【幕末維新 山口れきし散歩】 No.19 「富永有隣招魂の碑」

▲雲は流れても(山口市陶)

 孤高の志士・富永有隣(とみながゆうりん)は、1821(文政4)年、吉敷郡陶村(現・山口市陶)に生まれた。13歳の時、御前講義を行い褒賞される。藩政府出仕後は小姓役を務め、配膳役へと進むが、無実の罪を着せられ、萩沖の見島へ遠島となり、翌年には野山獄へ。そこで吉田松陰の知遇を得る。松陰が出獄後に行った免獄運動により釈放されると、松下村塾へ迎えられ門人の指導に当たった。

 「名を青史に伝う 寧(いずく)んぞこころよしと為さん 骨は黄沙に曝して はじめて香有り」

 功名を立て、歴史に名を残すことを快しとしなかった有隣は、在野の中に身を置き、我が道を進んだ。周囲に流されることはなかった。

防長史談会山口支部長 松前 了嗣

© 株式会社サンデー山口