「尾身茂亡国論」科学性ゼロの専門家集団|小川榮太郎 緊急事態宣言は一体いつまで続くのか。その根拠はどこにあるのか。1月から続く極端な社会制限、私権制限は、戦時中でもなければあり得ない最大級の人権侵害であり、生存権の侵害である――。「感染者数」で社会を脅迫する分科会とマスコミ、情緒的で科学性ゼロの発言を繰り返す尾身茂会長がいる限り、日本のコロナ禍は終わらない!

なぜ政府は小池都知事に屈したのか

1月2日、政府関係者から私の携帯に電話が入った。
正月から何事だろうかと思えば、小池百合子都知事が、政府に緊急事態宣言を出させようと、首都圏の知事らの取りまとめに暗躍しているという。

菅義偉首相としては、東京オリンピック開催を目前にした新年早々、改めての緊急事態宣言発令など何としても避けたいところであったろう。私も、年末のGOTOキャンペーン中断さえ言語道断だと考えていたから、緊急事態宣言の発令など、新型コロナの客観的な疾病リスクに見合わない極論、愚論としか考えていなかった。その時の政府関係者からの電話では、菅政権もほぼ同様の考えに基づき、小池都知事以外の首都圏の県知事らを説得し、概ねそれは奏功していたように感じられた。

ところが、驚いたことに、同じ2日の夜、小池都知事はじめ首都圏四知事が緊急事態宣言発令を政府に要請した、との報道が飛び込んできた。しかもこのあと、政府は押し込まれるように、この要請を追認する方向に一転したのである。

そもそも小池都知事ら地方の首長による要請の、疾病リスク上の根拠は何なのか。
また、地方自治体の要請に対して、かくも容易に政府がこれを追認するのは、法的建て付けからくる必然的な判断なのか、それともマスコミによる同調圧力に屈したのか。

それとも、菅政権がそれ以上に面倒な問題を抱え込んでしまっているためか。
1月から続く極端な社会制限、私権制限は、戦時中でもなければあり得ない最大級の人権侵害であり、生存権の侵害である。

それに見合うよほど確かな数値的、医学的な根拠がないまま、テレビが煽る恐怖に乗じて政策を決定するなどということは、責任ある政治家の取るべき道ではなかろう。

コロナ騒動は社会的な冗談だ

たとえば、マスコミがある特定の食材や添加物の危険性を科学的根拠なしに煽った時、政府がそれを追認して何らの妥当な根拠も示さずに、販売や使用禁止を国民に強制するようなことがあってよいものだろうか。

あるいは、マスコミが自動車業界と敵対し、これを潰しに掛かることにしたと仮定する。そうなれば日本のテレビ局は横並びで、連日、自動車事故の重傷者、死亡者数をおどろおどろしく伝え、事故現場写真、幼児や学童を巻きこんだ自動車事故発生を朝から晩まで報道し続けるであろう。親御さんたちは誰も子供を外に出さなくなり、道を歩く人は大幅に減り、自動車使用限定法なる法律が可決され、ひいては脱自動車社会が唱えられ、「馬への回帰」キャンペーンが起きるかもしれない。

私は冗談を言っているのではない。
いまの新型コロナ騒動は、全く同じレベルの社会的な冗談だと言っているのである。

特定の事柄をクローズアップし、その事柄の恐怖を一面的に煽動することで多くの国民に恐怖心を植え付け、それを基に政府に根拠なき政策決断を迫る。これは恫喝であって、日本はいつの間にかそれが罷り通る驚くべき無法社会と化しているということである。

そもそも、今回の一連の緊急事態宣言発令の根拠は何か。

様々な指標が示されてはいるが、結局のところそうした指標全ての土台となっているのは、科学的実体が極めて怪しい「感染者数」なる数値である。

発令に際して政府が設置している新型コロナウイルス感染症対策分科会が感染者数以外の重要な基準、たとえば致死率、死亡原因としての順位、基礎疾患・平均年齢と重症化リスクの関係などによって、新型コロナウイルスの社会的リスクを十分勘案した形跡は皆無である。

安倍政権時代の緊急事態宣言においては、大規模な社会制限、休業、酒類提供の禁止などをもくろむ小池都知事に対し、私権制限を最小限にする方針を堅持した。

ところが、今年に入っての緊急事態宣言は、私権制限と基準の恣意性が、どうにも目に余る。

愚かな政策の責任者は誰か

菅政権は発足以来、新型コロナ対策を除けば政策実現上の成果を数々挙げている。学術会議という左翼イデオロギーの砦に風穴を開け、日米首脳会談で台湾海峡に言及し、従軍慰安婦という呼称が不適切であることを閣議決定もしている。国民投票法改正案も衆議院で通過させ、一方でデジタル関連法を粛々と成立させてきた。天皇の男系男子継承への布石も、安倍時代よりも前進している。

安倍路線を堅持しつつ、安倍政権が外交・安全保障に軸足を置いていたために滞っていた内政改革にスピーディに着手し、政策実現のうえで期待値の高い政権だと言える。

だからこそ、私はここで問わざるを得ない。

なぜ、そうした能力ある政権が、新型コロナ対応では客観的にみて極めて愚かな政策――それも、菅首相自身が望まない失策をずるずると引きずり続けているのか。その悪い意味での象徴は、西村康稔経済再生担当大臣である。

私は、西村氏とは必要な時には携帯電話で連絡を取り合う関係で、私の周囲にも氏と親しい人は何人もいる。厳しい批判をするのは気が進まない。だが、今回の一連の新型コロナ対応では、私は西村氏を政府における人災の大きな原因として指弾せざるを得ない。

話を冒頭のエピソードに戻すが、私は1月6日、緊急事態宣言の発令が止め難い流れとなったのを見て、7日早朝、菅首相に、宣言解除のための数値基準は絶対に口にすべきでない、とメールした。

ところが、その日の昼のニュースで、私の僅かな希望は早々と裏切られることになる。西村氏が衆院議院運営委員会で、緊急事態宣言の解除基準に関して、東京都の新規感染者が1日当たり500人を下回ることが目安になるとの認識を示した、と報じられたからである。

報道によると、西村氏は「緊急事態宣言の解除は、感染の状況や医療の逼迫の状況を踏まえ、ステージ3の対策が必要となる段階になったかどうかで判断していくことになる」と説明し、指標のうち「1点だけ申し上げると、1週間当たりの感染者数が10万人当たりで25人を下回ることになっている。これを東京都に当てはめると1日当たり約500人の水準になる」として、感染者数に言及した。

氏が持ち出したのは、昨年8月に分科会が打ち出した指標のひとつだから、西村氏を咎めるのは酷だという考え方もあるであろう。

だが、分科会の提言どおりに事を運ぶだけならば、政治家はいらない。

「コロナ死」は極めてマイナーな死因

東京都の感染者数は12月28日の481人を最後に連日700人を超え、1月7日には過去最多の2447人の感染を確認している。つまり年末にはステージ4を超え、急増中だったのである。

それにもかかわらず、菅総理―加藤官房長官ラインがぎりぎりまで緊急事態宣言発令を回避しようとしていたのは、冒頭のエピソードが示すとおりである。菅氏らが、分科会の提示したステージという基準が危機の実態と見合っていないと判断したからに違いない。

あとで改めて書くが、そもそも感染者数なるものは政府が管轄している数値ではない。科学的な根拠、統計的な根拠も薄弱である。ありふれた風邪ウイルスの強力な変異であるとされる新型コロナウイルスに曝露している人数は実際には膨大なはずで、100人や1000人などという微小な数的基準を持ち出せば、解除の目途が立たなくなるのは、専門家でなくとも風邪ウイルスの基礎知識があれば誰でも分かるはずだろう。

今般の緊急事態宣言発令に先立って何よりも考えるべきは、出口戦略だったはずである。

繰り返し指摘してきたが、この1年5カ月にわたる日本での新型コロナによる死者数は、1万人強、平均年齢も80歳を超えている。同じ期間に日本の死者数は約200万人であり、新型コロナの死亡原因順位は20位以下、極めてマイナーな死因と言わざるを得ない。

要するに、分科会の提言したステージ3を解除基準にしていたら、死亡リスクの低い疾患のために、気候が温暖になる5月下旬か6月まで宣言解除は不可能になる。

実際、分科会の設定したステージそのものが変異風邪ウイルス対策の常識としては噴飯物であって、そのままでは到底政策に落とし込むことは不可能なのである。

「感染者数」で社会を脅迫する分科会

そもそも、新型コロナウイルス感染症対策分科会とは何か。

昨年2月に発足した専門家会議が、科学的根拠もなく誇大な危機を煽って社会制限を提言するのに業を煮やした安倍政権が、これを1度解散し、よりまともな専門家らに組織替えするのが秘かな意図だったことを、私は当時の政権関係者複数から確認している。

ところが、それが丁度、安倍首相が持病の潰瘍性大腸炎を再発した時期と重なってしまう。新しい分科会を安倍氏が充分掌握し、コントロールできる状況でなかったのは容易に想像がつく。メンバーも事実上の横滑りが多く、主要な顔ぶれは変わっていない。

事実、再スタートに際しての8月7日付の提言を見れば、専門家会議の非科学性をそのまま引き継ぎ、根拠もなく数々の行動制限の強行を主張している。

分科会は、感染状況についてステージ1から4を設け、ステージ3を感染急増期、ステージ4を感染爆発期と定めている。このうち感染爆発に当たるステージ4は、新規感染者数が1週間につき人口10万人あたり25人以上となっており、新規感染者数がその前の週を上回ることも条件とされている。

その場合には「緊急事態宣言など、強制性のある対応を検討せざるを得ない」とされ、我々にすっかりなじみとなったイベント中止、休業要請、移動制限、テレワーク、酒類提供禁止などは、本を糺せばこの提言に由来する。

言うまでもなく、こんな戦時中並みの「強制性のある対応」には、それに見合った根拠が必要であろう。ところが、分科会の提言には見事なまでにそれが欠落しているのである。

ステージ4の感染者数は日本の人口に置き換えれば、1週間当たり約3万人の感染者数となる。1日にすれば約4000人だ。だが、この数値自体は全く意味をなさない。

感染カーブは感染爆発時には累乗的に拡大するから、先週に比べて数が増加しているなどという一般論で判断しようがない。ごく微小の段階でも、数理計算に基づき感染波は予測できる。本当に危険な感染症の爆発であるなら、実は10万人あたり25人という数値は甘すぎる。

ところが、逆に疾病としてのリスクがそれほど高くないのならば、この数値は、政府が「強制性のある対応」をするにはあまりにも厳しすぎるのである。

疾病としてのリスクがどの程度かという評価抜きに、感染者数だけで社会制限の可否の判断などできないのは、言うまでもない話ではなかろうか。

分科会が研究すべき最大のテーマ

ところが驚くべきことに、この分科会提言には、死亡人数の基準、重症化の判別基準、平均年齢や基礎疾患の有無によるリスク判断が一切記されていない。

感染爆発とされるステージ4は、「爆発的な感染拡大により、高齢者や高リスク者が大量に感染し、多くの重症者及び死亡者が発生し始め」るとされている。

ふざけているのか。

どんな年の風邪、インフルエンザも「感染拡大により、高齢者や高リスク者が大量に感染」する。高齢者や高リスク者をどう守るかは医療政策の重大なテーマでもあり、各個人の行動によっても注意してきた。それは新型コロナに始まることではない。

論点は、新型コロナウイルス感染で、例年を遥かに超えて特段に「多くの重症者および死亡者が発生」するかどうかである。また通常と異なり、60代以下、平均年齢を下回る層で特段に「多くの重症者および死亡者が発生」するかどうかである。

もし、それらが例年を大きく超える被害を生じているならば、社会政策が必要になる。

だが、感染が出ても、例年を遥かに超えて特段に「多くの重症者および死亡者が発生」したり、若年層に多くのリスクがないならば、社会制限などしてはならない。である以上、感染症として、従来とは異なる劇症化リスク、若年リスク、高死亡率などが認められるかどうかこそは、分科会が研究すべき最大の主題だったはずだろう。

ところが、それが一切ない。

昨年8月の提言にないだけでなく、今日に至るも一度も医学的、統計学的な根拠が示されたことはない。無茶な話である。エボラ熱やコレラ菌などで1週間当たり約3万人の感染者が出たら大変な話だが、インフルエンザでこの数値ならば学級閉鎖も起きない。

ところが、インフルエンザに較べても、コロナ型ウイルスはさらにありふれた風邪ウイルスのひとつであり、従来20~30%の風邪の原因とされてきたものなのである。

恣意的に操作し得る「PCR検査」

実は、風邪は医学的な研究の最も進んでいない疾病のひとつだ。感染しても発症しない人が無数にいるし、軽度の症状なら医者に行かずに放っておく人が大多数である。症状が多少重い場合でも、風邪薬を買って家で寝ている人のほうが通院者より多いだろう。通院したからといって、風邪原因のウイルスを検査して特定するなどという経験をされた人はいまい。

コロナ型ウイルスは、従来から広く蔓延していたに違いないが、医学的にも統計学的にも実態は把握されていなかったのである。ただし、我々の生活実感としては、軽度の風邪症状は年間複数回あるものだし、熱を出して寝込むことも個人差はあれ、1年に数回から2、3年に1度は誰しも経験するだろう。無症候の感染がその数倍あるとすれば、風邪ウイルスの曝露は誰しも年に5回や10回を下回ることはなかろう。

そんなウイルスに対して、週当たりの感染者を無症候の人間までPCR検査で拾い上げ、10万人当たり25人を超えたら感染爆発だなどと定義したら、収拾がつかなくなるのは目に見えている。

しかも、分科会提言はその判断基準をもっぱら「感染者数」に依存しているのに、その根拠となるPCR検査について、何らの採用根拠や基準を示していない。

どのようなPCR検査キットが用いられており、それはCt値、精度において適切なものか、政府は現在まで1度もその妥当性を検討していない。PCR検査キットは業者や検査機関の恣意に任されており、政府の許認可を必要としていない。検査技師の能力に対する基準を設けてもいない。

何よりも驚くべきことは、感染者数は政府が管轄、集約、発表する数値ではないということだ。地方自治体が保健所から上がってくるデータを発表しているだけで、政府には適切な検査を指導したり、正確な数値を報告させる法的権限がないのである。

これで政府に大きな政策判断をすることができるはずがあるまい。

新型コロナ禍が世界で勃発して数カ月は対処に追われ、事態の改善に臨めなくとも仕方なかったであろう。だが、すでに1年5カ月を経過している。最優先すべきは、政府が医学情報を一括管理できるような法整備ではなかったのか。

いまからでも遅くはない。何としても、政府が管理していないPCR検査による感染者数が、国策をかくも深刻に拘束するという異常さを改善しない限り、事態は半永久的に改善しない。

たとえば、反日極左活動家や東京五輪潰しの意図を持つ者がPCR検査キットを大量に販売し、共産党の強い自治体、医師会有力者、大病院などを通じて、陽性者が出やすいPCR検査を普及させれば、クラスター追跡などでデータを恣意的に操作し得る。

分科会は疾病リスクの判断もせず、感染者数のみに依存して社会制限を唱える一方で、PCR検査の妥当性についても、医療体制整備の具体的な提言もせず、いたずらに行動制限を唱え、時間を浪費した。

尾身会長こそふんどしを締め直せ!

こうした怠慢のまま、11月が来る。言うまでもなく、コロナ型ウイルスは11月から4月まで、再三再四、波の増減を繰り返し流行する。案の定、11月18日、尾身茂分科会会長は衆院厚生労働委員会で次のように発言し、現在まで半年続く狂気の幕を自ら開けることになったのである。

「クラスターの数が多様化していたり、実効再生産数とPCRの陽性率も少しずつ増加したりしている。このままいくと、国民の努力だけではコントロールするのが難しく、さらに強い対応をしないといけない事態になる可能性がある。そうならないために、感染リスクが高まる場面を避け、先の分科会の緊急提言を踏まえた対応を早急に実施することが求められていて、いまがもう一度、ふんどしを締め直す時期だ」

「ふんどしを締め直す」が10カ月の経験を経たうえでの専門家の見解とは、笑う気にもなれない。尾身氏の情緒的で科学性ゼロの発言はなおも続く。以下、11月27日、衆院厚生労働委員会。

「多くの人に分科会のメッセージに対して協力してもらい、個人の努力を十分にやってもらったが、ここまでくると、個人の努力だけで、いまの感染が拡大している状況を沈静化することはなかなか難しい。問題の核心は一般の医療との両立が難しくなっている状況であり、個人の努力だけに頼るステージはもう過ぎたと認識している」

「営業時間の短縮や、感染拡大地域とそれ以外の地域での人の動きをなるべく控えてほしいと、国や地方自治体が強いメッセージや方針を出しているが、すべての国民が同じ危機感を共有することが重要だ」

感染状況は政府と国民の責任、努力次第という責任回避のロジックが暗示されている。

分科会の失策・無策と、今後の危険

コロナ型ウイルスの感染拡大は、政府の責任でも国民の責任でもない。ウイルスとの共存は人類の生物学的所与なので、要は感染そのものではなく、死亡・重症化リスクと社会政策をどう対応させるか以外に正しい問題設定はあり得ない。

多くの大病院で、病床には余裕が充分にある。一体、どうして全国で1000人単位の重症者が出ただけで医療崩壊を叫ばねばならないほど、医療資源の配分や協力体制を整備しないで時を浪費してきたのか。

今年に入ってから、国民生活への干渉が狂気の域にエスカレートするが、私が誌面でそれを繰り返す必要はないであろう。

早急な改善提案を強く具申しておきたい。

菅総理、加藤官房長官、田村憲久厚生労働大臣、二階自民党幹事長、下村博文自民党政調会長ら国策の重大な関与責任者各位には、ぜひ早急な判断をしていただきたいと切望する。

政府の専門家会議/分科会の失策・無策と、それが招き得る今後の危険は以下に集約される。

①コロナ禍が始まってほぼ1年半が経過したにもかかわらず、いまだに「感染指標の増加に応じて、社会・経済活動制限の度合いを強める」 「ワクチンが行き渡るまで耐え忍ぶ」という以外の手立てを何も持っていない。その有効性には多くの専門家から疑義が呈されているが、これまでに真剣な分析・検証はなされていない。

②そのため、感染指標のみがクローズアップされ、メディアや野党、医師会などが騒ぎ出すと、それに追随して社会・経済活動のさらなる制限(まん延防止、緊急事態宣言等)を政府に提言することしかできない。

③欧米での感染状況から見て、変異ウイルスによる感染拡大は、どれほど厳格な行動制限(ロックダウン等)でも制御できず、自然収束→新たな変異による再拡大というサイクルを繰り返していることは明らかである。

④幸運にも欧米より遥かに低い感染レベルだったことで、これまではそうした無策を糊塗できたが、今後“モンスター変異株”が生じれば、どのような行動制限を課そうが何の効果もなく、欧米並みかそれ以上の感染爆発が起こり、確立された治療法もなく、現状のような低レベルの感染状況ですでに
「逼迫」している脆弱な医療体制は、崩壊どころか完全に破滅することになる。

科学性ゼロの分科会はご破算に

ちなみに分科会は、法律上の政策決定権限は全く有していない。法律上の建て付けは、あくまでも内閣総理大臣に対して意見を述べるに留まるものだ(新型インフルエンザ等対策有識者会議の開催について 平成24年8月3日閣議決定)。

逆に言えば、政府は分科会に対し、政治判断を丸投げするのではなく、病理研究、統計、感染者検査の妥当性をはじめとする判断根拠を厳しく諮問し、それらに対する意見のうち、取るべきを取り、捨てるべきを捨てるのが本来のありようであろう。

そして、いくら諮問してもまともな専門的知見を引き出せなければ、現在の政府分科会はご破算にし、別の判断根拠を求めよ。専門家の知見を政策判断にどうつなげるかの匙加減こそが、国民が委託した政府の権限であり、指導力である。体裁やマスコミのバッシングを気にしている場合ではない。どれだけの社会的損害を出せば気が済むのか。

この1年5カ月、専門家会議、分科会に主導されてきた政府の対応について、感染症、ウイルス学、検査学、臨床医師ら多数に幅広くアンケートや意見書提出を求め、現在の分科会と違うメンバーによる調査委員会に評価させ、それに基づき、全面的に今後のコロナ対応を見直すべきである。

リスクを取れない政治家は政権に就くな!

今回の危機が、スペイン風邪でも中国人民解放軍でもなく、弱毒の風邪ウイルスによるものだったのは不幸中の幸いであった。

この程度の事案にさえ全く対処できないほど、日本の政権の危機管理能力が極端に低いことが、国家崩壊レベルの危機に見舞われる前に露呈したことになるからである。

その根本的な原因は、判断リスクが高い事案に対してほど政治決断ができないという、政治指導力の不足にある。

リスク回避ばかりを狙う行き方は、官僚の方法論であっても政治指導者のそれではない。しかも、新型コロナ事案は判断リスクが高いといっても、昨年の秋にはすでに充分な判断材料が揃っていたのである。

尖閣・台湾危機、人口激減、皇室危機など、今後わが国は政府による判断リスクの極めて高い事案を矢継ぎ早に迎え撃たねばならない。

リスクを取れない政治家は政権に就くな。

いまは平時ではない、事実上すべての要素が戦時と化している。不決断、判断先送りは、明確な根拠と理性に基づく判断ミスを遥かに超えて、国家の大敗を招く。

政権要路の政治家は、部下や専門家に幅広く、判断材料を提示することを貪欲に要求し、根拠に基づく速やかな判断を下す訓練を自らに意識して課すこと――菅政権幹部、自民党で次期総理を狙う全ての政治家は、その点を肝に銘じていただきたい。

日本の歴史的大敗は迫っている。

(初出:月刊『Hanada』2021年7月号)

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小川榮太郎

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