なぜロナウドのシティ移籍は破談したのか 現地紙が「裏側」を詳しく解説

ユヴェントスからマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決まったクリスティアーノ・ロナウド。シティ移籍が噂されるなか、古巣への電撃復帰となった。

そうしたなか、英紙『Guardian』は「どうしてロナウドのユナイテッド移籍は成立したのか」という記事を伝えている。その内容をざっとまとめてみた。

「ロナウドは新たなチャレンジを望んでいた。そして、シティはユーヴェへの支払いを渋った。

代理人ジョルジュ・メンデスが一生に一度のオファーに興味があるかとユナイテッドに連絡することを決めたのは木曜の午後。

来週の移籍期限までに自身最大の顧客の“新居”を見つけるためにメンデスはシティとユーヴェの関係者と3日間の交渉していたが、ロナウドの去就は数時間で決着した。

ロナウドが移籍先を探るように代理人に求めたのは、マッシミリアーノ・アッレグリ新監督のもとでのトレーニングに戻ろうとしていた7月中旬。

EURO2020でポルトガルが敗退した後、彼は新たなチャレンジを求めていた。

メンデスはレアル・マドリー、PSG、ユナイテッド、シティ、チェルシーというビッグクラブに非公式に接触。だが、移籍に向けた確固たるものは何も受け取ることはできず。

その後、ロナウドは8月18日にレアル復帰を否定する声明を発表。だが、シティがハリー・ケインの獲得オファー拒否をトッテナムから通告されたことで事態は急変する」

「若手選手を引き抜くという通常のアプローチとは大きく異なっていたため、シティ上層部全員が36歳ロナウドの獲得する必要性に納得していたわけではなかった。

そのためシティは移籍金の支払いを渋っていたものの、メンデスは契約成立を確信していた。

ロナウドはウディネーゼとの開幕戦先日にアッレグリ監督との面談を求め、そこで退団の意思を通達。そして、彼のベンチスタートが決まった。

ユーヴェのパヴェル・ネドヴェド副会長はロナウドの残留を断言していたが、舞台裏ではメンデスが退団戦略を強化しており、それは現実とは乖離したものになっていた。

その夜にシティとの交渉がスタートしたが、シティ側はフリー移籍での獲得に固執。

ただ、ユーヴェはFFPを順守するために3000万ユーロ(38億円)ほどを求めており、メンデスとユーヴェSDフェデリコ・ケルビーニとの会談は非常に緊迫したものだったとされている。

ケルビーニは今夏にトッテナムへと去ったファビオ・パラーティチの後任としてスポーツディレクターに就任したが、前任者のようにメンデスと強い関係を築くことはなかった。

シティはラヒーム・スターリングとベルナルド・シウヴァを放出可能な状態にしていたものの、公式なオファーを出すには至らず。ユーヴェはガブリエウ・ジェズスも含めた取引をオファーしたが、シティはそれも拒否」

「木曜午前、メンデスは両者に一致点を見出させようとしていたが、合意には至らず、彼はオールド・トラッフォードに電話をかけた。

数時間のうちに、ブルーノ・フェルナンデスやリオ・ファーディナンドなど現・元同僚からの電話が相次ぎ移籍は加速。

木曜夜遅く、ユナイテッドとメンデスは2年契約で口頭合意に達し、金曜にはユーヴェとの移籍金交渉が始まった。

当初、ユーヴェは1200万ユーロ(15億円)を提案されていたが、移籍金1500万ユーロ(19億円)と最大800万ユーロ(10億円)のボーナスで決着。

そして、ロナウドはユーヴェの練習場に向かい、チームメイトとアッレグリ監督にマンチェスター行きを伝えた。それはユナイテッドだった」

当初はやはりシティ移籍に向けて動いていたようだ。

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それが実現しなかったことで、急遽ユナイテッド行きが決まったという流れだとか。

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