【レビュー】集団的大義がもたらす惨劇の本質に迫る個の物語の衝撃―『アイダよ、何処へ?』

『サラエボの花』『サラエボ、希望の街角』と一貫してボスニアを舞台に作品を撮り続けているヤスミラ・ジュバニッチ監督。

その最新作は、第二次世界大戦以降のヨーロッパでの最大の大量虐殺“スレブレニツァの虐殺”を描いた、観る者にとってまさに逃げ場のないような傑作だ。

主人公は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争中において、国連平和維持軍で通訳として働く女性、アイダ。

彼女には愛すべき夫と子供がおり、紛争の緊張感が最高度に高まる中、彼女の家族や同胞に大きな危機が迫ろうとする。

アイダはどのように感じ、どのような決断をし、どのように行動するのか。

これほど戦争という人災が招く悲劇の本質を説得力あるエネルギーをもって描いた映画は稀有だろう。

この映画は大量虐殺の悲劇を大局的に眺めて描くのではなく、ほぼ一貫してアイダという一人間の視点を通して一個人、一家族に起きた悲劇を描き切っている。

そうすることで民族浄化という集団の大義が個人に対してどれほどのことを行えるのか、実際に行ってみせたのか、を生々しく明らかにする。

アイダの経験を追体験するとことにより、観る者の心は容赦なく打ちひしがれることだろう。

上層部の指揮に機械的に従うことや本来人を守るべきルール自体が結果的に個を滅ぼしてしまうこと。

戦争に従事する人々の様々な事情が存在するとしても、その「事情」は果たして一個人にとって目の前にある家族の命の前でどんな意味を有するのか。

まるで大きな津波に飲み込まれるように、あるいは中断することのないドミノ倒しのように、次々と個の命が蔑ろにされていく様子は観る者をもどかしさと同時に無力感を伴う恐怖に陥れていく。

監督は、25年を経た今でも遺体の捜索が続き、虐殺を逃れた人たちの多くが存命している事実についても重要視する。そして、何よりもボスニア人として過去の大きな傷跡を世界に正確に伝えたかったという。

なりふり構わず家族を救おうとする劇中のアイダの姿に投影されたものとは一体何だろうか。

それは監督の過去を忘れてはならないという強い想いや、「あの時もしかしたら何かできたのではないか」という当事者たちの消えない自責の想いかもしれない。

“スレブレニツァの虐殺”自体は、日本ではあまり広く知られていない出来事だろう。

人間は、想像力を発揮するためには最低限の材料が必要であり、それは他者の傷に関する想像力の場合も例外ではない。

そして人は集団化してしまうと本来の個としての想像力を失ってしまう傾向にある。

本作は、どんな鈍感な人間の心をも強く揺さぶり、その想像力を取り戻させることのできる、衝撃的な個の物語だ。

むしろ民族・人種間の紛争に関する想像力に一般的に乏しい島国の日本だからこそ、多くの人々に観てほしい1本だ。

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