浮世絵の衝撃はモネやセザンヌへ…世界に影響を与えた“ジャポニズム”

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。7月3日(土)の放送では、「世界に影響を与えたジャポニスム」と題し、日本の浮世絵が世界に与えた影響、さらにはそこから生まれた美術界の発展に迫りました。

◆葛飾北斎や歌川広重…日本の浮世絵が世界に与えた衝撃

まず注目するのは、「富嶽三十六景」などで知られる葛飾北斎。その個性的な浮世絵の数々は後の芸術家たちに強烈なインパクトを与えました。そんな北斎などの浮世絵が世界中の芸術家たちに広がったのは、日本が初参加した万国博覧会「パリ万博」でした。

これによりヨーロッパで日本ブーム「ジャポニスム」が巻き起こり、その頃から活躍し始めた印象派の画家たちに大きな影響を与えました。クロード・モネもその1人で、片桐が「何ですか、この構図。面白いですね」と足を止めたのは、彼が1882年のときに描いた「ヴァランジュヴィルの風景」(1882年・ポーラ美術館所蔵)。

この構図は、まさに北斎の「富嶽三十六景 東海道程ヶ谷」(1830~1832年頃)そのもの。

さらに、モネに影響を与えた浮世絵師がもう1人。それは北斎よりも37歳年下の歌川広重です。「東海道五十三次」や「名所江戸百景」など日本の名所を数多く描き、江戸庶民に大人気だった広重は、北斎とはまた違った独自の世界観を持っていました。

モネが生涯で200点以上描いたとされる睡蓮、ポーラ美術館にあるその1つ「睡蓮の池」(1899年)を見ると、そこには日本風の太鼓橋が描かれており、それは広重の名所江戸百景「亀戸天神境内」(1856年)の影響と言われているとか。そして、奥に太鼓橋を置き、画面の上から枝を垂らした構図も広重を彷彿とするものが。

続いては、これまた印象派を代表する画家で、モネよりも1歳年下のピエール=オーギュスト・ルノワール。彼の「団扇を持つ少女」(1879年頃)は、団扇や菊のような花によってオリエンタルなムードを演出しています。このように単に技法を取り入れるだけでなく、さまざまな方法で日本の文化は西洋の画家に影響を与えました。

次に着目するのは、印象派から離れ、独自の様式を探究し、ポスト印象派と呼ばれたポール・セザンヌ。東京国立近代美術館に所蔵されている「大きな花束」(1892~1895年)は、片桐が「一目見てセザンヌという感じがしますね。机があって不安定な感じ。どうしても平らな面を探したいのに平らがない、(花瓶が)転がっていっちゃいそうな感じ」と言う通り、重力をまるで無視したかのような不安定さを感じる構図が特徴的です。

なぜそうなったかと言えば、東京国立近代美術館の学芸課長・大谷省吾さんによると、第一印象や最初に感じた感動をどう平面に置き換えるかを考えた結果だそう。そして、その多視点の表現が作品にざわめくような感じを与え、片桐も「動いているというか、止まっていない感じ」と納得。

そんなセザンヌも浮世絵から影響を受けており、「サント=ヴィクトワール山とアルク川渓谷の陸橋」(1882~1885年)の手前に木を置いて奥に山を配置した構図は北斎や広重の流れを見てとることができます。

◆印象派が日本の西洋画・日本画画壇にもたらした大きな変化

一方、その頃日本では印象派から影響を受けた人々が西洋画の新しいムーブメントを勃興。それを先導したのが日本近代洋画の父と言われる黒田清輝です。「黒田清輝さんといえばこの画」と片桐が言うのは、黒田記念館にある「湖畔」(1897年)。

これは近代日本を代表する洋画として美術や歴史の教科書にも載っている作品ですが、日本画だと思っている人も多いそう。片桐も「近くで見ると油絵だと思うけど、近くに来るまでわからない」と話します。逆に言えば、それだけ日本に馴染んだ油絵ということ。「日本人にとっての一番気持ちいい油絵を模索し、描いた感じ」と片桐も感心しきり。

黒田は18歳の時にフランスに留学し、そこで印象派と邂逅。そして、印象派の影響を受けつつも独自の明るい光の表現を作り上げ、その集大成がこの「湖畔」ですが、片桐は「いい感じで日本と洋風がマッチしているというか、フランスで勉強して日本人を美しく描くタッチになっているというか、肌の感じとかを見るとやっぱりきめ細やかさもあり、全体的に静謐な作品になっていますよね」と品評します。

そして、「日本の印象派」と目されたのが黒田よりも17歳年下の南薫造。渋谷区立松濤美術館の「農夫と積藁」(1907~1910年)は、ヨーロッパの農村の風景を淡い色彩で表現した作品です。

"積藁(積みわら)”といえば、「積みわら、夏の終わり」(1890~1891年)で知られるモネ。季節や天気、時間によって変わる積みわらの表情を何枚も描いた彼のように、南も光の移ろいを捉えようとしていました。

また、黒田が「湖畔」を発表した頃、日本画の世界でも新たな動きが。その中心人物が横山大観で、彼もまた印象派など西洋画を研究し、新時代の日本画を発表します。滋賀県立美術館にある「月下牧童」(1901年頃)は、線による描写を抑えた「朦朧体」と呼ばれる新たな画法が施されています。

それは「没線描法」とも言われ、印象派のように輪郭をハッキリ描かず柔らかく描いたもので、輪郭を明確に描く伝統的な日本画とは全く違う画法でした。そして、そうした作品を経て彼の代表作の1つ「霊峰飛鶴」(1953年)が誕生します。そこには伝統的な筆法は一切なく、片桐は「朦朧体と言われるぼわっとした感じと富士山がまた合う。ぼわっとしたなかでも真ん中に目がいくように富士山がくっきり出ていますから。いろいろな作風を経て、これになっていったわけですよね」と唸ります。

◆印象派からポスト印象派、さらにはフォーヴィスムへ

大観が没線描法を使い始めた30代の頃、フランスではポスト印象派の個性的な作品から影響を受けた「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれる画風が興隆。フォーヴとはフランス語で「野獣」を意味し、野獣のように荒々しく、衝撃的で自由であることからフォーヴィスムと呼ばれました。

その1人アルベール・マルケの「赤い背景の裸婦」(1913年・群馬県立近代美術館所蔵)は、カーペットなのかカーテンなのかわからない模様が広がり、中央の女性のヌードも既存のものとは異なるゴツゴツとしたものに。それは、「実際に見たままを描くのではなく」と片桐の言う通り、美術の基本である裸体というモチーフを抽象化し、当時最先端の知性で描いています。

また、同じくフォーヴィスムの画家ジョルジュ・ルオーは、徐々に独自の作風に発展しますが、多くの作品でモチーフに選ばれていたのは宗教画の世界。群馬県立近代美術館の「秋」(1938年)も聖書の情景を独自に描き、かつて多くの画家が描いた神聖な神の世界を全く新しいタッチで描きました。

日本の浮世絵が西洋の印象派に影響を与え、その印象派が日本の画家に大きく関与し、同時にポスト印象派を生むことに。そして、そのポスト印象派はフォーヴィスムを巻き起こすなど、互いに影響を与え合うことで芸術の世界は大きく発展。この日はそんな日本の浮世絵に端を発する近代美術の流れを片桐は辿りました。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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