フェンシング・見延和靖が〝金メダル紛失騒動〟の真相と1億円ボーナスの使い道激白

オンラインでインタビューに応じた見延「金メダルはここにあります」

〝金メダル紛失騒動〟の真相は? 東京五輪フェンシング男子エペ団体の主将で日本初の金メダルを獲得した見延和靖(34)が本紙の単独インタビューに応じた。大会後は所属先「ネクサス」からの報奨金1億円支給が大きな話題となる一方で、テレビ番組ではメダルの一時紛失を告白して注目を集めた。その見延が気になるボーナスの使い道から紛失騒動のてん末、頂点に立つまでの舞台裏まで激白。他競技で金メダルを獲得した〝激似アスリート〟についても言及した。

――日本フェンシング界初の五輪金メダル。率直な感想は

見延 改めて五輪の偉大さというか、五輪の持つパワーに圧倒されています。あちこちでみんなに「おめでとう」と言ってもらえるので、五輪というのは偉大で大きな舞台だったんだなと。僕自身、今大会は金メダルじゃないとダメだと思っていたので、本当にそこだけ狙っていたけど、いざ世界の頂点に立って反響の大きさを肌で感じているところです。
――テレビ番組でメダルを一時紛失したことを明かした。その後は

見延 大丈夫。(メダルを手にして)ちゃんとここにあります(笑い)。あれから(カバンなど)チャックがついているところにしまうようにしていますよ。何回も確認して。

――タクシーの助手席で落としたとか。別の客が車内で見つけて届けてくれた

見延 みんな(代表メンバー)と会話するためにずっと後ろ向きになっていたので、そこでポケットから落ちてしまったんだと思います。でも、気づかなかったですね…(笑い)。

――大会を振り返って。団体1回戦の第8試合、米国にリードを許した場面で自身に代わり宇山賢が投入された

見延 僕でもやれたかもしれないですけど、やっぱり宇山選手のほうが流れをガラッと変えてくれる可能性が高かった。僕がコーチでもその選択をしていたと思います。だから「あとは任せた。お前ならできる」と送り出すこともできたし、そういう(悔しい)気持ちはなかったですね。

――一度交代すると再出場できないルールだが、決勝までユニホームを着て試合を見守った

見延 引っ込んだからこそ誰よりも闘争心をむき出しにして、勝ちにいく姿勢を一番見せたいと思っていました。できることはそれしかないし、僕自身あれを着ていないと心の中の炎が消えてしまうような気がして。だからあのユニホームは脱げなかったんです。

――大会後は所属先からの報奨金1億円が話題となった

見延 ちょっと経験したことのない金額だったので、正直驚きましたよね。元選手で協会会長まで務めた代表(星野敏氏)が悲願の金メダルにそれだけの価値があると評価してくださってすごくありがたい。とはいえ、(目録を)実際手にしてみると、震えが止まらなかったです。ビックリしました。

――手元に入るのはいつごろか

見延 まだですね。いただくということしか決まっていなくて、どのような形でどうするかは今後話し合っていくことになっています。

――高級車や家などを買える金額だ

見延 車もすでに持ってますし、特に新しいものを買いたいとかはないですね。ぜいたくをするためには使わないかな…。やっぱりフェンシング界に還元したいと考えていて、競技者としては指導者不足を解消したいですね。そこをクリアできればフェンシングの発展につながると思うし、選手のセカンドキャリアの道もつくれるのかなと。

――話は変わるが、野球の侍ジャパンで金メダルを獲得した柳田悠岐外野手(ソフトバンク)に似ていると言われたことは

見延 そういうことを言ってくださる方がいますね。似てますか?

――元プロ野球担当として、かなり似てます

見延 そうですか。確かに、すごい言われます。僕自身、小学校は空手、中学校はバレーボールですが(始球式などで)対決してみたいですよね。投げて打たれるか(笑い)。

――2024年パリ五輪も〝ジーンと感動〟させてほしい

見延 間違いなく世界で一番強いのが日本。これから3年で伸びる若手選手が出てきて、さらに強いチームをつくれると思うので、次は連覇を目指したいですね。また、今回は個人でメダルを取れなかったので、そこも結果を出せるような練習を積んでいきたいと思っています。

【過去の主なメダル紛失】1988年ソウル五輪でレスリング男子フリースタイル48キロ級金メダルの小林孝至氏は上野駅の公衆電話に金メダルの入ったセカンドバッグごと置き忘れて紛失。2日後に江戸川区でバッグを拾われて無事に本人の手元に戻った。2012年ロンドン五輪でボクシング男子バンタム級銅メダルの清水聡は13年3月に都内のイベント参加後にメダルを紛失し、警視庁原宿署に盗難届を提出。3年後の16年1月に引っ越した際、衣装ケースの中から見つかった。

☆みのべ・かずやす=1987年7月15日生まれ。福井・越前市出身。高校時代にフェンシングと出会い、当初はフルーレとエペを両立していたが、法大入学後にエペに専念。ネクサスに入社後はイタリアへの単身武者修行などで実力を磨き、2016年リオ五輪個人で6位入賞。19年にはW杯アルゼンチン大会で団体初優勝。「エペ陣」と「ジーンと感動させる」を組み合わせて日本男子チームに「エペジーーン」の愛称をつけた。177センチ、75キロ。

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