長崎原爆の“熱線”に触れて、感じて 故内田さん収集 「被爆瓦」を配布

内田さんが収集した被爆瓦の配布を始めた山口会長=長崎市城山町

 長崎原爆の“熱線”に触れて、感じて-。長崎市の「城山小被爆校舎平和発信協議会」は、被爆者の故・内田伯前会長が爆心地付近で集めた被爆瓦を、国指定史跡「長崎原爆遺跡」の一つ「旧城山国民学校校舎」(城山町)の来館者に今月から配っている。瓦の表面は原爆の熱線で溶け、泡立ったような状態。同会は「原爆の恐ろしさや平和の大切さを感じるきっかけにしてほしい」と願う。
 内田さんは生前、自宅があった同市松山町の爆心地周辺の町並みを地図上に復元させる活動や、旧城山国民学校の被爆校舎保存運動などに尽力。昨年4月に90歳で亡くなった。
 次女智子さん(52)によると、内田さんは20年ほど前まで、爆心地付近で建物が解体されると聞くと、現場に向かい土中の被爆瓦を掘り出していた。内田さんは被爆体験の語り部も長年務めたが、講話の際には掘り出した被爆瓦を見せていたという。智子さんは「被爆した瓦も原爆の“証人”だと思っていたのかな」と振り返る。
 内田さんの死後、自宅の倉庫には大量の被爆瓦が遺された。瓦が収集された詳細な場所が特定できないため、長崎原爆資料館でも引き取ることはできず、智子さんは同協議会に活用方法を相談。現会長の山口政則さん(77)が被爆校舎を訪れる見学者や修学旅行生らに配ることを提案し、智子さんも了解した。
 被爆瓦は10センチ前後の大きさで、数百個はある。山口会長らは瓦を洗浄し、爆心地付近の3千度以上の熱線で瓦の釉薬(ゆうやく)が溶けたことなどを記したカードと共に、1個ずつ透明な袋に詰めた。今月上旬から来館者に配り始めている。山口会長は「内田さんは瓦一つでも原爆の実相を伝えるものだという信念を貫いて集めていた。被爆地に来て見学したり講話を聞いたりして終わりではなく、被爆瓦を原爆の証拠として自宅や学校に持ち帰り、実際に触って復習に役立ててほしい」と話す。
 現在は新型コロナウイルス感染対策のため被爆校舎内の見学はできないが、外観見学などに訪れた人に被爆瓦を配っている。

旧城山国民学校校舎で配布している被爆瓦。熱線で表面が溶けて泡立っている(右)=長崎市城山町

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