マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」に味方したMTVとムーンウォーク  8月29日はマイケル・ジャクソンの誕生日

マイケル・ジャクソン「スリラー」アルバムの存在感を高めた巧みな戦術

言わずと知れたマイケル・ジャクソンのモンスターアルバム、『スリラー』が発売されて、今年(2021年)で39年。

80年代を象徴する、いや、ポピュラー音楽の歴史からみてもド真ん中に位置する “普遍の極み” であって、全米チャートでは80週、なんと1年7ヶ月にわたってトップ10入りしているんですよ。

アルバムに収録されている9曲中、7枚がシングルカット。その全てがチャートの上位を賑わしていますが、まずは全米での発売日とBillboard Hot 100 シングルチャートのデータを見ていきましょう。

■ ガール・イズ・マイン
 1982年10月18日
 1983年1月2日(最高位2位)

■ ビリー・ジーン
 1983年1月2日
 1983年3月5日(最高位1位)
 ミュージックビデオ制作

■ ビート・イット
 1983年2月14日
 1983年4月30日(最高位1位)
 ミュージックビデオ制作

■ スタート・サムシング
 1983年5月8日
 1983年7月16日(最高位5位)

■ ヒューマン・ネイチャー
 1983年7月3日
 1983年9月17日(最高位7位)

■ P.Y.T.
 1983年9月19日
 1983年11月26日(最高位10位)

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    ■ セイ・セイ・セイ(※1)
     1983年10月3日
     1983年12月10日(最高位1位)
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    ■ スリラー
     1984年1月23日
     1984年3月3日(最高位4位)
     ミュージックビデオ制作

ご覧の通り、チャートがピークを迎える絶妙なタイミングで次のシングルを切るという、実に巧みな戦術がアルバムの存在感を高めていたことが見えてきます。

MTV普及と「スリラー」プロモーションタイミングの関係性

しかしながら、この作品をここまで普及させたのは音楽の力だけではありません。なんといっても全世界で1億枚以上のセールスを叩き出したと云われるこのアルバム。選ばれし者だけが持つ、いくつもの偶然のような必然がない限り、こんな記録が生まれることはあり得ないのです。

それこそが、時代の力。

ひとつの時代が節目を迎え、新しい息吹がもたらされるタイミングでは、いろんなことが同時におこります。中でも大きなトピックはMTV:Music Television のローンチでしょうか。

―― この “見えるラジオ” の開局1曲目は、バグルスの「ラジオスターの悲劇 ― Video Killed the Radio Star」だったなんて洒落た話もありますが、この時のMTVは一介のローカルネットワーク、いわば海賊放送のようなものでしかありません(1981年8月)。

実のインパクトは、ニューヨークとロサンゼルスで配信を始めた1982年の9月以降。そして、全米の大都市やワールドワイドにおいても世帯数を伸ばし、急激に影響力を増していった1983年。つまり、アルバム『スリラー』のプロモーションタイミングとMTVの普及はドンピシャに被っているのです。

当然のごとく、マイケルの所属するレコード会社=CBSレコードは、この新興メディアに狙いを定めることに…

MTV初のブラック・コンテンポラリー「ビリー・ジーン」

しかし、そもそもが “ロックの専門チャンネル” としてデザインされていたMTV。ターゲットは郊外に住む白人の子供たちです。その初期においては、マインド的にもマーケティング的にもアーバンなブラック・コンテンポラリーを受け入れる土壌などありませんでした。

そこで登場するのが、CBSレコードのCEO、ウォルター・イエットニコフ。彼は「マイケルのビデオ=ビリー・ジーンを流さないなら、CBSのカタログ全てをMTVから引き上げる」と切り出したようです。人種差別だと圧力をかけ、MTVが屈したなんて噂もありますが、そんな単純で乱暴な話でもないでしょう。

もう、『オフ・ザ・ウォール』のころのマイケルとは違います。ソウルミュージックの文脈を飛び越え、ロックさえも飲み込んだ、まさに “キング・オブ・ポップな作品” を創ったのですから。きっとMTVのスタッフだって戸惑っていたはずです。だって、そのクオリティを前に、マイケルの存在感や勢いに手応えを感じないメディア人なんていたらおかしいですよ。

とまあ、すったもんだはしたものの、かのMTVでオンエアされた初のブラコンが、この「ビリー・ジーン」となるわけです。(※2)

そうはいっても時すでに3月。シングルリリースから2ヶ月遅れの放送ではありましたが。

何はともあれ、MTVに風穴を開けたCBSも頑張りましたが、ルールを変え、いったん方針を決めたこの音楽チャンネルも抜け目ありません。さらなる躍進を求め、徹底してマイケルとの絆を深めていきます。

そう、次作の「ビート・イット」は間髪入れずにヘビーローテーション、そしてトドメとなる「スリラー」に至っては、エクスクルーシブ(独占放送)にするほどの共犯関係が産まれていったのです。

モータウン25周年記念コンサートで「ビリー・ジーン」を

さて、MTVがいくら革命的で影響力があったとしても、視聴世帯の数でいったらまだまだ新参のケーブルテレビ・チャンネル。三大ネットワーク―― NBC、CBS、ABCの持つリーチには到底かないません。

そんな中、マイケルのもとにNBCの特別番組として企画されていた『モータウン25周年記念コンサート』の出演依頼が舞い込みます。番組の狙いはズバリ、8年ぶりのジャクソン5再結成。当然、アルバム『スリラー』とは何の関係ありません。

マイケルは悩みます。
レジェンドを称え、古巣に恩も返したい…
でも、新しい自分こそ見てほしい…

最終的に、モータウンの創始者であるベリー・ゴーディと2人きりの話し合いを持ち、出演を承諾するわけですが、そこでマイケルの出した条件は…

「ビリー・ジーンを歌わせて欲しい」

ゴーディからすれば、自社(モータウン)の記念式典で、他社(CBS / EPIC)の新曲がプロモーションされるわけです。損得勘定以外の忸怩たる思い、心中察するに余りあります。それでも、この偉大なるプロデューサーはマイケルを受け入れ、新しい航海にふさわしい最高の舞台を整えるわけです。

恐らく、相手がゴーディでなければ、マイケルもそんな条件は出さなかったかもしれません。そこには、他の誰もが入りこめない、確執を超えた2人の絆があったんじゃないか。なーんてこと考えると、音楽を聴くのがますます楽しくなってきますね。

一世一代の勝負!マイケル・ジャクソンが披露したムーンウォーク

1983年5月16日、この模様はNBCのネットワークを通じて全国放送され、3,400万ものアメリカ人がチャンネルを合わせたと云われています。そう、もうお分かりですね。そこでマイケルが披露した僅か数秒のパフォーマンス。それこそが、あの “ムーンウォーク” の初お目見えだったのです。

そもそもムーンウォークとは、バックスライドと呼ばれるダンス技法のひとつで、古くから披露されているオーソドックスなワザ。それ自体は珍しいものでもありません。

それでも、機は熟していました。

折しも時代はヒップホップの成長期。俗にいうブレイクダンスが、ストリートの若者たちの間で大流行していたのです。マイケルは、この伝統と新しさを併せ持ったステップに “ムーンウォーク” と名前を付け、一世一代の場所で勝負に出たのです。

奇しくも放送の1ヶ月前はチャレンジャー号の初飛行。スペースシャトル計画における初の宇宙遊泳が成功し、世界中が夢踊る、ステキな月面歩行のタイミング。

―― 時代の神様は、またまた微笑みました。

(※1) ポール・マッカートニー名義のアルバム『パイプス・オブ・ピース』からシングルカットされた、マイケルとのデュエット曲。「ガール・イズ・マイン」よりも先に録音されている。

(※2) 厳密にいうと、MTVで始めてオンエアされたブラックミュージックが「ビリー・ジーン」というわけではない。それ以前にも、ティナ・ターナーやエディ・グラントなど、当時のターゲットにフィットしたビデオは時間帯を選んで放送している。

※2017年11月30日、2017年12月1日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 太田秀樹

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