24日に開幕する東京パラリンピックに向けて企業の支援が広がっている。国内でもトップアスリートがプロ転向で競技に専念する例が出てきた。一方、コロナ不況でスポンサー支援が長く続く保証はない。そんな不透明な時代にユニークな視点で障害者スポーツを後押しする企業の取り組みを探った。(共同通信=田村崇仁)
▽「広告塔」は必要ない
あいおいニッセイ同和損害保険は、引退後の継続雇用を柱に、パラ選手の競技と仕事の両立に取り組む「デュアルキャリア」が大きな特徴だ。
「お金の切れ目が縁の切れ目では寂しすぎる。競技だけを望んだパラのトップ選手4、5人を面接でお断りしたこともある」。同社の経営企画部次長で前早稲田大スキー部監督の倉田秀道氏は「広告塔」は必要ないと打ち出し、理想を求めて確立したアスリート雇用についてこう説明する。
パラスポーツとの関わりは2013年9月に東京大会招致が決まる前からだ。日本車いすバスケットボール連盟への協賛が06年からと早い。交通事故で車いす生活になるケースと保険会社のつながりも踏まえ、15年に新たな雇用制度を創設して重点的なパラ支援にかじを切った。現在は所属23選手のうちパラ選手は半分以上の16人に上る。東京パラにも陸上や競泳、卓球で複数の代表が出場する予定だ。
パラスポーツ振興の取り組みも14年から展開。全国で開催される年間20大会ほどに、延べ2500人の社員が駆け付けて応援してきた。当初は「がらがらの観客席」(倉田氏)だったが、ボランティアで大会運営にも参画する社員と選手に、「共生」を意識した一体感が醸成され、営業利益や数字では表しにくい効果が生まれたという。
パラ競泳(視覚障害)で東京大会代表に内定した小野智華子は人事部に所属し、社員の健康増進を支えるヘルスキーパーとしても働く。他競技のパラ選手と仕事も競技も切磋琢磨(せっさたくま)できる環境に「みんな頑張っているから、自分も頑張ろうと思う」と感謝する。
プロ活動する陸上走り幅跳びで義足ジャンパーの山本篤(新日本住設)も「東京パラが終わればスポンサーを降りる企業はやはり多いと思う。プロも一定数いていいが、仕事と両立できるのが一番いい」と共感した。
企業にとってパラ支援の価値とは何か。倉田氏は「まだ道半ば。企業のブランド価値と似ているが、一朝一夕にはできない。場合によってはパラブランドがないぐらいで、欧州のように自然と混ざり合う形が理想だ」と将来像を描く。
▽10年先の理念共有
目薬の大手メーカー、参天製薬は日本ブラインドサッカー協会(JBFA)と2030年まで10年間のパートナーシップ契約を結んだ。国内のスポーツ界でこれほど長期のスポンサー契約は異例だ。パラスポーツ普及や障害者支援の流れを止めない動きの一つとして注目される。
参天製薬は世界の視覚障害に関連する社会課題の解決に向け、長期ビジョンを策定する中で目につながる活動を通じてブラインドサッカー(ブラサカ)に出会った。同社CSR室長の中野正人氏は「東京パラは通過点でしかなく、仮にパラがなくても長期契約をした。互いのビジョンを実現するには、短いスパンでは実現が難しい。10年は最低限必要」と説明する。
ブラサカはGKが目の見える選手で、そのほかの視覚障害者と一緒にプレーする。まさに障害者と健常者が自然と溶け込む「共生社会」がコートの中に広がる。「売り上げや利益を増やすビジネスが目的ではない」。異例の10年契約の背景には、ブラサカを通じてそんな理念を共有していくという理想が根底にある。
資金面での支援だけでなく、草の根の部分の関わりが多いのが特徴の一つ。JBFAが視覚障害の子どもを集めて開催する「キッズキャンプ」にも主体的に関わり、19年にタイで行われたアジア選手権では社員やアジア8カ国から約60人がボランティアとして参加した。視覚障害者との垣根を越えた交流を体験できたことで、目の健康に対する意識など多くの気付きを得たようだ。スポンサー企業が眼科医や教育関係者とも連携し、他団体を巻き込んで社会課題の解決に取り組む例は国内ではまだ珍しい。こうした活動は、視覚障害者の自立支援も含めて、新たな企業モデルとして注目されている。
▽「オーダーメード感」
日本パラ陸上競技連盟のオフィシャルパートナーで、東京大会の公式ユニホームを提供するクレーマージャパンは、テーピングやケア用品などスポーツ医科学の分野を得意とするメーカーだ。
車いす用ユニホームは11年世界パラ陸上を皮切りに、12年ロンドン、16年リオのパラリンピックでも採用され、競技者に合わせた採寸の「オーダーメード感」が特徴。「最強の裏方集団」を自任し、同社取締役広報部長の青葉貴幸氏は「選手にオリジナルなものを作っている。特にパラの選手は体形が十人十色。そこにきちんと合うオーダーメードのものを提供させていただく」と語る。
東京パラの招致が決まる前からチャリティー活動を行うなど、障害者スポーツにはもともと縁があった。パラ陸上の前は、聴覚障害者によるデフバレーボールの支援に携わる機会もあったという。
「より良いスポーツ環境をクリエイトする」を企業理念に掲げる同社。「私たちはもともと裏方。表に出るのは他のメーカーでいい。最初は車いすの選手が体形に合わないウエアを着る中で、じゃあ合うウエアを出していこうよ、と火が付いてから、どんどん広げていった」と振り返る。
プロ転向を表明したパラ陸上の佐藤友祈とはオフィシャルウエアパートナー契約を締結した。今までの信頼関係もあり、契約を交わす選手は毎年増えている。「国立競技場をパラ陸上ファンで満員にする」という夢の実現は今回厳しくなったが、こうした地道な活動がポストコロナ時代に花開く日を心待ちにしたいところだ。