【在宅医・佐々木淳コラム】嫌な予感がする

(佐々木医師提供)

在宅医になって15年。
こんな在宅医療をやるなんて想像もしていなかった。

通気性の悪い素材で全身を覆う。
患者の部屋は窓が開かれ、外の熱気が流れ込む。 そこには介護用ベッドのような快適な処置台はない。布団やマットレスの脇に屈む。マスクの向こうで激しくせき込む患者。曇りガラスのような視界の向こう、ゴム手袋で鈍った触覚で脱水患者の血管を探し、点滴や採血をする。

重たい酸素濃縮器を運び込む。 在宅酸素療法とステロイドの説明をする。
まだ感染が明らかになっていない家族がいる場合は(おそらくその多くは既に感染しているはずだが)、ゾーニングや生活指導もする。

そして、治療が思うようにいかなかった場合、酸素濃縮器を最大限に動かしても酸素が足りない状態になった場合、どうするのか、という話をする。相手は末期がんや寝たきり高齢者ではない。30代、40代、50代、半分が僕よりも若い人たちだ。15分やそこらでは出てこられない。

診療を終えると、自分の汗でシャワーを浴びたように全身びしょ濡れになる。家の外で感染防御具を脱ぐと、そこには灼熱の太陽。往診車に戻りエアコンをかけると、濡れたスクラブが身体を芯まで冷やす。サウナと水風呂を交互に入り続けているみたいだ。

コールが続き、電話連絡、往診、記録、保健所への報告、薬局への処方依頼・・・そして診療中に入っている新たな対応依頼、患者の住所を地図で確認し、診療ルートを考える。休む暇なくスマホとパソコンをナビを操作し続ける。昼食を食べる暇などない。眼球結膜が乾燥でパサパサしてきたことで、朝から水分を取っていなかったことに気づく。

昨夜は、コロナ患者からのコールで2時間おきに起こされた。 正直、夜中に電話をかけてもらっても、これ以上やれることは実はない。しかし、「何かあれば電話ができる」というのは患者や家族にとってはこの上ない安心感のようだ。だから、24時間つながる電話番号を渡す。

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「酸素を7リットルで吸入し、動脈血酸素飽和度は92%までしか上がらない。
どうしたらいいですか?」
「入院の順番は早めてもらうようにしています」
「救急車をいくら呼んでも来てくれないんです。先生、助けてください」

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目が覚めて、一応着信履歴を見て、それが夢であったことを確認する。

僕は先週から診療スケジュールの過半を新型コロナの往診に割いた。在宅コロナの往診は、本人・家族からの感謝が大きい。疲れも吹き飛ぶ。変なアドレナリンが出ているのか、依頼が来ると「よし行くぞ!」という気分になる。

だけど、1日が終わり、クリニックに戻ると、なんだか頭が働かない。立ち上がる元気がない。コロナ専従になってから、眠りはさらに浅くなった。自分の言うこと、書くこと、その表現が荒んでいることを指摘される。

でも一番つらいのは、たぶん身体の疲れではない。
病院にさえ行けば助けられる人が、もしかしたら入院できる前に死んでしまうかもしれない、ということを考えざるを得ない精神的な疲れだ。

本人や家族は強い恐怖を感じている。しかし、ないものはないのだ。
同じ医者なのに、家ではここまでしかできない。
そんな無力感が一番つらい。

メンタルのタフさにはちょっと自信があった。しかし、これ以上、このままのペースで関わり続けていいのか。 嫌な予感がする。

今から10年前、1人で800人の在宅患者に24時間対応をしていたときのあれだ。

毎日毎日、病棟でコロナ患者と戦い続けている他の医療専門職の心身の疲労はこんなものではないだろう。本当に頭が下がる。

この程度でちょっと情けないが、とりあえず、明日は専従ルートに僕よりも優秀な臨床医が2人揃っている。コロナ診療は休ませてもらおうと思う。

僕にはコロナ以外の大切な患者さんもたくさんいる。この人たちを蔑ろにするわけにもいかない。たまった宿題もたくさんある。

きっとコロナに対応してくれている他のメンバーも僕と同様の不安定さを感じつつあるはずだ。

いま、少し立ち止まる。
そして、少なくともあと1か月は戦い続けられる体制を改めて考えようと思う。

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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