鉄腕にも驚かざるを得ない。(28回を投げる)前日の朝日戦(大東京、ライオン)であわやノーヒットノーラン、9回一死後テキサス安打1本だけ。その2日前にも阪神に完封勝ち。前日の完投をウオームアップ代わりにした」のだった。

大洋で野口二郎投手と同室、部屋っ子だった飯塚商業捕手、柴田崎雄さん(のちに中日スカウト)が言っていた。

「夜は先輩の床を敷き、朝はフトンを押し入れにしまうのが新人のつとめでしたので、やろうとすると、野口二郎先輩が“やらんでいいよ”と、自分でやっていました。あれ、大先輩のトレーニングだったんですね、きっと」

私がこの大投手にご面識を頂いたのはずっとあとのことで、55年、毎日オリオンズのコーチに就任されたときである。

ふつう、プロ野球のエースは勝つと、どんなもんだい、負けると、相手が打っただけのことよ、責任なんかない! そんな顔をするものだが、野口二郎コーチにはそんな雰囲気は全くなかった。柴田崎雄スカウトの話をすると、キョトンとされていた。フトンの上げ下げは当たり前…という顔をされていた。

「そうですか。柴田崎雄君がそんなことを言っとるのですか」

野口二郎コーチはこのとき往時を回想されていたのかも知れなかった。お時間を頂いたお礼を述べ失礼しようとしたときに、この鉄腕大投手がひょいと言うのであった。「そうですね。ごはんはよく噛んで食べましたなあー」 =敬称略=

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