ソフトボール金メダル陰の功労者 チームの女房だった峰幸代捕手

峰幸代捕手

【東京五輪 祭典の舞台裏(5)】東京五輪のソフトボール決勝で日本は因縁のライバルの米国を2―0で下し、金メダルを獲得した。大会期間中はエースの上野由岐子投手(ビックカメラ高崎)やチーム最年少左腕の後藤希友投手(トヨタ自動車)に注目が集まる一方で、陰の功労者は峰幸代捕手(33=同)だった。

20歳で出場した2008年北京五輪では、上野とバッテリーを組んで金メダルに貢献。一度は現役を退いたが、東京五輪で3大会ぶりにソフトボールが復活することを受けて「もう一度チャレンジしたい」と一念発起。主将の山田恵里(デンソー)、上野とともに、北京戦士の一人として東京五輪のメンバー入りを勝ち取った。

正捕手を務めていた13年前とは違い、峰の“主戦場”はベンチ。それでも、かつて本紙のインタビューで「代表の中での役割は五輪経験者であるということが他の選手にないポイントだと思っていて、いろんな選手とコミュニケーションを取りながら、入念に準備をしていくために自分の経験を使っていきたい」と語っていたように、腐らず自分の役割を全うした。

実際に、日本が3―2でサヨナラ勝ちを収めた1次リーグのメキシコ戦では、延長8回にV打を放った渥美万奈内野手(トヨタ自動車)に「できるから大丈夫」と励まし、気持ちを落ちつかせた。さらに、試合後には7回無死一、三塁の場面で、中堅への飛球を捕り損ねた主将・山田が涙を流す姿を見て「泣くのはまだ早いですよ。最後にうれし涙を流しましょう」と声を掛けるなど、黒子役に徹した。

東京五輪で峰がスタメン出場したのは、1次リーグ最終戦の米国戦のみ。決して出場機会が多かったとは言えないが、大会前に掲げた「将来の子供たちに夢を与えられるような日本の強さをみなさんにアピールしていきたい」との目標を見事に達成。その裏には、北京五輪を知る名捕手のさりげない気遣いがあった。

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