桜を見る会疑惑の質問のきっかけは?共産党入党に、親は反対しなかった?乙武洋匡が田村智子氏に迫る!

選挙ドットコムでは、乙武洋匡氏をMCに迎え選挙や政治の情報をわかりやすくお伝えするYouTube番組「選挙ドットコムちゃんねる」を毎週更新中です。

今回は2020年8月14日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは日本共産党・田村智子議員です。桜を見る会疑惑における質問の経緯や共産党との出会いについて伺いました。

 

桜を見る会疑惑における質問の裏側

桜を見る会疑惑の火付け役としても知られる田村議員。どういう経緯で質問に至ったのでしょうか?

田村議員は、「最初に取り上げたのは日本共産党の宮本徹議員だ。予算を大きく超えて開催されていること、招待者がどんどん増えていることについて、2019年の春に質問している。その後、日本共産党が発行する『しんぶん赤旗』が取材をしていたら、増えている中身は安倍晋三後援会桜を見る会前夜祭になっているという事実をつかんだ。安倍前総理のモラルを問題提起して、マスコミにも取り上げてもらおうという意図があった」と話しました。

乙武氏は、「質問をしてみて国会の場での手応えはいかがでしたか?」と尋ねます。田村議員は、「『しんぶん赤旗』が下関市で相当な取材を重ねていた。たとえ否定されても事実だという自信はあったが、(安倍前総理が)答弁として認めるとは思わなかった。安倍前総理が逃げても逃げても、まだこんな話しもあるよとぶつけていった。安倍前総理は認めなくても世間は許さないぞという気持ちでやっていた」と答えました。

続いて乙武氏は、「その後マスコミによって全国的な話題になったが、想定外でしたか?」と尋ねます。

田村議員は、「2つの想定外があった。1つは質問した直後に取り上げてもらえなかったこと。しかし、ネット上ではすごい騒ぎになっていて、他党の議員も拡散してくれたことにより取材が一気に押し寄せた。これも想定外だった」と話しました。

 

コロナを見越した質問!?

2019年、田村議員は国立感染症研究所の予算削減を国会で指摘し、「これで十分な対応ができるのですか?」と質問しています。

田村議員は、「安倍政権になって国家公務員の数を減らしたり予算を減らしたりしたことで、現場からは悲鳴の声が上がっていた。“国家公務員削減は危機的な状況にある“と与党の皆さんにもわかりやすく取り上げるには、国立感染症研究所の予算削減問題は適していた。また、質問の少し前には外国人労働者の受け入れを拡大するための法律(改正入管法)が押し通されていた。インバウンドで観光客をどんどん呼び寄せるのがアベノミクスだと言われていたなかで、(感染症対策の観点から)非常に危ないなと思っていた」と話しました。

 

共産党との出会いについて

「早稲田大学在学中に学費値上げの方針が出され、それはおかしいと思った。当時、学費値上げ反対の運動を主に担っていたのが民青所属の学生で、そのことがきっかけで私も共産党との繋がりができていった」と田村議員は話します。

また、田村議員が「共産党のことを知ってみよう」と思ったきっかけはもう1つあったようです。「小学生の頃に『はだしのゲン』が発行され、高校時代の修学旅行では広島県の被爆地を訪れた。1980年代は、“核戦争3分前“と科学者の皆さんが警鐘を乱打していたときで、なぜ核兵器はなくならないのだろうかと思っていた。そのとき共産党は、世界へ向けて核兵器を廃絶する条約を作ろうじゃないかと呼びかけていた。そこにグッと惹かれて共産党のことを知ってみようと思った」と話しました。

乙武氏が、「大学入学以前、共産党に対するイメージはなにかお持ちでしたか?」と尋ねると田村議員は、「なんとなく怖いというイメージがあった。ソ連のイメージが日本共産党とも繋がってしまうため、近づかない方がいいという印象でした」と明かしました。

続けて乙武氏は、「学費値上げに端を発して共産党に触れたとき抵抗はなかったのですか?」と質問します。

田村議員は、「入党を勧められたときは相当躊躇したし、親も心配するだろうなと思った。民青の皆さんは真面目でとても誠実な人たちだったし、共産党が目指していたものもソ連や中国とは全くちがった。むしろソ連や中国と強烈な論戦をしてきたのが日本共産党だということもわかった。共産党は、平和や民主主義に関する考え方が私と全く一緒だったが、まわりの誤解を解いてまで入党を決断できるかということには相当な躊躇があった。“共産党を支持するけど私は共産党員じゃないと逃げ道を残すのは卑怯だなという思い“から、最後は入党を決めました」と話しました。

入党にあたり、親御さんからの反応はどうだったのでしょうか。

田村議員は、「最初は隠していたが、開けっ広げに活動していたから人伝てに知れ渡り、猛烈に反対された。なぜ私の言っていることをわかってくれないのかと反発していたが、共産党で活動していると世代を超えた繋がりもでき、親の世代と話す機会もあった。その方々がどんな想いで子どもを育ててきたのかを聞くと、私も無条件で親をリスペクトしなければならないという想いになった。共産党のことではわかり合えなくとも、そのうちお互い折り合いのつくところが生まれてくるだろうと思っていたが、選挙に立候補したとき父親が応援してくれた。そこからはとても応援してくれるようになった」と話しました。

何度も落選経験がある田村議員。乙武氏が、「途中で心が折れないものなんですか?」と尋ねると田村議員は、「国会議員であろうと候補者であろうと、共産党員として世直しをしていくんだと思っていた。落選したときは悔しい。だけど、もう1回挑戦したいという想いだけでやっていた」と話しました。

 

田村智子氏プロフィール

1965年長野県生まれ。早稲田大学卒業後、日本民主青年同盟東京都委員会勤務。日本民主青年同盟中央常任委員、日本共産党議員秘書、日本共産党東京都委員会副委員長などを経て政界へ。2010年参議院議員に初当選し、現在2期目。以後、日本共産党中央委員、同女性委員会副責任者、日本共産党副委員長、常任幹部会委員などに選出される。

© 選挙ドットコム株式会社