女子も甲子園で…夢叶えた神戸弘陵・島野愛友利 苦悩と成長を支えた2人の存在

神戸弘陵・島野愛友利【写真:喜岡桜】

スーパー1年生の入学、選抜2連覇中の神戸弘陵に新たな刺激

女子高校球児が史上初めて甲子園でプレーすることで注目を浴びた「第25回全国高校女子硬式野球選手権大会」の決勝戦。神戸弘陵(兵庫)が高知中央(高知)を4-0で下し、2016年以来5年ぶり2度目の夏の頂点に立った。胴上げ投手となった島野愛友利が夢の舞台に立つまでの苦悩、成長を間近で見守った2人の存在があった。

「野球に対してストイック。自分の理想に近づくために練習を重ねていて、感覚的なイメージを描く指導よりも、具体的にどこをどう改善するのかを求めてくるタイプです。球の回転やコントロールの良さから、伸びていく可能性のある子だと感じました」

同部を指導して6年目になる城戸翔平部長は、神戸弘陵へ数学教諭として着任後、はじめて女子野球と接点を持った。「女子がやる野球はきっとレベルが低いだろう」という固定概念はすぐに消えた。前任校の神港学園で男子軟式野球部を指導したときと同じく、女子に対しても真剣に指導する必要があると考えを改めさせられた。特に島野には高いポテンシャルを感じたと振り返る。

2018年に大淀ボーイズのエースとして中学硬式野球の日本一を決めるジャイアンツカップで優勝投手になった島野は、男女差のない厳しい練習環境を求め、春の選抜2連覇を果たしたばかりの神戸弘陵の門を叩いた。スーパー1年生の入部はチームにとって大きな刺激になったという。

悩んだ入学半年、恵まれた練習環境から部活動への適応

「紅白戦をすると、先輩たちはすでに有名だった島野の投球練習をしっかり見て、『絶対に島野から打ってやろう』という気持ちで打席に入っていたように思います」

しかし、2年半の高校野球生活がすべて順風満帆だったわけではない。入学してすぐに島野は壁にぶつかった。中学時代はボーイズの練習とは別に野球塾へも通い、ほぼマンツーマンに近い形式で指導を受け技術を磨いた。だが、高校入学当時71人の部員が在籍していた同部は、すぐに指導を仰げる環境ではなく、指導者を独占することもできない。練習環境の変化に入学から半年ほど悩んでいる様子だったという。

「もう高校生なんだから人に言われたことをするのではなく、自分でフォームを見つけなさい」

阪神タイガースの佐藤輝明を輩出した仁川学院を卒業後、関西大学準硬式野球部の投手として2011年に全国ベスト8の成績を収めている城戸部長は、更に成長するためには自分で分析・解決ができる能力が必要であることを教えた。そして島野は入学前からのストイックさに加え、自ら考えて練習に取り組める投手へと成長していった。

大きな成長のキッカケは、副主将就任と仲間のケガ

2020年秋の新チーム始動以降、島野の内面的な成長も見られたという。当初は選手としての能力の高さゆえに、後ろを守る仲間を信用できず、自分のプレーにばかり意識が向いていた。だが、自身の副主将着任、そして翌年の選抜後に小林芽生主将が負傷し野球ができなくなってしまったことを機に、その成長速度は増していった。

今年4月に着任した川中ももコーチも昨年からの変化を感じていた。「仲間への気配りができるようになりましたね。練習を手伝ってくれるメンバー外の選手や下級生に対して、直接『ありがとう』を言えたり、感謝を伝えている場面をよく見かけるようになりました」。

甲子園で悲願の日本一を達成できた鍵は、選手それぞれがまわりへの感謝の気持ちを忘れなかったこと。さらに3連覇を逃した今春の選抜以降「勝耐夢 甲子園で最高の恩返し」のスローガンを掲げて、自己満足のためではなく、家族、指導者、友人、チームメイトなど、チーム全員が誰かのために日本一を目指せたことだろう。

川中コーチは同部1期生として、5年前の夏に打率.642、9打点の好成績を残し同校初の全国制覇を成し遂げたメンバーの1人だ。現在は体育教諭として働きながら、埼玉西武ライオンズレディースで内野手を務める現役女子野球選手でもある。島野の野球センスを「いろんな女子野球選手を見てきたが高校生の中では飛びぬけている」と評価し、高校卒業後の進路は未定だが野球を続ける予定の島野と「お互いに刺激を受けている」とも話した。

女子競技としての認知度の低さから何度も悔しい経験をしてきた川中コーチも、女子野球のイメージを覆された城戸コーチも、いまや女子野球界を代表するアイコンのひとりとなった島野へ今後の女子野球普及への期待を寄せている。120キロを超える実力派右腕は次のステージでも成長を続け、その未来に彼女が描く「女子が野球をすることも当たり前」な世界が広がっている日が近いかもしれない。(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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