恩師・千葉真一さんを偲んだ真田広之がブレイクするまで

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俳優の千葉真一(ちば・しんいち)さんが19日午後5時26分、千葉・君津の病院で死去したことを受け、千葉さんが創設したジャパン・アクション・クラブ(JAC)で指導を受けた俳優の真田広之が所属事務所を通じ追悼コメントを発表したことを、各メディアが報じた。

真田は、『子役の頃から、さまざまなことを学ばせていただきました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続けることが恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみください。合掌』と悼んだ。

東京生まれの真田は5歳で劇団ひまわりに入り、1966年に千葉さんの主演映画「浪曲子守唄」でデビュー。中学校入学と同時に、幼少時に共演した千葉の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団した。

高校入学後、千葉のアドバイスで学業専念することになり、一旦芸能活動から身を引いた。1978年、映画「柳生一族の陰謀」のオーディションに合格したことで芸能活動を本格的に再開。再デビュー後は千葉真一の命名により、千葉真一の「真」と千葉の本名(前田禎穂)の「田」を組み合わせ、「真田広之」と名乗るようになった。

その後、アクションスターとして名をはせ、1982年の香港映画「龍の忍者」での主演で初めて海外に進出。Sonny Chiba(サニー千葉)に続く日本のアクションスター・デューク真田として海外でも活躍。その後、演技派俳優としてもブレイクを果たした。

「03年公開の『ラスト サムライ』では主演のトム・クルーズに殺陣を徹底指導。しかし、真田の殺陣のシーンがあまりにも見事で、主役を食ってしまう可能性があったため、大幅にシーンをカットされたという逸話があるほど殺陣のエキスパート」(芸能記者)

今年公開のハリウッド映画「モータルコンバット」でも見事なアクションシーンを披露。千葉さんもその成長ぶりを喜んでいたはずだ。

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