【高校野球】「自然と涙が出た」と話題に 23年ぶり降雨コールドを宣告した審判員の配慮と矜持

両校の主将に降雨コールドを説明した山口智久さん(中央)【写真:共同通信社】

大阪桐蔭-東海大菅生戦で話題になった球審は山口智久さん

第103回全国高校野球選手権大会第5日は17日、甲子園球場で行われ、3年ぶりの優勝を目指す大阪桐蔭(大阪)が東海大菅生(西東京)を7-4(8回表途中降雨コールド)で下した。23年ぶりの降雨コールドとなった試合。この一戦を裁き、降雨コールドを宣告した球審の振る舞いが話題に。実はアマ球界で知られ、選手からリスペクトを集める審判員だった。【神原英彰】

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降雨コールドの試合直後、1本の動画がツイッター上で話題となった。

それは、両校の主将を本塁付近に集めた球審が降雨コールドを説明する中継映像。球審の男性は向かい合った選手の目をしっかりと見て、丁寧に言葉をかけた後、礼を交わした。そして、ベンチに戻っていく2人の選手の背中を最後まで見送った上で、ゲームセットを宣告した。

雨天中止が相次ぎ、大会が押す異例の日程。通常なら試合開催も難しかっただろう。それでも両校に配慮し、意思疎通を図る姿が何度も見られた。最後まで球児と寄り添おうとした表情が捉えられ、ネット上では「審判員の対応に感動した」「これを見たら自然と涙が出た」との声が聞かれた。

話題になった審判員の名前は、山口智久さんという。

自身も甲子園を目指した高校球児だった。大宮南(埼玉)で外野手としてプレー。3年夏は準優勝。あと一歩、夢舞台に届かなかった。審判員になったのは30歳の時。母校・明大野球部の関係者の誘いで東京六大学リーグで始めた。

以来、20年。高校野球の甲子園、社会人野球の都市対抗と活躍の舞台を広げた。2016年にアマ野球審判員初の国際審判員のライセンスを取得。「プレミア12」など、国際試合を裁いたこともある。「球審・山口」を経験したどのアマ選手に聞いても尊敬を持たれている、名審判員だ。

モットーは「審判員が判定屋にならない」。東京六大学のリーグ戦では、選手以上の大きな声掛けが名物だ。「点取った後、切り替えていこう!」「ここが勝負所、全員でいこう!」。両校ベンチを盛り立てるように声を掛け、フェアプレーと好ゲームをサポートする。

「特に学生野球の審判員というのは、ジャッジはもちろん大事ですが、選手を盛り立てるような声かけが大事だと思っています。学生野球には教育的立場もあるので、プレーがかかれば、厳しくすることもあれば、イニング間に関しては気を使って、声をかけています」

プレーヤー目線を生かし、ただ「頑張っていこう!」だけでは伝わらない声掛けに、「アマ野球審判員」としての矜持が宿る。

2019年夏の甲子園で話題になった「フェアプレー弾」の舞台裏

そんな長いキャリアでクローズアップされた経験は1つや2つではない。高校野球ファンに最も印象に残っているのは2019年夏の甲子園だろう。

明石商(兵庫)-花咲徳栄(埼玉)の2回戦。明石商の投手の投げたスライダーがすっぽ抜け、右打席の花咲徳栄・菅原謙伸に当たったが、打者本人の「自分のよけ方が悪かった」という申し出で、判定はボールに。直後に本塁打が飛び出し、「フェアプレー弾」として大きな話題になった。

この試合で球審を務めていたのも山口さん。当時の打者とのやりとりを聞いたことがある。

「あの球はよけ切れない。死球にしようと判断した」。頭部死球の場合、臨時代走を指示する必要があるため、確認の声をかけたが、しかし――。「どこに当たったの?」「自分のよけ方が悪くて、すみません」「どうして?」「よけ方が悪かったので、死球ではありません」。

まさかの返答に一瞬、迷った。審判員として「打者からの自己申告を受け入れていいかどうか」という葛藤があった。本来は審判員の判断で、死球かボールか、決めなければいけないからだ。

「状況的に見て、自分から当たりに行っているわけではないので、本当は死球にしなければいけないと思うけど、間が空いてしまった。スタンドのお客さんもやりとりを見ているので、フェアプレーということもあり、自己申告を受け入れようと」

試合後に「審判長に怒られてもいい」との覚悟で行った判断が、結果的にドラマを生んだ。明石商から確認や抗議もなく、高校生らしいフェアプレーと、その判定には好意的な声が寄せられた。

選手は打者ならホームラン、投手なら完封をすれば、分かりやすい成功だ。しかし、審判員には失敗はあっても、成功と定義されるものがない。

球場で会えば、記者にすら、快活で明るく大きな声で挨拶をくれる山口さん。「野球は必ず勝敗がついてしまうものですが、試合が終わった後にお互いが全力を尽くして、良い試合ができたと思ってくれるように」との信念でグラウンドに立ち、難しい職務に向かい続ける。

そして、その精神こそが、多くのアマ野球選手から尊敬を集める理由でもある。

23年ぶりの降雨コールド。そのゲームセットは、野球とプレーヤーに対する深い愛情とリスペクトを持った一人の審判員によってコールされた。(神原英彰 / Hideaki Kanbara)

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