ラモン・カブレラの父は西武などで357本塁打を放ったアレックス・カブレラ
メジャーリーグではチャンスを掴めなかったものの、ジャパニーズドリームを目指してやってくる多くの外国人選手たち。その中でも活躍できるのはわずか一握りだが、言葉も通じない国で奮闘する姿にファンは心を動かされる。今季からルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツでプレーしているラモン・カブレラ捕手もその一人だ。【工藤慶大】
◇◇◇◇◇◇◇
「日本でのプレーを本当に望んでいました」
メジャー経験もあるカブレラが、独立リーグでも日本でプレーしたいと思ったのには理由がある。それは日本で愛された父親の姿が脳裏に焼き付いているからだ。カブレラの父は西武、オリックス、ソフトバンクで通算357本塁打を放ったアレックス・カブレラ。2002年には当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打を放ち、本塁打王にも輝いた西武のレジェンドだ。
父がスターダムに登り詰める瞬間をもっとも間近で見ていたのは他ならぬ息子だった。当時は住んでいた荻窪から球場へ2人で通う毎日。「練習が始まる前にバッティング練習をさせてもらったり、ほぼ一緒に生活していました。試合中はホームプレートの後ろで必ず観ていました。本当に幸せでした」と、忘れられない思い出になっている。父だけではなく当時のスター選手だった松井稼頭央(現2軍監督)、松坂大輔らは今でも尊敬してやまない。
特に記憶に残っているのは2002年だ。前半戦は不調だったアレックス・カブレラだが、ラモンが来日すると一気に加速してタイトルを掴み取った。そのことを後に父からこう聞かされたという。
「悩んでいるときに家族が来て、遊んだりすることでリラックスできた。それが野球の面での充実にも繋がった。だからその年はスペシャルなんだ」
家族で勝ち取った父の成功。その姿を追って野球の世界に飛び込むと2008年にパイレーツと契約してプロ入り。2015年にレッズでメジャーデビューすると、2016年には61試合に出場。2年間で53安打、4本塁打をマークした。
原点は両親の教え「違う国には違う文化がある。それをリスペクトすること」
その後は米独立リーグや地元ベネズエラのウインターリーグでプレーしていたが、今年1月に茨城と契約して念願の再来日。最初は苦戦したものの、野球スタイルの違いは「言い訳にならない」と奮闘中。メジャー経験にも威張らず「こちらのやり方やスタイル、コミュニケーションをとてもリスペクトしている。その中でどうすればいいかを常に考えている」と一から勉強する姿勢を忘れない。
そんなカブレラの原点はやはり両親の教え。父のプレーする背中を見て、母からは「違うところに行ったらあなたは違う国の人間で、違う文化がある。だからそれを学ぶ姿勢とリスペクトすること」と常に聞かされてきたという。松坂賢ヘッドコーチも「これは何? これはOK? 何がダメなのか? と常に聞いてきます」とその積極性に目を丸くする。
ともに来日したアルバレスはソフトバンク、バルガスはオリックスに旅立ったが、「今は日本の野球に自分自身のアグレッシブなスタイルや、自分の考え、メンタリティを付け足している状態」と焦りはない。「ちょっとずつ結果が出ている。今がそのときなんだ」と7月以降はヒットを量産し、打率.265(1日現在)まで上げてきた。
真面目だが、簡単な日本語は理解して「東京はサイコーだよね」と笑うナイスガイ。西武2軍との試合では松井2軍監督と旧交を温め、父を交えてテレビ電話するなど誰からも愛される。偉大な父を追って日本に来たカブレラJr.の挑戦はまだ始まったばかりだ。
【比較写真】父は昔も今も変わらない? 西武時代と現在のカブレラ親子
【比較写真】父は昔も今も変わらない? 西武時代と現在のカブレラ親子 signature
(工藤慶大 / Keita Kudo)