【高校野球】コロナ禍に負けないチーム作りのヒント 弘前学院聖愛を甲子園に導いた改革とは

石見智翠館との試合後、グラウンドに向かって一礼する弘前学院聖愛ナイン【写真:共同通信社】

練習試合ができない夏に「もう一度、冬のトレーニング」を敢行

第103回全国高校野球選手権は21日、阪神甲子園球場で第8日を行い、8年ぶり出場の弘前学院聖愛(青森)は3-4で石見智翠館(島根)に敗れた。コロナ禍で対外試合ができない期間に、工夫を凝らした練習の成果で青森大会を制覇。その粘り強さを甲子園でも発揮した。

点差をつけられても諦めない。2-2の8回裏に勝ち越し2ランを打たれ、2点差で9回の攻撃へ。弘前学院聖愛は「3番・中堅」の丸岡昂太郎(2年)が三遊間を破る安打で出塁すると、「4番・左翼」の佐藤海主将(3年)も右前にポトリと落ちる安打で続いた。無死一、二塁で「5番・遊撃」の長利斗真(3年)はバントを選択したが、猛チャージをかけた一塁手が三塁へ送球。封殺で走者を進めることはできなかった。だが、代打の佐藤雄心(3年)は初球からバットを振り抜き、中前へタイムリー。1点差に詰め寄った。最後は併殺に打ち取られてゲームセットとなったが、ただでは終わらなかった。

8年ぶりの甲子園。青森大会の準々決勝では、ここ10年で夏6度の甲子園出場がある八戸学院光星と対戦した。2回までに0-5と大量リードを許したが食らいつき、最終的に7-6で勝利した。青森山田との決勝も初回に3失点。4回に2点を返したが、6回に長短打とスクイズで2-5とされた。だが、その直後に2本の適時打で同点とし、8回には長利の決勝本塁打が飛び出して2013年以来の優勝を決めたのだった。

脅威の粘り強さで光星、青森山田の青森2強を破って立った甲子園の舞台。そこには、春にもうひと伸びを見せた選手たちの成長の跡がある。聖愛は昨秋の県大会で光星に4-5で敗れ、今春の県大会は投打にバランスの取れた八戸工大一に8-9と、またも1点差に泣いた。その後、青森県では対外試合の原則禁止が6月末まで続いた。通常、シーズンに入れば毎週末などに練習試合を行うが、それができない。原田一範監督はこの期間に「もう一度、冬のトレーニングをしよう」と思い立った。

例年よりも、ウエイトや体幹といったトレーニングの量や費やす時間を増やした。また、4月からトレーナーの成田暢平さんが選手個々に合わせたメニューを組む「パーソナルトレーニング」も導入しており、己に向き合う時間もできた。「ひとりひとり必要なトレーニングは違うと思う。ポジションの特性もある」と原田監督。メニューは毎週更新され、選手たちは「世界に一つだけのメニュー」(原田監督)で自らを高めた。雪のため外で練習できない冬場は、トレーニングの成果を直に感じることが難しい時期。春はボールを打ったり、投げたり、実際にプレーして変化を感じられた。成果が見えることで確実にステップアップしていった。

週末は紅白戦を行ったが、そのネーミングは「夏の大会のリハーサルゲーム」。夏の大会の緊張感を持ってプレーすることを目的とした。「でも、一番、そのモードでやったのは監督です」と原田監督は笑う。「八戸工大一との試合で試合勘が鈍っているのは監督だなと思ったんです。投手の代えどころや声がけ、タイムを取るタイミングなど、あるじゃないですか。だから、自分が一番、夏の大会のモードでやりました」。

暗算ランニングで集中力向上――体力、知力、精神力に磨き

県の対外試合禁止期間後にできた練習試合はわずか6試合だったが、指揮官は「ホームランが試合数の倍くらい出たんですよ。これは成果が出たなと思いました」とニヤリ。冬が明けて春になると、飛距離が伸びたり、球速が上がったりと努力が目に見える。同じ現象が7月に起こったが、手放しでは喜べなかった。パワーアップし、ゲーム勘も戻ったものの、試合で競る機会がなかったのだ。

「ビハインドも経験しない。だから、ランニングメニューで追い込みました」と原田監督。それもただ走るだけじゃない。グラウンドの2ヶ所にマネジャーがいて、その前を通過する時に足し算、引き算、掛け算、割り算、そして「たまに√(ルート)も混ぜて」(原田監督)の暗算を課した。メニューの合間には、集中力を保たせることを目的に硬式球を縦に2つ積む「ボール積み」も入れた。設定タイム以内にできなければペナルティがあり、周囲を気にして焦りも出てくる。走って心拍数が上がっている中、雑念を取り払い、いかに集中できるか。こうした練習で体力、知力、精神力に磨きをかけた。

青森大会では5試合で計7本塁打が、それも効果的に飛び出し、ビハインドも跳ね返して8年ぶりの頂点に。原田監督は「去年の3年生が残してくれた勝利だったと思っています」と言った。昨年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で甲子園を目指すことすらできず、県独自大会は8強だった。指揮官が「去年は強くはなかったですけど、本当に、めちゃくちゃ最高のチームだったんですよ」と胸を張るほどのチームで、主将を務めていた斎藤拓哉さんがこの夏、練習を手伝ってくれた。医学部を目指して浪人中の斎藤さんは、勉強の合間を縫って「最高で最強のチームになろう」と甲子園を目指す後輩たちをサポート。今年の甲子園には2年分、いや、何年分もの思いが詰まっていた。

女子校だった弘前学院聖愛は2000年に男女共学となり、01年に野球部が創部された。以来、指揮を執る原田監督はさまざまなチャレンジをしながらチームを作ってきた。地区大会を勝てるようになり、県大会で上位に進出するようになり、東北大会に出場するようになり、青森県の新興勢力として地位を築いてきた。そして13年夏、悲願の甲子園初出場。さらに2勝を挙げる快挙を果たした。だが、そこからの8年が「長かったですよ!」。2018、19年と2年連続で青森大会決勝に進出したが、いずれも光星の前に涙した。

その間も挑戦や改革を続けてきた。1つは「ノーサイン野球」だ。攻撃中、監督は腕や帽子を触り、打者や走者にやってほしいことをサインにして送る。だが「指示待ち人間を作りたくない。野球は無数無限の状況がある。自分たちで判断してほしい」との考えから、原田監督はサインを出さないようになった。その場面で何を選択するか、それは練習の中で詰めておく。試合中のベンチでは「1点を取りにいこう」「ランナーを溜めていこう」「出たらどうする?」といった情報を共有する会話が自然と起こる。

チーム内のルールも撤廃した。以前はお菓子や炭酸飲料を口にすることや男女交際、SNSなどチームで決めた禁止事項が多々あった。「禁止だからやらない、ということではなく、なんのためにお菓子を食べないのかなど、本質を追求できる人間になってほしいんです」。何かを成し遂げようとしている時に、その選択や行動は正しいのか。その時間の使い方でいいのか。決まりだからという理由でやらないのではなく、自分で考え、選択することで自立を促す。髪型も自由にしたため、短髪の部員もいれば、丸刈りの部員もいる。

野球人口の拡大にも貢献、小学生向け動画を自分たちで制作

野球人口減少の歯止めの一助になろうと、シーズンオフには地元の小学生や未就学児、まだ野球に触れたことがない子どもたちへの野球教室にも力を入れる。昨年の全国一斉休校期間には、野球教室に参加した少年野球チームからこんな依頼があった。「子どもたちが自粛に飽きている。プロ野球選手のユーチューブを見るように言っても、あまりに遠い存在で見ない。聖愛の選手たちに動画を作ってほしい」――。原田監督は(1)時間はひとり30秒、(2)小学生に効果があるもの、(3)小学生が喜ぶものという3つの条件をつけて部員に提案した。

打撃編、守備編、トレーニング編、生活編など、自分で分野を選び、撮影・編集も自分で行い、ひとり1作品を提出。寝転がってのスナップスローや部屋の整理整頓など内容は多彩で、テロップに漢字があれば仮名を入れるなど、「喜ばせようとするクオリティが高かった。すごいですよ」と原田監督が驚く動画が次々と上がってきた。「選手は『めっちゃ時間がかかった』と言っていましたが、とても喜んでいただいた。小学生が喜び、うちの選手にとってもいい経験になり、ウィン・ウィンです」。交流は地域の子どもたちのためになっているだけでなく、部員たちの成長にもつながっているという。

こうしたさまざまなチャレンジは「そんなことばかりやっているから勝てないんだ」という心ない声に変わることもある。それは原田監督の耳にも入る。「そういう意味でも8年は長かった」と言う。3大会連続で青森大会決勝に進み、原田監督は「今年も負けたら、もう、一生ねぇだろうな」と思っていたと胸の内を明かす。だが、途中から吹っ切れて、気持ちが楽になった。目の前では選手たちが相手に食らいついている。気づけば、甲子園出場を決めていた。

8年ぶりの聖地で、6日遅れの初戦。白星をつかむことはできなかったが、9回の追い上げには諦めない姿勢が詰まっていた。「目的は人間形成で、目標は甲子園。人としての部分と野球。“論語と算盤”です」。原田監督の指導方針はこれまでも、これからもブレることはない。きっとまた、チャレンジを続け、甲子園に帰ってくる。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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