スポーツの力で人身取引防止を呼びかけ 東京オリ・パラ期間中に空港や鉄道でキャンペーン実施

キャンペーン動画が流れる成田空港到着ロビ

人身取引から子どもや若者を守ろうーー。高橋尚子さんやウサイン・ボルトさんらがそう呼びかける、人身取引を啓発・防止するための「It’s a Penalty(イッツ・ア・ペナルティ)東京キャンペーン」が東京オリンピック・パラリンピック期間中の9月5日まで空港や都内の交通機関などを中心に行われている。英NPO「It’s a Penalty」によるもので、ワールドカップなどの大規模スポーツイベントの開催期間中に、動画やポスターなどを使い、人身取引や搾取の兆候を見かけたら専用ダイヤルに通報するよう人気選手などが呼びかけるものだ。(サステナブル・ブランド ジャパン=小松遥香)

人身取引・搾取の被害者は世界で2490万人

ILO(国際労働機関)などによると、世界の人身取引(人身売買)や搾取による被害者数は約2490万人に上り、3分の1は子ども、65%が女性という。

国連薬物犯罪事務所(UNODC)の最新報告書では、2018年に発覚した人身取引の被害の内訳は性的搾取(50%)、強制労働(38%)、強制的犯罪行為(6%)、強制的物乞い(1.5%)、強制婚(1%)、このほかに乳児の人身売買、臓器摘出などが含まれている。また被害者の数は過去15年間で男女共に増加傾向にある。とりわけ少女と成人男性の被害者数が増えており、性的搾取が依然として首位を占める一方で、強制労働を目的とする人身取引の割合が18%から38%へと大幅に増加している。

日本でも商業的性的搾取や技能実習制度下の強制労働といった人身取引は、国際社会も注視する深刻な人権問題だ。警察庁によると、2020年に子どもが性的搾取の被害者となった事件は2409件、児童ポルノの被害者数は1320人に上る。

また米国務省が7月に発表した2021年人身取引報告書によると、日本では厚生労働省が2020年に8124カ所の技能実習の事業所を調査し、5766人の雇用主を労働基準法令違反で捜査、36件を送検した。しかし、この送検事案のなかに労働搾取目的の人身取引犯罪があったかについて日本政府は明らかにしていない。報告書は「またもや当局は、技能実習制度における人身取引事案や被害者を積極的には1件も認知しなかった」「国際法における人身取引の定義と矛盾して、労働基準法は搾取を犯罪の必須要素として含んでいなかった」と指摘し、日本の人権に対する認識の甘さと情報開示の不十分さが露わになった。

人身取引を見かけたら通報する「レガシー」を残したい

NPO「It’s a Penalty」は2014年のブラジルワールドカップを皮切りに、平昌オリ・パラ、スーパーボールなどの大規模イベントを通して、人身取引・搾取・虐待の啓発を行ってきた。サラ・カーバリオ代表は 2019年に来日した際、活動を始めたきっかけについてこう語った。

「2013年にブラジルのレシフェで、モーテルの前に立つローズという名の少女に出会いました。ローズは11歳で売られ、売春婦として生き、16歳ですでに2人の子どもがいました。彼女は遠くから売り飛ばされてその街に来たわけではなく、そこで生まれ育ち、そこで売られたのです。人身取引の多くは自分の国や都市、街で、知り合いに強要されるなどして起きています。彼女は自らの人生に絶望しながらも、『私のような女の子を助けてほしい』と訴えました。私は英国に戻る機内でローズのことが頭から離れませんでした。何とかしなければいけないと思ったのです」

当時はストリートチルドレンを支援する団体で働いていたカーバリ代表だったが、有名なスポーツ選手が「人身取引」について話してくれたら世界の人が興味を持ってくれるのではないかと考え、自ら「It’s a Penalty」キャンペーンを立ち上げた。

国際的なスポーツイベント自体もまた人身取引の危険性をはらんでいる。カーバリオ代表は「さまざまな国から人が集まる大規模なスポーツイベントでは、必ずといっていいほど人身取引が増える」と指摘した。実際に、2019年2月に米ジョージア州アトランタで開催されたスーパーボールでのキャンペーン中には169人が逮捕、18人の被害者が救出されたという。

「キャンペーンが終わった後も、人身取引が犯罪であり、見かけたら通報するという習慣を現地に残したいです」とカーバリオ代表は語った。

7人のアスリートが参加 企業も協力

キャンペーン動画は渋谷スクランブル交差点でも放映されている (ZOE Japan)

今回の東京キャンペーンでは動画とポスターを使い、全日空や日本航空、エミレーツ航空、キャセイパシフィック航空の機内、成田空港、羽田空港、JR東日本、東京メトロの車内や構内などで、各社の協力を得て啓発が行われている。過去のキャンペーンでは動画やポスターのほかにステッカーやリストバンドなどのグッズを作って配るなどしてきたが、コロナ禍で制限のあるなか最大限の取り組みを実施している形だ。キャンペーンの協賛企業・団体には、エアビーアンドビー、一般社団法人ゾエ・ジャパン(ZOE Japan:東京・町田)、米NPO「レスキュー:フリーダム・インターナショナル(Rescue:Freedom International)」などが名を連ねる。

最も困難な問題にスポーツの力で挑戦する

東京キャンペーンを現地で運営・支援するのは、ゾエ・ジャパンと一般社団法人スポーツ・フォー・スマイル(Sport For Smile:東京・新宿)の2団体だ。

ゾエ・ジャパンは、子どもの人身取引撲滅を目指す国際的なキリスト教系団体「ゾエ・インターナショナル」の日本支部。被害の防止、被害者の救出、被害者の回復支援を3本柱に掲げ活動する。国内では中学・高校生向けの啓発授業などを行うほか、人身取引相談窓口としてコールセンターやオンライン、LINEを活用し、必要に応じて法的サポートや医療サポートを受けられるよう支援を行う。

今回の東京キャンペーンでも、専用の人身取引通報・相談窓口と匿名情報提供の窓口を設置するなどシステムづくりに携わった。相談窓口は、18歳未満の子ども向けの窓口、成人の性的搾取、労働搾取の3つに分かれており、音声案内にしたがって各番号を選ぶと、ゾエ・ジャパンやNPO法人ぱっぷす(ポルノ被害と性暴力を考える会)、全統一労働組合の専門団体に繋がる。窓口は月曜日から金曜日、10時から16時まで対応している。

■人身取引の背景にある社会問題 教育が重要に

ゾエ・ジャパンのオズボーンゆりさんは、性的搾取の被害の背景について、「さまざまな要因があります。根本には満たされない思い、自らの価値を認めてもらいたい、必要とされたい、愛されたいという思いがあります。そして、それにつけ込む犯罪者がいます。特に子どもの被害者のなかにはそうした思いを求め、虚しさや孤独を感じている場合が多いです。家庭での関係性が希薄だったり、虐待などで家に帰れないため街を徘徊するなど、大人が思う以上に子どもたちは生きていくことに必死です。ただ本人に、大人から人身取引の被害にあっているという自覚がない場合もあります。大人の被害者においては貧困や精神的問題などその要因は本当にさまざまです。また被害者は女性だけに限りません」と語る。

「日本では学校で性教育を受ける前に、暴力や虐待関係などを伴うポルノが性教育の教材になっている現状があり、その前に正しい知識を身につけることも必要です」

■スポーツの力の新たな使い方を示す

「最も困難な問題に挑んでこそ、スポーツの力が最も発揮されます」。2019年から共催団体として、日本人選手と撮影の交渉を行うなど実施体制を整え、ストラテジック・パートナーを務めるスポーツ・フォー・スマイルの梶川三枝代表はそう話す。本業では、プロスポーツチーム向けにスポーツの社会的責任に関するコンサルティング・サービスを提供している。

「日本のスポーツ界でもスポーツの社会的価値を追求するさまざまな取り組みが行われてきましたが、人身取引という最も困難な問題に取り組むことは初めてです。今回のキャンペーンを通して、スポーツの力の新たな使い方を提示したいです。そして、これからもスポーツから最も遠いところにいる人々にスポーツの力を届け、最も弱い立場の人々にスポーツの力で手を差し伸べていきたいです」

■航空業界でも人身取引の啓発・防止策に着手

成田空港内

人身取引の発見、そして今回のキャンペーンでも重要な役割を果たすのが運輸業界だ。とりわけ空港や飛行機などはその利便性や高速性が人身取引に悪用されるため、IATA(国際航空運送協会)は近年、航空業界は犯罪防止のための重要な役割を担えると注意を呼びかけており、関係各社は社内講習などを実施して人身取引の兆候を見つける訓練を行う。

成田空港を運営する成田国際空港会社も2019年から人身取引の啓発に取り組み、従業員、空港内で働く人に対して講習を実施する。同空港での人身取引の発覚はまだないというが、問題の重要性から東京キャンペーンへの参加を決めた。啓発動画を出発・到着ロビー、店舗エリア、駅からの接続通路などのスクリーンで1時間に4―7回配信している。

同社の宮本秀晴取締役・経営企画部門長は「空港には多くの事業者がおり、利用者の方々も含めて兆候に気づく機会も多いです。一方で、薬物などの密輸と比べると、物証を発見できるわけではなく、被害者からの訴えがない限りは、一緒にいる人との関係性から人身取引の兆候があるかを判断しなければならない難しさがあります。被害者が騙されている場合などはさらに難しくなります。しかし空港を出てしまうと足取りを追えなくなるという意味でも、空港は最後の砦。空港内での啓発と同時に、働く人たちの認識を高め、犯罪者からもこの空港は認識が高いと警戒され、それが犯罪の抑止に繋がり、航空が悪用されることも防いでいきたいです。人身取引は国際線だけでなく国内線でも起こります。この問題は今後、航空業界全体で考えていくことです」と語った。

人の移動が減っているコロナ禍での東京キャンペーンは容易ではなく、問い合わせはまだ数件程度だ。成田空港では現在、利用者が例年よりも9割近く少ないという。それでも「犯罪が減っているわけではない」と宮本役員が語る通り、経済状況が悪化するなか、人身取引のリスクが高まっていると国連機関や欧州評議会なども警鐘を鳴らす。

日本にとって、東京オリ・パラの開催は、希望や人間の可能性を再発見する機会になると共に、この国の人権をはじめさまざまな問題を浮き彫りにし、見つめ直す機会にもなった。人身取引をはじめとする人権への関心や認識の高まりを、オリンピックのレガシーとしてこれからの新たな社会づくりに生かせるか、それを考慮した日々の選択によって誰もが生きやすい未来を切り開いていけるか。私たち一人ひとりの気づきと行動に未来は委ねられている。日本に後退する余地はない。

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