【高校野球】イチロー氏だけではない 甲子園Vの智弁和歌山・中谷仁監督、一流に磨かれた感性

智弁和歌山・中谷仁監督【写真:荒川祐史】

学生野球資格回復研修を経た元プロ野球選手の監督としては初の甲子園優勝

一言で表すならば「縁の下の力持ち」。現役選手から指導者になっても変わらない姿勢だった。中谷仁監督が率いる智弁和歌山は第103回全国高等学校野球選手権大会で優勝。学生野球資格回復研修を経た元プロ野球選手の監督として初の優勝という偉業を成し遂げた。この礎には相手を一番に思う姿勢と一流に磨かれた感性がある。【楢崎豊】

甲子園がまた自分を成長させてくれた。智弁和歌山2年時の1996年選抜で準優勝。1997年は強打の捕手として、夏の甲子園を制した。中谷監督は1998年ドラフト1位で阪神に入団後、楽天、巨人で2012年までプレーした捕手だった。プロ初本塁打も2009年、楽天時代の阪神戦。甲子園球場だった。

そして今夏、指導者として踏んだグラウンドで優勝を飾った。

「甲子園を目指せない苦しい去年を経て、選手たちが真摯に努力してきた結果だと思います。本当にうれしいです」

優勝監督インタビューでマイクを握り締め、選手を称えた。和歌山大会優勝時も甲子園を目指すことができなかった昨年の3年生への思いを開口一番、伝えていた。選手たちには、それぞれの監督のインタビューの言葉を胸にしまっておいてほしいと感じた。中谷監督自身も多くの人の声に支えられ、苦労を乗り越え、その場所にたどり着いた男だから。

プロで華々しい成果は残せなかったかもしれない。だからこそ、レギュラー選手には見えないところが見えた。中谷監督は現役時代「自分がリードした投手が勝利してお立ち台に立つ。それだけでもうれしいけど、ロッカールームでヒーローインタビューを聞いていて『キャッチャーのリードのおかげです』という一言があるだけで美味しいお酒が飲める」と話していたことがあった。自分は黒子。マイクを通じて聞こえる言葉に耳を傾けているところも微笑ましいが、プレーでも献身的な姿勢が印象的だった。

阪神時代は野村克也監督から厳しい言葉を投げつけられていた。マスクをかぶっていても自軍のベンチから「中谷!」と怒気を含んだ声が飛んできた。ベンチに戻れば、捕手たるものを叩き込まれた。長かった2軍時代、鳴尾浜では入団直後からともに壁にぶつかっていた1学年下の藤川球児投手とお互いを高め合い、1軍を目指した。一緒にストレートを研究した。高校時代から親交のある右腕と1軍の試合でバッテリーを組むことができた時は、フォークボールを必死で止めた。後に楽天でもチャンスをくれた野村監督の言葉、藤川と一緒に歩みを進めた時間は忘れることはない。

2013年の侍ジャパンではブルペン捕手としてWBCに参加した

2012年の巨人では日本一になっている。中谷監督自身、シーズンの出場は5試合に留まっているが、春先から夏頃まで1軍に帯同。坂本勇人、長野久義、内海哲也、山口鉄也らが主力選手で活躍していたその裏でプロ15年目のベテランは精神的な支えとなっていた。“支柱”とまではいかないが、困った時の聞き役で、押し付けるようではなく、優しく経験談で寄り添うイメージ。ベンチから大声でチームを盛り上げる姿も若手の手本だった。

数字には残らなかったが、中谷監督がこの年、残したものは大きかった。2012年を最後に現役を引退も、大きな仕事が待っていた。侍ジャパンのブルペン捕手だった。中谷監督のような存在は貴重と考えた前回優勝監督でもある巨人・原辰徳監督が2013年のWBC日本代表のスタッフとして、山本浩二監督(当時)らに推薦をしてくれた。後日、そのように伝え聞いた中谷監督は貴重な経験を与えてくれた原監督に感謝し、海の向こうでもチームを支えた。

楽天時代にバッテリーを組んでいた田中将大投手もWBCに選出。聞かれたことに対して率直な思いを伝えた。巨人からも坂本、長野をはじめ内海、山口、杉内俊哉、澤村拓一投手ら投手陣が選ばれていた。短期決戦で良い時も悪い時も知るブルペン捕手の存在は心強かっただろう。一流の近くで感性を磨き、的確に言葉で伝える。智弁和歌山監督になった今も、土台となっている部分だ。それを作ったのは酸いも甘いも噛み分けた野球人生だった。

2013年は巨人の裏方としてチームを支えた後、退団。指導者の道を目指しながら、野球塾で子どもたちに野球を教えていた。丁寧な指導は保護者、選手からも評判が高かった。2014年に学生野球資格を回復したが、この時の中谷監督は子どもたちに野球の魅力を伝えたい、野球の指導がどのように変化しているのかをその目で見たいという思いが強かったように思える。2015、16年には阪神ジュニアのコーチも務めた。15年のチームには徳丸天晴、高嶋奨哉、石平創士、高橋令といった今年の智弁和歌山の主力がいたのも、運命的だった。

紆余曲折を経て、2017年4月にコーチとして母校へ戻ることに。指導者になる目標が叶うとはいえ、責任のある仕事だった。選手が悩んだら、時には元プロの名前を例に出して、わかりやすく、親しみやすく伝えた。自分にしかできない能力の引き出し方で、選手を開花させていった。2018年に高嶋仁名誉監督の後を継ぎ、監督就任。強打の智弁和歌山を復活させ、就任3年目での悲願達成となった。恩師への感謝も忘れずに一打席、一球、一勝にかける執念を学び、独自の色を出していった。

高嶋仁名誉監督から受け継いだ魂、新たな中谷イズムで頂点へ

昨年12月のマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏の指導が注目を集めたが、イチロー氏への多大な感謝の思いを持ちながらも、これまでで支えてくれた人たちへの感謝も口にした。それらが中谷監督の活力となった。

「高嶋先生の残してくれた財産、智弁和歌山のブランド、このユニホームの力は大きかった。たくさんの方がサポートしてくださいましたので『ちゃんとやりました』と伝えたいですね」

多くの人生の分岐点があり、引き出しを増やして今がある。また新たな勲章を手にして磨かれた感性を、次のエネルギーとする。中谷監督の歩みはもう始まっている。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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