ミゲルが信じたもの

 日本でキリスト教が禁じられていた17~19世紀に、ひそかに信仰を続けていた人たちを「潜伏キリシタン」と呼ぶ▲キリスト教は本来「我(われ)のほか汝(なんじ)に神あるべからず」と教える厳格な一神教だ。だが江戸幕府の厳しい取り締まりで国内に宣教師がいなくなると、信仰の形は変わってゆく▲潜伏キリシタンは家に仏壇や神棚を置き、神仏も併せて拝みつつ、自分たちの大切な信仰を守り続けた。日本の在来宗教を否定せず、穏やかに共存する道を選んだのだ。日本の多神教的な風土に適応した信仰の形だと言える▲あるいはこの人も「日本的キリスト教」を志向したのか。安土桃山時代にローマを訪問した天正遣欧使節の一員、千々石ミゲルだ▲ミゲルは4人の使節で唯一、キリスト教を棄(す)て仏教徒になったとされてきた。ところが2017年、ミゲル夫妻が眠るとされる伊木力墓所(諫早市多良見町)の発掘調査では、仏式で葬られた女性の骨と共に、キリシタン信仰を示すロザリオや聖遺物とみられる副葬品が見つかった▲ミゲルは修道会のイエズス会を離れてはいるが、脱会すなわち棄教(ききょう)ではないはず。禁教の中で「自分たちの神」を信じ、追い求めていたとすれば、潜伏キリシタンの先駆けと言えよう。真実のミゲルを求め、4度目の発掘調査が23日に始まる。(潤)

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