西武・辻監督の息子も常連客 メットライフDに出店した米野智人氏が“師”に寄せる思い

ヤクルト、西武、日本ハムでプレーし、2016年に現役を引退した米野智人さん【写真:篠崎有理枝】

米野智人氏がドラフト3位でヤクルトに入団した当時、辻監督は2軍守備走塁コーチだった

ヤクルト、西武、日本ハムで17年間プレーし、2016年に現役を引退した米野智人さん。引退後は東京・下北沢で飲食店を営んでいたが、今シーズンからメットライフドームにヴィーガン料理店「BACKYARD BUTCHERS」をオープンさせた。米野さんは、北海道・北照高校から1999年ドラフト3位でヤクルトに入団。この時、2軍守備・走塁コーチを務めていたのが、現在の西武の指揮官である辻発彦監督だった。

米野さんが小学生の頃はちょうど西武の黄金時代だった。辻監督は現役時代、西武でレギュラーを張り続け、1993年には首位打者を獲得した。ヤクルトに入団した時「この方と同じチームでプレーできるんだ」と胸が高鳴った。

「明るくて選手と距離が近い感じでした。話しかけてくれるし、笑顔も見せてくれる。当時から選手とコミュニケーションをよくとっていました。今でも、くしゃっとした笑顔が浮かびます」

もちろん、厳しい時もあった。18歳でプロの世界に飛び込み、1日中野球をやる。2軍でも毎日のように試合があり、慣れるまでは辛かった。それでも結果を残さなければいけないと教えてくれたのが、当時の辻コーチだった。

「言い方は古いかもしれませんが、勝負どころで『負けない』という気持ち、根性が必要だと言われました。プロはみんな野球が得意でエリート。周りは全員上手い人で、それぞれに頑張っている。その中で、普通の頑張りでは上にはいけない。強い気持ちを持たないと生き残れないと言われました」

メットライフDのお店には辻監督の息子・ヤスシさんが訪れるという

常勝チームでレギュラーとして出場を続けた名選手の言葉に重みを感じ「全ては自分次第。頑張らなきゃな」と思った。

結果が出ずに苦しい時もあったが、17年という長い間プロの舞台でプレーした。2012年には、今もファンの記憶に残る逆転満塁本塁打を放つなど、勝負強いバッティングを見せた。「1年目にあの言葉を言ってもらえて良かったです」。ルーキーイヤーに何度も言われた言葉が、米野さんの原点だった。

一塁側外周コンコースにあるお店には、多くのファンが訪れる。常連客の中には、辻監督の息子・ヤスシさんがいる。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、店をオープンさせたことを辻監督に直接報告できていないが、ヤスシさんを通じて激励の言葉をもらった。嬉しかったが、チームの調子が悪いときは元気がないという話も聞いた。

「プロの世界ですから、相手チームも強い。勝ったり負けたりするのは当然ですが、どうしても勝敗に左右される。監督は特に責任が重い。『精神的に大丈夫かな。ストレスとか大変かな』と心配になることもあります。体調だけには気を付けて、元気でいてもらいたいと思っています」

「BACKYARD BUTCHERS」は、現役時代に学んだ食の知識を生かしたヘルシーなヴィーガン料理専門店だ。「責任を感じるけど、監督にも食べてもらいたいな」。そう笑顔を見せる米野さん。第2の人生は、現役時代にお世話になった人や応援してくれたファンに、食を通じて恩返しをしていくつもりだ。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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