【インドネシア全34州の旅】#30 西ヌサトゥンガラ州 スンバワ島へ、2枚の写真の風景を見に

文と写真…鍋山俊雄

西ヌサトゥンガラ州と言っても、ピンと来る人はあまり多くないかもしれない。州都マタラムがあるのはバリ島東隣の、2018年の地震の影響を乗り越え賑わいを取り戻しつつあるロンボク島だ。今回の旅先となるスンバワ島は、そのさらに東隣。西はロンボク島、東はコモド諸島に挟まれ、観光地としてはあまり注目されていない。

東部のビマ族に西部のスンバワ族と、言語も文化も異なる民族で構成されている。空港も西部のスンバワ・ブサール、東部のビマの両方にある。

西部は一時期、バリ人の王朝の統治していた時期がある。現在でも、バリ、ロンボクから移り住んだヒンドウー教徒が見られる。一方、スラウェシ島南部のゴワ王族とも交流があり、同地域から移住したムスリムが、スラウェシ島に見られるような高床式建築の住居を建てている。

島の東部には、タンボラ山という有名な山がある。1815年の大噴火は当時の世界の気候に大きな影響を与えたほどで、9万人以上の犠牲者が出たとされる。その噴火により、4000メートル級だったタンボラ山は大きく形を変えて、現在の2850メートルの高さになっている。

島西部の南側には有名なサーフィン・スポットが点在し、島の北側に位置しタンボラ山を望むモヨ島(Mojo Island)には隠れ家的なリゾートがある。

スンバワ島に行こうと思い立ったのは、2枚の写真がきっかけだ。1枚は青空の下に草原が広がり、その先に小高い丘のある写真。これはスンバワ西部にあるクナワ島(Pulau Kenawa)という小さな島で、そこからはロンボク島のリンジャニ山が眺められる。

もう1枚は「世界で最も混雑した島(Pulau Terpadat di Dunia)」との題名が付けられた写真。これも小さな島だが、地面が見えないほどに漁師の住宅が密集し、島というより、海の中にポツンと住宅街が浮かんているようだ。こちらもスンバワ西部にあり、ブンギン島(Pulau Bungin)という名前の島だった。

これらの島を自分の眼で確かめに行こう!と、スンバワ島に3日間の弾丸旅行で行くことにした。

スンバワ島へのフライトはロンボク経由になる。ロンボク島でウイングズ航空のプロペラ機に乗り換えて30分ほどだ。

ロンボクから30分のフライト

機内で隣に座ったスンバワ在住の夫婦は外国人が珍しいらしく「スンバワには何をしに行くのか?」と聞いてきた。「観光だよ」と答えたら夫婦で顔を見合わせて、「スンバワに観光地なんてあったっけ?」と言うので、二つの島の写真を見せて、「ここに行くんだ」と言ったら、お二人とも知らないようだった。

スンバワ・ブサールへ着陸

宿は、空港近くのホームステイを予約。レンタカーも地元のサイトを見て、西部の町スンバワ・ブサールで手配することができた。ホームステイはまだ築後新しく、シンプルな部屋だがこぎれいで、朝食、エアコン付きで2泊51万ルピアと手ごろだ。

初日はホテル近くの海岸で、真っ赤な夕日を見ながら、海岸の屋台で焼き魚を楽しむ。

翌朝、レンタカーの運転手さんと打ち合わせをした。「クナワ島とブンギン島に行き、最後にスンバワ・ブサールの街中にある王宮を見たい」とリクエストした。

運転手さんからは、スンバワ・ブサールの近くの村で豊作祈願の水牛レースがあるとの情報を教えてもらった。昼前に始まって夕方までやっているとのことだったので、遠方の二つの島へ先に行って、その後に水牛レースを見に行くことにした。

スンバワ・ブサールの街から、島の北側の道をひたすら西に向かう。街中で目に付くのが、あまりインドネシアの他の地域では見かけない馬車だ。ジャカルタでもモナス(独立記念塔)の周りで観光客向けの馬車を見ることができるが、ここでは、客席を馬に引かせた馬車がバイクタクシーの代わりに、短距離の交通機関として現役のようだ。

2時間ほど走った後、クナワ島へ渡るボートが出ているポト・タノ(PotoTano)港に到着した。往復20万ルピアでボートをチャーターする。クナワ島までは20分ほどだ。この港にはロンボクに向かうフェリーも発着していて、渡し船の他に、時折、フェリーが入港してくる。

クナワ島に着くと、桟橋の周りに美しいホワイトサンド・ビーチが広がっている。桟橋近辺に少し屋台がある以外、何も施設はない。写真で見たままの風景が広がっている。

クナワ島のビーチ

丘の上へ

小高い丘に向かって草原を歩き始め、頂上までは10分余りで到着。360度、素晴らしいパノラマが広がる。あいにくリンジャニ山には雲がかかってしまったが、眼下に広がる草原と美しい海、青い空とのコントラストに魅せられた。

丘の頂上からの眺め

クナワ島の丘の上からリンジャニ山を望む

飛行機から見るクナワ島

次はブンギン島だ。街に戻る方向へ車を走らせ、途中から分岐して、島に向かう。ブンギン島は、以前は陸地と離れていたが、今は海を渡る道路が作られ、陸路で島に入ることができる。コンパス紙によれば、8.5ヘクタールの広さに3400人が暮らしているそうだ。

ブンギン島を望む

ブンギン島への入口

ブンギン島では皆、船を保有

島に向かう途中から徐々に目立ってきたのが、スラウェシ島南部でよく見られる高床式住居。島の中の住居もすべて高床式だった。高床式の縁台下の1階部分は倉庫になっていたり、ベンチを置いて日陰でのんびりする人々がいたり、売店にしている家もある。

島の一角にある桟橋には、スシ海洋担当相(当時)の写真に「ITU YANG BUANG SAMPAH KE LAUT Tenggelamkan!(そこの海にゴミを捨てている奴、沈めてやる!)」と、違法操業の外国漁船を拿捕しては爆破して沈めてきた同相のコメントをもじった、海へのゴミ投棄に対する警告が貼ってあった。

そこから一路、スンバワ・ブサールの街を通り抜けて、少し東に入り、水牛レースを行っている村に到着した。休耕の水田の周りに多くの人と水牛が集まっていた。

2チームずつ順番に、およそ80メートルぐらいの距離を、泥を跳ね飛ばして2頭立ての水牛を操り、ゴールをめがけて疾走する。水がかなり残った水田ではバランスが取りにくく、中にはゴーグルを着けて操縦する乗り手もいる。時には振り落とされる。

他の村でも休耕の時期に順番にやっているそうだ。毎年決まった日というわけではなく、直前になって開催に関する情報が分かるそうだ。

優勝者を決めるべく、昼前から延々とレースをやっていたらしい。参加の水牛も思ったより多く、スタート地点とゴール地点には多くの水牛が待機している。

泥だらけのレースをしばらく堪能した後、暗くなる前に街に戻り、王宮(Istana Dalam Loka)を見学した。

高床式のかなり大きな建物だ。王族の子孫は別の場所に住んでいるそうだ。内部にはあまり展示物はないが、丈夫なチークを建材としており、梁や柱の装飾を見ることができる。

スンバワ最後の夜は何を食べようかと思っていたら、仲良くなった運転手さんが実は国営企業の社員で、家では奥様がピザ・レストランをやっていると聞いた。馬車がまだ郊外を走る島で、車のガレージとリビングルームを改造して作ったピザ・ハウスは意外にハイカラだった。ビンタンビールを飲みながら食べたピザはおいしかった。

次回は、東部のビマ側も訪れてみたくなった。

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